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関東大震災90年 その2 御内帑金1千万円を下賜 [関東大震災]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 関東大震災90年 その2 御内帑金1千万円を下賜
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▽1 久しぶりの新聞に「摂政宮の御沙汰書」

 震災当日、父帝大正天皇のお見舞いのため日光に滞在されていた秩父宮(ちちぶのみや)親王は直ちに帰京され、第一師団の戒厳勤務となり、都内を巡視、皇族の総代として被災者を慰問された。

 9月4日、被災した街の辻々に、活字のほかにガリ版、手書きを含む新聞の号外が張り出された。地震発生当日から東京の新聞は発行不能に陥っていたから、号外とはいえ久しぶりの新聞である。そこには、被災者を思いやって御内帑金(おないどきん)(天皇のお手元金)が1千万円、下賜されたことが記され、左記の「摂政宮の御沙汰書」が掲載されていた。

「今回、希有の大地震、東京および近県を襲い、これに加うるに大火をもってして、その惨害はなはだ大なるはじつに国家生民の不幸なり。予はその実情を見聞して、日夜憂戚(ゆうせき)し、ことに罹災者の境遇に対して心深くこれを傷む。ここに内帑をわかちてその苦痛の情を慰めんと欲す。官民それ協力して適宜応急の処置をなし、もって遺憾なきを期せよ」


▽2 牧野宮内大臣の日記

 大震災の惨劇に直面して、その復興のため、皇室はよほどの御覚悟をされたものと思われる。牧野宮内大臣の『日記』は「九月十一日」にこう記している。

「皇族職員召集。各殿下この際における御態度如何は皇室の御徳に影響するにつき、細心の注意を要し、進んで救恤(きゅうじゅつ)、各御殿公用その他に提供等のことを訓辞す。
 総理へ面談。大詔(おおみことのり)煥発(かんぱつ)後につき協議あり。内容につき多少意見ありたるも、政府の処置に関するをもって一通り所見開陳(かいちん)、引き取る」

「御態度如何は皇室の御徳に影響する」──大震災をどう乗り切るかは、政府はもちろんのこと、皇室にとっても一大事であったろう。

 それは牧野のような側近の発想というだけにとどまらない。『古事記』に描かれている仁徳天皇の「民の竈(かまど)」の故事に代表されるように、「国平らかに、民安かれ」とひたすら祈られるのが古(いにしえ)から連綿と続く天皇のお勤めである。


▽3 首都復興への強い意志

 実際、天皇の御不例という状況下で、とくに摂政と皇后がとられた行動は獅子奮迅ともいうべきものであった。

 首都復興の強い意志を示す詔書が摂政名で発せられたのは、翌9月12日である。

「……そもそも東京は、帝国の首都にして、政治経済の枢軸となり、国民文化の源泉となりて、民衆一般の瞻仰(せんぎょう)するところなり。一朝不慮の災害に罹(かか)りて、今やその旧形を留めずといえども、依然として我が国都たる地位を失わず。これをもって、その善後策は、ひとり旧態を回復するにとどまらず、進んで将来の発展を図り、もって巷衢(こうく)の面目を新たにせるべからず。
 惟(おも)うに、我が忠良なる国民は義勇奉公、朕(ちん)と共にその慶に頼らんことを切望すべし。これを慮(おもんぱか)りて、朕は宰臣に命じ、速(すみや)かに特殊の機関を設定して、帝都復興のことを審議調査せしめ、その成案は、あるいはこれを至高顧問の府に諮(と)い、あるいはこれを立法の府に謀り、籌画(ちゅうが)経営万遺算なきを期せんとす。
 在朝有司、能く朕が心を心とし、迅に災民の救護に従事し、厳に流言を禁遏(きんあつ)し、民心を安定し、一般国民、また能く政府の施設を翼けて、奉公の誠悃(せいこん)を致し、もって興国の基を固むべし。朕、前古無比の天殃(てんおう)に際会して、〓(じゅつ)(「血」に「卩」)民の心愈々(いよいよ)切に、寝食為(ため)に安からず、爾(なんじ)臣民それ克(よ)く朕が意を体せよ」(原文は漢字カタカナ混じり)

 きわめて深刻な被害に直面して、人心は動揺し、遷都論さえ浮上していたが、摂政たる若き皇太子は、あくまで東京が首都であることを確認し、東京の復興・再建を国民に強く呼びかけた。「寝食為に安からず」という表現からは悲壮感さえただよってくる。


つづく
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