「国の儀式」を「国事」と言い換えて報道した大新聞 ──歴史的に考えるということ 7 [戦後皇室史]
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「国の儀式」を「国事」と言い換えて報道した大新聞
──歴史的に考えるということ 7
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皇太子(今上陛下)御成婚について、続けます。
まず、簡単におさらいします。
昭和33年11月27日、皇室会議で皇太子殿下(今上陛下)と正田美智子さん(皇后陛下)の婚姻が承認されました。
翌年34年1月14日、納采の儀が行われ、宮中三殿並びに伊勢神宮と畝傍山陵に奉告されました。
2日後の1月16日、政府は結婚の儀、朝見の儀、宮中祝宴の儀を「国の儀式」として行うことを決めました。閣議の資料には「国事」という表現はありません。
3月16日、告期の儀が行われました。
4月10日、宮中三殿で結婚の儀が「国の儀式」として行われました。宮中祭祀は「皇室の私事」とされる占領期以来の法解釈がここに破られました。宮殿では朝見の儀が行われました。
4月13日から3日間、宮中祝宴の儀が行われました。
▽1 占領時代の終わり、「政教分離」時代の始まり
当メルマガが繰り返し述べてきたように、占領期以来、天皇の祭祀は「皇室の私事」とされました。祭祀に携わる掌典職は国家機関を離れ、職員は内廷費で雇われる私的使用人となりました。
アメリカは「日本政府に指導され、強制された神道の廃止」を占領政策に掲げていました。占領後期になると、「神道の廃止」政策は変更され、神道形式による公葬が認められ、貞明皇后の大喪儀は準国葬として行われましたが、「皇室の私事」という位置づけを破ることはできませんでした。
しかし独立回復から7年、賢所大前での皇太子殿下の結婚の儀は「国の儀式」とされ、ようやくにして「私事」から脱却することとなりました。
ただ、御成婚に関する一連の行事が全体として「国の行事」とされたわけではありません。全体を「国事」としたわけでもありません。
閣議の資料では、「国の儀式」とされた3つの儀式について、「日本国憲法第七条の儀式に関するもの」とされ、「天皇の国事に関する行為」の1つとしての「儀式」として扱われたのでした。
第2に、当時、宮内庁が旧皇室親族令を比較参照する資料を作成していることは、「従前の例に準じて」とする依命通牒(昭和22年5月)に従って、事務を執り行っていたことを想像させます。
けれども、「国の儀式」とされた「結婚の儀」は、旧皇室親族令附式事項にある「妃氏入宮の儀」「賢所大前の儀」を併せて、新しく称したもので、「朝見の儀」は「参内朝見の儀」の、「宮中祝宴の儀」は「宮中饗宴の儀」の名称変更でした。
また、「勲章を賜うの儀」「贈剣の儀」「贈書の儀」は採用されなかったようです。
つまり、宮中三殿での神道的儀礼が「国の儀式」として、天皇の国事行為として行われたことは画期的でしたが、一方で、一連の儀式を「国の儀式」とそうでないものとに二分し、名称を変更し、一部の儀式については旧例を踏襲しなかったことはその後に影響を与えずにはおかなかったものと思われます。
昭和から平成への御代替わりでは、政府は「皇室の伝統」と「憲法の趣旨」とを対立的にとらえ、皇室の伝統行事を伝統のままに行うことが憲法の「政教分離」原則に反するとして、国の行事と皇室行事とを二分し、宗教的用語や宗教的儀礼が採用されませんでした。
その基準はもちろん「政教分離」原則でした。
皇太子御成婚は「宮中祭祀は皇室の私事」とする占領時代の終わりであると同時に、天皇の祭祀を非宗教化する「政教分離」時代の先駆けのように、私には見えます。
▽2 昭和34年1月16日の「朝日新聞」夕刊
もうひとつ指摘したいのは、「国事」という表現に関する混乱です。
政府が決めたのは「国の儀式」でした。しかし、マスメディアは「国事」と言い換え、報道したのでした。
昭和34年1月16日の「朝日新聞」夕刊は、1面トップで、「皇太子さまの結婚式 4月中旬に皇居で 『3儀式』だけが国事」と伝えています。
また、リードは「皇太子明仁親王殿下の結婚式における『結婚の儀』『朝見の儀』および『宮中祝宴の議』は、国の儀式として行う」と閣議決定がほぼそのまま引用されていますが、記事本文には、閣議決定にはない「国事」の用語が、以下のように数回、使われています。
「ご婚儀の日取りや運びなどについて、宮内庁は宇佐美長官を委員長とする『ご婚儀委員会』で検討していたが、結婚式の諸儀式のうちどの項目を国事とするか、それによって予算措置も異なってくるし、また日取りも参議院選挙、地方選挙その他植樹祭、天皇誕生日など皇室行事のからみ合いもあって、婚約発表後早急には結論が出せなかった」
「いまの両陛下(昭和天皇・香淳皇后)の場合はご婚儀行事はすべて国事として行われたが、こんどは『結婚の儀』『朝見の儀』『宮中祝宴の儀』の三つだけを国事とし、婚約期間中の『納采の儀』『告期の儀』、伊勢神宮、神武天皇山陵、大正天皇、貞明皇后山陵に『勅使発遣の儀』、皇太子の『賢所、皇霊殿、神殿に成約奉告の儀』をはじめ、結婚式当日の宮中三殿への結婚奉告、お二人が『皇霊殿、神殿に謁するの儀』や『供膳の儀』、その後の『三箇夜餅の儀』、お二人がそろってお出かけなる伊勢神宮、神武天皇山陵、大正天皇、貞明皇后山陵に謁するの儀はすべて私事とした」
「したがって予算措置も各界代表者約三千人を招いて結婚式の翌日から三日間開かれる『宮中祝宴』を中心に国事関係費は約二千万円を計上、私事関係費は天皇家の生計費(年額五千万円)である内廷費でまかなわれる。こんどのご婚儀について宮内庁では国事、私事の諸儀式とも簡素化の基本方針をとり、贈剣、贈書、贈勲の諸儀式は取止め、ご婚儀費用は全部で三、四千万円にとどめたい、といっている」
▽3 異なるニュアンス
この記事からうかがえるのは、昭和から平成への御代替わりとは異なり、当時の政府は予算措置について神経をとがらせていたらしいことです。予算軽減のため簡素化が求められ、一部の儀式が取り止められたのもそのためだったようです。
もうひとつ、「国事」についてですが、政府は「国の儀式」=天皇の「国事に関する行為」の1つとしての儀式という位置づけですが、朝日の記事にある「国事」はこれとはニュアンスが異なります。
朝日の記事が、昭和天皇のご婚儀はすべて「国事」として行われた、と解説しているのは、当然、「国事行為」ではありません。昭和天皇と香淳皇后のご婚儀は明治憲法下の大正13年だからです。
朝日がいう「国事」とは、一般的な意味での「国家に関係する事柄」でもないものと思われます。皇位継承順位第1位にある天皇の第一皇子の御結婚が国家的な事柄でないはずはないからです。
朝日の記事にある「国事」の尺度は、予算措置に関わることで、「国の儀式」=「国事」なら国が主催し、国の予算でまかなわれ、それ以外は内廷費から支弁されるという解釈なのでしょう。
しかし「国の儀式」=「国事」以外はすべて「私事」とする、非常に窮屈な理解は、宮内庁関係者に取材から得られたものなのだったかどうか?
最後に蛇足ながら補足します。
平成5年6月の皇太子殿下の御成婚からまもなく20年になります。同年4月13日の「朝日新聞」夕刊は、「結婚の儀」「朝見の儀」「宮中饗宴の儀」が国の儀式とされ、国費で行われることが、この日午前の閣議で決まったと伝えています。
先例が踏襲されたのですが、記事の扱いは2面のベタ記事でした。
つづく。
「国の儀式」を「国事」と言い換えて報道した大新聞
──歴史的に考えるということ 7
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皇太子(今上陛下)御成婚について、続けます。
まず、簡単におさらいします。
昭和33年11月27日、皇室会議で皇太子殿下(今上陛下)と正田美智子さん(皇后陛下)の婚姻が承認されました。
翌年34年1月14日、納采の儀が行われ、宮中三殿並びに伊勢神宮と畝傍山陵に奉告されました。
2日後の1月16日、政府は結婚の儀、朝見の儀、宮中祝宴の儀を「国の儀式」として行うことを決めました。閣議の資料には「国事」という表現はありません。
3月16日、告期の儀が行われました。
4月10日、宮中三殿で結婚の儀が「国の儀式」として行われました。宮中祭祀は「皇室の私事」とされる占領期以来の法解釈がここに破られました。宮殿では朝見の儀が行われました。
4月13日から3日間、宮中祝宴の儀が行われました。
▽1 占領時代の終わり、「政教分離」時代の始まり
当メルマガが繰り返し述べてきたように、占領期以来、天皇の祭祀は「皇室の私事」とされました。祭祀に携わる掌典職は国家機関を離れ、職員は内廷費で雇われる私的使用人となりました。
アメリカは「日本政府に指導され、強制された神道の廃止」を占領政策に掲げていました。占領後期になると、「神道の廃止」政策は変更され、神道形式による公葬が認められ、貞明皇后の大喪儀は準国葬として行われましたが、「皇室の私事」という位置づけを破ることはできませんでした。
しかし独立回復から7年、賢所大前での皇太子殿下の結婚の儀は「国の儀式」とされ、ようやくにして「私事」から脱却することとなりました。
ただ、御成婚に関する一連の行事が全体として「国の行事」とされたわけではありません。全体を「国事」としたわけでもありません。
閣議の資料では、「国の儀式」とされた3つの儀式について、「日本国憲法第七条の儀式に関するもの」とされ、「天皇の国事に関する行為」の1つとしての「儀式」として扱われたのでした。
第2に、当時、宮内庁が旧皇室親族令を比較参照する資料を作成していることは、「従前の例に準じて」とする依命通牒(昭和22年5月)に従って、事務を執り行っていたことを想像させます。
けれども、「国の儀式」とされた「結婚の儀」は、旧皇室親族令附式事項にある「妃氏入宮の儀」「賢所大前の儀」を併せて、新しく称したもので、「朝見の儀」は「参内朝見の儀」の、「宮中祝宴の儀」は「宮中饗宴の儀」の名称変更でした。
また、「勲章を賜うの儀」「贈剣の儀」「贈書の儀」は採用されなかったようです。
つまり、宮中三殿での神道的儀礼が「国の儀式」として、天皇の国事行為として行われたことは画期的でしたが、一方で、一連の儀式を「国の儀式」とそうでないものとに二分し、名称を変更し、一部の儀式については旧例を踏襲しなかったことはその後に影響を与えずにはおかなかったものと思われます。
昭和から平成への御代替わりでは、政府は「皇室の伝統」と「憲法の趣旨」とを対立的にとらえ、皇室の伝統行事を伝統のままに行うことが憲法の「政教分離」原則に反するとして、国の行事と皇室行事とを二分し、宗教的用語や宗教的儀礼が採用されませんでした。
その基準はもちろん「政教分離」原則でした。
皇太子御成婚は「宮中祭祀は皇室の私事」とする占領時代の終わりであると同時に、天皇の祭祀を非宗教化する「政教分離」時代の先駆けのように、私には見えます。
▽2 昭和34年1月16日の「朝日新聞」夕刊
もうひとつ指摘したいのは、「国事」という表現に関する混乱です。
政府が決めたのは「国の儀式」でした。しかし、マスメディアは「国事」と言い換え、報道したのでした。
昭和34年1月16日の「朝日新聞」夕刊は、1面トップで、「皇太子さまの結婚式 4月中旬に皇居で 『3儀式』だけが国事」と伝えています。
また、リードは「皇太子明仁親王殿下の結婚式における『結婚の儀』『朝見の儀』および『宮中祝宴の議』は、国の儀式として行う」と閣議決定がほぼそのまま引用されていますが、記事本文には、閣議決定にはない「国事」の用語が、以下のように数回、使われています。
「ご婚儀の日取りや運びなどについて、宮内庁は宇佐美長官を委員長とする『ご婚儀委員会』で検討していたが、結婚式の諸儀式のうちどの項目を国事とするか、それによって予算措置も異なってくるし、また日取りも参議院選挙、地方選挙その他植樹祭、天皇誕生日など皇室行事のからみ合いもあって、婚約発表後早急には結論が出せなかった」
「いまの両陛下(昭和天皇・香淳皇后)の場合はご婚儀行事はすべて国事として行われたが、こんどは『結婚の儀』『朝見の儀』『宮中祝宴の儀』の三つだけを国事とし、婚約期間中の『納采の儀』『告期の儀』、伊勢神宮、神武天皇山陵、大正天皇、貞明皇后山陵に『勅使発遣の儀』、皇太子の『賢所、皇霊殿、神殿に成約奉告の儀』をはじめ、結婚式当日の宮中三殿への結婚奉告、お二人が『皇霊殿、神殿に謁するの儀』や『供膳の儀』、その後の『三箇夜餅の儀』、お二人がそろってお出かけなる伊勢神宮、神武天皇山陵、大正天皇、貞明皇后山陵に謁するの儀はすべて私事とした」
「したがって予算措置も各界代表者約三千人を招いて結婚式の翌日から三日間開かれる『宮中祝宴』を中心に国事関係費は約二千万円を計上、私事関係費は天皇家の生計費(年額五千万円)である内廷費でまかなわれる。こんどのご婚儀について宮内庁では国事、私事の諸儀式とも簡素化の基本方針をとり、贈剣、贈書、贈勲の諸儀式は取止め、ご婚儀費用は全部で三、四千万円にとどめたい、といっている」
▽3 異なるニュアンス
この記事からうかがえるのは、昭和から平成への御代替わりとは異なり、当時の政府は予算措置について神経をとがらせていたらしいことです。予算軽減のため簡素化が求められ、一部の儀式が取り止められたのもそのためだったようです。
もうひとつ、「国事」についてですが、政府は「国の儀式」=天皇の「国事に関する行為」の1つとしての儀式という位置づけですが、朝日の記事にある「国事」はこれとはニュアンスが異なります。
朝日の記事が、昭和天皇のご婚儀はすべて「国事」として行われた、と解説しているのは、当然、「国事行為」ではありません。昭和天皇と香淳皇后のご婚儀は明治憲法下の大正13年だからです。
朝日がいう「国事」とは、一般的な意味での「国家に関係する事柄」でもないものと思われます。皇位継承順位第1位にある天皇の第一皇子の御結婚が国家的な事柄でないはずはないからです。
朝日の記事にある「国事」の尺度は、予算措置に関わることで、「国の儀式」=「国事」なら国が主催し、国の予算でまかなわれ、それ以外は内廷費から支弁されるという解釈なのでしょう。
しかし「国の儀式」=「国事」以外はすべて「私事」とする、非常に窮屈な理解は、宮内庁関係者に取材から得られたものなのだったかどうか?
最後に蛇足ながら補足します。
平成5年6月の皇太子殿下の御成婚からまもなく20年になります。同年4月13日の「朝日新聞」夕刊は、「結婚の儀」「朝見の儀」「宮中饗宴の儀」が国の儀式とされ、国費で行われることが、この日午前の閣議で決まったと伝えています。
先例が踏襲されたのですが、記事の扱いは2面のベタ記事でした。
つづく。
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