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もしパンダのように5本指でなかったら──「戦後70年」の日韓関係について考える [日韓関係]

以下は、斎藤吉久メールマガジン(平成27年8月18日発行)からの転載です。

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 もしパンダのように5本指でなかったら
 ──「戦後70年」の日韓関係について考える
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 今年は「戦後70年」。歴史の大きな節目とされ、安倍総理の談話や陛下のお言葉が内外の話題を呼んでいる。

 日本国内の平和主義者たちは、国際環境の変化などお構いなしに、戦後の平和を守ることにまなじりを決している。隣国の政治家はここぞとばかりに、日本の「植民地支配」「侵略」についての「反省」「謝罪」を要求している。

 しかし考えてみると、「70年」にさしたる意味はない。

 この1年間に、日本民族の「軍国主義」的残虐性を明らかにする新たな史実が発見されたというのなら、「反省」「謝罪」が大きく要求されるのは当然だろうが、そんな事実はない。

 10年前は「戦後60年」だったし、20年前は「戦後50年」で、それぞれ歴史の回顧がなされたのである。メディアが好む、10年ごとにめぐってくる恒例行事である。

 とすれば、新鮮味を求めるのは、所詮、無理である。

 なぜ「10年」ごとか、といえば、ほ乳類の手足の指がそれぞれ10本で、人間はたいてい10を基本に考える。それだけのことだ。むろん人は忘れっぽいから、ときどき歴史を振り返るのは大切なことである。

 それなら、もし人間の手が5本指ではなかったら、どうだろうか?

 たとえばパンダのように6本指だったら、ピアニストは両手で同時に12の音を発生されることができる。ショパンの音楽は別なものになっていたかも知れない。人間は12進法で考えることとなり、ソロバンの形は変わっていたろう。

 お隣の韓国はどうだろう?

 今年は「解放70年」、そして「日韓国交正常化50年」とされている。

 前者はもともと歴史的事実の裏付けはない。日帝支配から解放されて、悲願の独立を獲得したという歴史はない。総督府の日章旗が引きずり下ろされたあと、掲げられたのは星条旗だった。米軍の軍政が解かれ、大韓民国が独立したのは3年後だった。

 けれども、「抗日」を国是と掲げる以上、日帝からの「解放」以外に「解放」はあり得ない。歴史観に合わせて、歴史をゆがめるしかない。

 その結果、「解放記念日」と「国交正常化」の式年が同時にめぐってくる。これはいかにも不幸である。

 実際、日韓両国政府は10年前、「国交正常化40年」を「友情年」と位置づけ、多角的な交流を推進したが、友情とは名ばかりで、韓国女性省はインターネット上に「日本軍慰安婦サイバー歴史館」(http://www.hermuseum.go.kr/)を開設した。目的は「独立60年を機に、日本の悪行に対する韓国人の認識を促進する」ことだった。

 10年後の今年は、世界中の国々に慰安婦像を建て、日本に「謝罪」を要求する運動が展開されている。「国交正常化」より「抗日」の国是が優先され、その手法は10年ごとに、ヒートアップしている。じつに異常な「正常化50年」である。

 もし人間の指が12本だったら、「解放記念日」と「国交正常」の節目がいっしょにめぐってくることはなくなる。しかしそれはあり得ない。
タグ:日韓関係
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