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昭和7年「靖國神社参拝拒否事件」の真相──「政教分離」カトリック教会の論理破綻 [政教分離]

以下は斎藤吉久メールマガジン(2013年11月3日)からの転載です


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 昭和7年「靖國神社参拝拒否事件」の真相
 ──「政教分離」カトリック教会の論理破綻
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 報道によると、今月1日、天皇陛下は皇后陛下とともに、上智大学創立100周年記念式典にお出ましになりました(http://www.47news.jp/CN/201311/CN2013110101002293.html)。

 同大学はカトリック修道会のイエズス会によって設立されました。

 近代以降、日本の皇室はキリスト教の社会事業に深い理解を示され、物心両面で支援してこられ、側近にもカトリックおよびプロテスタントの信仰者がいました。

 けれども、戦後、日本のキリスト教指導者は一転して、強烈な皇室批判や靖国批判を展開するようになりました。

 以下の記事は、戦前の教会が「迫害」を受けていたという主張に対する反批判を試みたものです。昭和7年の「上智大学生靖国神社参拝拒否事件」をきっかけに「迫害」を受け、危機に陥ったというのですが、まったく事実に反しています。

 なお、記事は掲載された宗教専門紙の編集方針に従い、歴史的仮名遣いで書かれています。若干の加筆補正があります。



 昨年(平成17年)十一月に来日したブッシュ米大統領夫妻は、京都での日米首脳会談に先立って、小泉首相とともに、臨済宗・北山鹿苑寺(金閣寺、有馬頼底住職)に参詣した。夫妻は首相に出迎へられたあと、住職の案内で境内を首相と一緒に散策し、金閣の本尊の前で首相から拝礼の作法を伝授され、合掌した、と伝へられる。

 大統領が日本の代表的な社寺を参詣するのは、今回が初めてではない。

 平成十四年の来日では明治神宮を表敬参拝した。ところがこのときは当初、首相も一緒に参拝する案が検討されたものの、一部の反発を恐れて見送られ、外国の元首が日本の伝統的宗教文化の一端に触れる折角の機会にもかかはらず、首相は流鏑馬観覧にのみ同行するといふ失態を演じ、逆に「祭神に対して不敬」「国際儀礼上失礼」との批判を受けた。

▽憲法を盾に神道攻撃

 明治神宮表敬参拝に強硬に反対したのは、キリスト者である。

 たとへばカトリックは、小泉首相に対して、「カトリック正義と平和協議会長・松浦悟郎司教」の名前で「参拝中止」を文書で申し入れた。「憲法が定める信教の自由・政教分離原則に違反する」「宗教を外交の、外交を宗教の手段として利用することは許されない」といふのだが、批判の矛先は、直接は関係のないはずの首相の靖國神社参拝にまで向けられてゐる。

 同じ論理に立つなら、寺院参詣も「憲法違反」になるはずで、キリスト者は「中止」を要求すべきだが、今回の金閣寺参詣には何らの抗議行動も起こされてゐない。キリスト者の論理は首尾一貫してゐない。

 なぜなのか。

 それは反対活動が護憲の政治的信念に発してゐるからではなく、異教を攻撃的に排撃する一神教的の発想から憲法を神道攻撃の道具に利用してゐるからではないのか。

 日本のカトリックはいかなる理由から、いかなる論理で神道を排撃しようといふのか、教会の公文書をひもといてみる。

 たとへば昨年の「戦後六十年」に際して、日本のカトリックは今年元旦まで「平和キャンペーン・今こそいかそう平和の宝」を展開したが、このために日本司教団が発表した「平和メッセージ・非暴力による平和への道」には、「この春(平成十七年春)、とくに中国、韓国では反日運動がこれまでになく激しかった。その背景の一つには日本の歴史認識、首相の靖國神社参拝、憲法改正論議などの問題が挙げられる」などと神道批判、靖國神社批判が繰り広げられてゐる。「憲法の政教分離は天皇を中心とする国家体制が宗教を利用して戦争に邁進したといふ歴史の反省から生まれた」とも述べてゐる。

 メッセージを解説する日本カトリック司教協議会・社会司教協議会編の小冊子によると、カトリックが靖國神社問題などに拘るのは、戦前の「過ち」を忘れられないかららしい。昭和七年の上智大学学生「靖國神社参拝拒否事件」の記憶である。

 言ひ分によれば、日本のカトリックはこの事件をきっかけに軍部と世論による迫害、教会の存亡に関はる危機に陥った、これを回避するために神社参拝は教育上の理由でおこなはれ、敬礼を愛国心と忠誠の表現と公的に理解し、靖國神社の本質的な宗教性に触れず、宗教的参拝を儀礼として容認するといふ過ちを犯した、これをきっかけに教会は参拝を奨励することになり、戦争協力の道を歩んだ──とされる。

▽「迫害」とはほど遠い

 しかしながらこの歴史理解はどこまで正しいのだらうか。

 少なくとも事件の当事者とは認識に大きな隔たりがある。渦中の人であった上智大学の丹羽孝三幹事(学長補佐)の回想によると、事件はおよそ「迫害」とはほど遠いものであった。

 ──第一次大戦後、軍縮の時代が到来し、軍は将校の失業対策として学校の軍事教練のために配属した。上智大学の配属将校は、課外授業は学長の許可を要するといふ規則を破って学生の靖國神社に参拝させた。カトリック信者の学生が非キリスト教形式の拝礼を拒否し、将校が憤激したのを、翌日の新聞は「参拝拒否」「軍部激怒」と書き立てた。しかし文部省は軍に批判的だったし、丹羽幹事と陸相との面談で事態は収拾した。

 ところが数カ月後、事件がぶり返され、「邪教」「売国奴」「スパイ」といふ批判が教会に対して浴びせられる。しかしじつは軍部による政党打倒運動に事件が利用されたのであった。そもそも濡れ衣だったから、支援者は少なくなかった。不穏な動きがあれば、在校生の父兄でカトリック信者の麹町警察署長から情報が伝へられたし、國學院大學や仏教関係の大学の学長が見舞ひにやってきた。軍内部の同情者からも関係する極秘資料が届けられた。そして宮様師団長のお耳に達するところとなり、事件は急速に解決する(『上智大学創立六十周年──未来に向かって』昭和四十八年)。

 苦難の中にある当事者の心中は察するに余りあるが、これは宗教的な「迫害」とはいへまい。

 しかし今日、カトリックは「迫害」を言ひ募って殉教者を装ひ、返す刀で日本の神道を攻撃してゐる。「政教分離」に関する日本のカトリックの論理は破綻してゐる。

 当然、教会の「平和メッセージ」に対して、根本的な疑問を投げかける一般信徒もゐる。

「宗教者の目から見て、一国の指導者が戦歿者に敬意を表し、平和を祈念するのは正義に合致してゐないのか」

「厳格な政教分離解釈を指示すれば、教会は無宗教、無信仰の立場に与することにならないか」

 この真摯な問ひかけに、日本のカトリック教会はどう答へるのか、答へられるのか。

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