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植民地支配を生んだキリスト教の責任──謝罪し、償なうのは日本なのか [キリスト教史]

以下は斎藤吉久メールマガジン(2013年5月26日)からの転載です


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植民地支配を生んだキリスト教の責任
──謝罪し、償うのは日本なのか
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 日本維新の会の橋本共同代表が記者会見で慰安婦制度について発言したことが、大きな波紋を広げています。

 来日した2人のハルモニが日本各地で講演しているほか、アムネスティ・インターナショナルが日本政府の対応を批判し、一方、国連の委員会が慰安婦への誹謗中傷を防ぐ対策を採るよう求める報告書を発表しました。

 どんな人たちが活動を展開しているのか、といえば、日韓のキリスト教人脈が浮かび上がります。

 今年4月に安倍首相宛に抗議文を提出したのは、「日本軍『慰安婦』被害者59人」のほか、ソウルの韓国大使館前で毎週、抗議活動を展開している韓国挺身隊問題対策協議会を筆頭に、以下のような韓国のキリスト教団体などの名前が並んでいます。

 基督教大韓メソジスト会女宣教会全国連合会、 基督教大韓メソジスト会全国女教役者会、基督女民会、大韓イェス教長老会全国女役者連合会、新しい世界を開く天主教女性共同体、女性教会、円仏教女性会、梨花民主同友会、全国女性連帯、平和を作る女性会、韓国教会女性連合会、韓国基督教長老会、女信徒会全国連合会、韓国女性団体連合、韓国女性民友会、韓国女性ホットライン、韓国女神学者協議会、韓国天主教女子修道会長上連合会、韓国挺身隊研究所、KNCC両性平等委員会

 なぜ韓国のキリスト者たちは、慰安婦問題、歴史問題にこれほど強硬な姿勢を示さなければならないのでしょうか?

 いまや韓国国民の3人に1人はキリスト者だそうですが、不思議なのは第一に、彼らにはキリストが「互いに赦し合いなさい」と教えている「赦し」が見えてこないことです。

 戦後、日本の「戦犯」たちがまっ先に減刑・赦免されたのはフィリピンで、キリノ大統領が恩讐を超えて踏み切ったのは「敵を愛せ」というキリストの教えであり、モンティンルパの「戦犯」たちと東京都内のキリスト教系病院の看護婦たちとの交流が盛んに行われていたのとは正反対です。

 キリスト者として知られる金大中元大統領はドイツと日本を比較し、「欧州の特徴は、西ドイツが周辺の国々の信頼を得たことだ。過去を徹底的に反省し、謝罪した。若い世代にナチスの罪悪を教え、ユダヤ人虐殺の場所を保存した」と述べていますが、じつのところ、ドイツは謝罪したのに日本は謝罪しない」のではなく、「フランスはドイツに和解を呼びかけたのに、韓国は日本の謝罪を拒絶している」のです。

 さらにいえば、植民地主義そのものがキリスト教世界から生まれた歴史を、韓国のキリスト者たちは考えようとしないようです。

 というわけで、平成11年8月に宗教専門紙に掲載された拙文を転載します。一部に加筆修正があります。

 それでは本文です。



 カトリック中央協議会が編集に関与する『歴史から何を学ぶか──カトリック教会の戦争協力・神社参拝』という資料集が今春、出版され、「売れている」という。

 白柳誠一枢機卿の「推薦のことば」によれば、教皇ヨハネ・パウロ2世は、「使徒的書簡」を発表し、「教会は、過去の誤りと不信仰、一貫性のなさ、必要な行動を起こすときの緩慢さなどを悔い改めてみずからを清めるよう、その子らに勧めることなくして、新しい千年期の敷居をまたぐことはできない」と語った。

 この資料集はその線に沿って、日本のカトリック教会がかつて戦時体制下にどのように組み込まれ、協力させられていったのかを検証するため、重要文書を収録したのだという。

使徒的書簡」によれば、モーゼの時代に畑が休閑になり、奴隷が解放される「安息の年」が7年ごとにめぐってきた。すべての人が救いに預かることができるのが「聖年」だと説明されている。

大聖年」を迎える準備として、「より深い悔い改めと回心」が必要だとする教皇の指摘は十分理解できるし、個人的には共鳴もするが、それなら新しい千年期を前にして、過去の何を、誰が、悔い改めるべきなのか?

 昭和61年に発表された白柳日本司教協議会会長による「戦争責任の告白」には、「日本の司教は、日本が第2次世界大戦中にもたらした悲劇について、神とアジア・太平洋地域の兄妹たちに赦しを願う」「私たちは、この戦争に関わった者として、アジア・太平洋地域の2千万を超える人々の死に責任を持っている」という表現がある。

 平成7年の「戦後50年」を機に、日本カトリック司教団が発表した「平和への決意」では、過去の何が過ちであったかを確認し、日本軍による破壊と殺戮のほかに、朝鮮人の強制連行や「従軍慰安婦」を取り上げ、日本人として謝罪と償いの責任があると表明された。

 さらに4年前、日本カトリック正義と平和協議会は「新しい出発のために」を公表し、「天皇制国家主義」が支配した日本がアジア・太平洋地域で侵略戦争を推し進め、2千万人以上の兄弟姉妹を殺し、労働と性労働に強制連行した。教会は「見張り役」を果たさずに侵略戦争に手を貸した、として「謝罪と償いの決意」を明らかにしている。

 そして今回の資料集は、「日本が引き起こした戦争で苦難と死を余儀なくされたアジア・太平洋地域の人々」に捧げられている。

 しかし、まことに不思議なことに、一連の文書には、なぜあの戦争が引き起こされたのか、というもっとも肝心な実証的史観が完全に抜け落ちている。

 あの戦争は「日本が引き起こした侵略戦争」と言い切れるのか。アジア・太平洋地域の2千万の犠牲がすべて日本の責任に帰せられるべきものなのか?

 過去千年間、人類は幾多の悲惨な戦争を経験したが、そもそも日本のカトリック教会がなぜ第2次大戦を特別視するのかが、まったくもって分からない。

 カトリック教会こそ、もっと血生臭い歴史を引きずっているからである。

 カトリックの世界宣教は、教皇アレキサンデル6世が1493年の勅書でポルトガル、スペイン両国王に対して、新たに領有した地方に宣教師を送り、カトリック信仰の弘布を勧告したことに始まる。

 キリシタン研究の第一人者、慶応大学の高瀬弘一郎教授によると、カトリックの世界布教はスペイン、ポルトガルによる武力征服の隠れた目的があった。世界を2分割しようというような野望に手を貸し、スペイン、ポルトガルの植民地主義のいわば尻馬に乗って世界布教を展開したのが、カトリック教会であった。

 そしてさまざまな悲劇が生まれた。カトリックは異教の神々を「悪魔」と同一視し、たとい武力によって異教徒を改宗させ、領土を奪い取ったとしても、神の御旨にかなったことと考えられたからだ。

 カトリックの後押しで推進された植民地支配がいまもなお途上国に暗い影を落としているのは、カトリックが途上国の債務取り消しキャンペーンを熱心に繰り広げていることからも明らかだ。

 ところが、植民地支配の悲劇を生んだことへの責任論も悔い改めも、カトリックの側からはまったく聞こえてこない。これはどうしたことなのか?

 十分な歴史の検証もせずに、実体のよく分からないような「天皇制」や「国家主義」を持ち出して、責任を転嫁するのは、あまりにも無責任ではないか。それが新しい千年期を希望あふれるものとすることができるのだろうか?

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