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「天皇論」として何を論ずるべきなのか──月刊「正論」連載の渡部昇一論文を読む [天皇・皇室]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2014年4月16日)からの転載です


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「天皇論」として何を論ずるべきなのか
──月刊「正論」連載の渡部昇一論文を読む
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 月刊「正論」5月号に渡部昇一先生の天皇論が載っているというので、たいへん興味を持ちました。

 先生は今日、押しも押されぬ日本の保守派の重鎮ですが、同時に、私個人にとっても大切な方です。高校生のころ、先生のお書きになった『知的生活の方法』という大ベストセラーを読んだことが、私が物書きの端くれとなったきっかけのひとつだったように思うからです。

 その先生がどのような天皇論を展開されるのか、関心を持たずにはいられませんでした。しかし、正直、期待を裏切られるところがありました。

 私たちはいまどのような天皇論を論ずるべきなのか、私との大きな違いを痛感したからです。つまり、視点の相違です。


▽1 国民の側から見た天皇論

 先生は何を書いておられるのか、まず論考を拾い読みしてみます。

「初めから天皇とともにあるのが日本の国なのですから、『天皇制』という言葉はナンセンスなのです」

「日本の天皇は、国の起源にさかのぼる神話とつながっていて、そんな王朝を持つ国は、世界中、ほかにない」

「日本は、まず島ができた神話から始まるのです」

「日本が農業国であり、瑞穂の国であるということです。このことは皇室が、男系で続いてきたということとも深く関係があると思われます」

「天照大神は女系ではなく、男系を重んじています」

「日本では天皇が神道の儀式を尊ばれるからです。天皇の神事というのは、国民とともにある祈りなのです」

 さらに先生は、神道論を展開し、「国体の変化」を歴史的に論じ、天皇の「帝王教育」に言及されています。

 先生がお書きになったことは、保守派が考える天皇論としては最大公約数的なもので、とくに目新しい内容ではないと思われます。

 しかし私が指摘したいのは、記事の内容に新鮮味がないということではありません。そうではなくて、先生が国民から見た天皇・皇室を論じているということです。先生個人の天皇・皇室論であって、皇室の側から見た天皇論ではないということです。


▽2 さまざまな天皇観が共存する理由

 先生の論考は、タイトルを見ると、「教育提言 私が伝えたい天皇・皇室のこと」とされています。テーマは天皇論というより、教育論のようです。しかも連載の第1回で、今後の展開があるでしょうから、私の批判は当たらないかも知れません。

 むしろそのように願いたいところですが、「私が伝えたい」という天皇・皇室論の視点には、私はどうしても違和感をぬぐいきれないのです。

 先生は教育者ですから、天皇・皇室が「世界に類を見ないものである」ことを強調し、次世代に「伝えたい」とお考えになるのは理解できるし、保守派の最大公約数的な天皇観を伝える努力をなさることには敬意を表したいと思います。

 けれども、そのような天皇・皇室を論ずることが、いま私たち国民に求められていることなのでしょうか?

 じつのところ、国民の天皇論・天皇観はさまざまです。神様だとありがたく考える人もいれば、逆に絶対的専制君主と信じて疑わない反天皇論者もいます。きわめて自由です。

「私が伝えたい天皇・皇室」は百人百様です。それは国民の天皇論だからです。

 現代だけではありません。各地域に、各職能集団に、特徴ある天皇観が古来、伝えられています。

 たとえば、私の故郷では、崇峻天皇の妃が養蚕と機織りを教えてくれたことになっています。生活の基盤が皇室と直結しているのです。先生の故郷・山形では、出羽三山を開かれ、五穀の種子を伝えたのが、崇峻天皇の第3皇子・蜂子皇子とされています。大工さんたちにとっては、法隆寺を創建された聖徳太子は信仰の対象です。


▽3 女系容認論者と同じ視点

 なぜそのような自由で、さまざまな天皇観、天皇論が存在し、共存し得たのでしょうか?

 日本の皇室が世界に類を見ないほどに続いている理由、と同時に、多様な天皇・皇室観が共存し続けている理由を、問わなければなりません。

 その答えは、国民の視点で、外部から天皇・皇室を論じても見出せないでしょう。

 天皇ご自身が古来、何をなさってきたのか、端的にいえば、天皇がみずから祭りをなさり、祭祀を第一のお務めとされてきたこと、天皇が皇祖神のみならず天神地祇を祀る祭祀王であること、について、深く探究するところが出発点でなければならないはずです。

 古代律令制の定めには、「およそ天皇、位に即きたまわば、すべて天神地祇を祭れ」と記されています。順徳天皇は「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」と書き残されました。

 先生は「日本は稲穂の国である」と書いておられますが、天皇の祭祀は稲の祭りではありません。稲と粟の祭りです。伊勢神宮の祭祀は稲の祭りですが、天皇の祭祀はそうではありません。なぜ稲と粟なのか、です。

 以前、このメルマガで皇室典範有識者会議を批判したことがあります。

 報告書には、(1)さまざまな天皇観があるから、さまざまな観点で検討した。(2)世論の動向に合わせて検討した、という2つのことが説明されていますが、もっとも肝心な、皇室自身の天皇観、皇室にとっての継承制度という視点が抜けていました。

 先生は、論考のなかで、天皇と神道の関係、男系継承について言及されていますが、皇室を論じる視点では、女系容認をも認めた有識者会議報告書と変わらないことなります。


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