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陛下に謝罪を要求した新華社通信──どぎつい評論は中国国内向けか? [昭和天皇]

以下は、斎藤吉久メールマガジン(2015年8月30日)からの転載です。

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陛下に謝罪を要求した新華社通信
──どぎつい評論は中国国内向けか?
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「日本の侵略戦争の犯罪行為を謝罪すべきなのは誰か」。中国国営通信・新華社は25日、今上陛下に謝罪と懺悔を要求する評論を配信し、翌日、光明日報が掲載した。

「天皇裕仁は日本が侵略した被害国と人民に、死ぬまで謝罪の意を表したことはない。その後継者は、謝罪を以て氷解を得て、懺悔を以て信頼を得て、誠実を以て調和を得るべきだ。」〈http://jp.xinhuanet.com/2015-08/26/c_134557257.htm

 昭和天皇が謝罪したことはないという指摘は中国共産党お得意の歴史改竄だし、そもそも中国共産党と日本が戦争したこともない。今上陛下に謝罪要求を突きつけるのは異例だが、ともかく、いくつか気になる点を指摘したい。


1、人民日報に載らないのはなぜか

 第一に注目されるのは、昭和天皇を「張本人」と名指しし、「後継者」である今上陛下の責任を追及していることだ。過去にない強烈さだが、日本向けではないのではないか? それなら誰が、誰に向けて、何の目的で、書かせたものなのか?

 新華社は国務院直属の機関で、ふつうなら政府と党の公式見解と考えられるが、だとすると、どうも不自然だ。

 朝日新聞の報道によると、27日、記者が「評論は共産党や中国政府の立場を示すものなのか?」と質問したのに対して、「メディアが報道した観点について、我々は評論する立場にない」と述べるにとどまったという〈http://www.asahi.com/articles/ASH8W66R4H8WUHBI01J.html〉。これも胡散臭い。

 新華社の配信を載せたのは光明日報で、党機関紙の人民日報でも、その国際版である環球時報でもなかった。光明日報は中国の知識人・文化人を対象とする新聞であり、今回の評論は、日本に向けたものではなくて、中国国内の知識人層を対象にしていると思われる。

 それなら、どぎつい評論の目的は何か?

「冤有頭,債有主(悪事を働く者は責任を取るべきで、関係ない人に累を及ぼしてはいけない)」

「後人哀之,而不鑑之,亦使後人而復哀後人也(後人これを哀れむも、これを鑑みずんば、また後人をして復た後人を哀れましめん)。」

 評論には、中国古典からのものと思われる引用文が、冒頭と末尾に配されているが、かの「反日」江沢民の常套句「歴史を鑑とし、未来に向かう」は見当たらない。

 というより、江沢民派は熾烈な党内権力闘争の結果、すでに息の根を止められているらしい。中国ウオッチャーの福島香織氏によると、今月6日から16日まで開かれた北戴河会議に江沢民の参加はなかったという〈http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20130328/245823/?rt=nocnt〉。

 今回の評論は、長老を排除し、権力をますます集中化させている習近平政権が、知識人たちに向けて発せられたもので、彼らを束ねようという狙いを持っているのではないかと想像するのだが、どうだろうか?


2、電気にかかったトウ小平

 中国共産党が歴史問題で「反日」攻勢を募らせるようになったのは「戦後50年」を経たころからで、けっして古いことではない。毛沢東主席、周恩来首相が指導した時代は「日本軍国主義の復活」を警戒したものの、国民の反日感情を煽ることは避けられた(清水美和『中国はなぜ「反日」になったか』)。

 毛沢東は、訪中した佐々木更三社会党委員長の謝罪に対して、「日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらした。皇軍の力なしには我々が権利を奪うことは不可能だった」と、かえって皇軍を称えている。

 毛沢東には「侵略」の文字はなく、したがって「謝罪」要求もない。もともと日本が戦争したのは国民党の中国であって、中国共産党ではない。

 昭和天皇が謝罪していないというのも誤りだ。逆に、いわゆる戦争責任を高い次元で痛感され、終生、ご自身を責められたのが昭和天皇だった。

 毎日新聞の岩見隆夫(故人。政治ジャーナリスト)によると、昭和53年10月に来日したトウ小平副首相に対して、昭和天皇は「我が国はお国に対して、数々の不都合な事をして迷惑を掛け、心から遺憾に思います。ひとえに私の責任です」と語りかけたという。この瞬間、鄧は立ちつくし、一部始終を見ていた入江侍従長は後に周辺に語ったらしい。

「トウ小平さんはとたんに電気にかけられたようになって、言葉がでなかった」

 入江日記(10月23日)には、次のように書き記されている。

「竹の間で『不幸な時代もありましたが』と御発言。トウ氏は『いまのお言葉には感動いたしました』と。これは一種のハプニング」

 陛下の御発言は「簡単なあいさつ程度で過去に触れない」という日中外交当局と宮内庁の事前了解とは異なるものだった。だからこそ、「ハプニング」であり、トウ小平には驚きだったのだが、率直な語りかけが心を打ったのだろうと岩見は解説している(「近聞遠見」)。

 2日後、日本記者クラブで、トウ小平は陛下との会見について、こう語っている。

「今回、私たちは天皇陛下と皇后陛下から、非常に丁重なご歓待をいただきました。それに感謝の意を表します。
 天皇陛下との会見の時間も短くはありませんでした。午餐会も入れて2時間以上でした。そしてお互いに過去についてお話ししました。しかし天皇陛下は、過去よりも未来に目を向けられているということに私たちはよく注意いたしました。天皇陛下は中日平和友好条約の調印に、非常に関心を寄せられていました」

 ここには「反日」はうかがえない。むしろ陛下への敬意すら感じられる。

 昭和天皇は立憲君主であって、具体的な政策に直接、関わっているわけではない。閣議決定に拒否権を行使なさることはなく、御前会議の空気を支配する決定権もなかった(『昭和天皇独白録』)。それでも陛下は統治者としての責任を感じておられた。

 トウ小平はよく知っていたのではないか?


3、対日強硬派との権力闘争

 けれども、江沢民国家主席の時代になって、状況は激変する。「天安門事件で共産主義の理想が色あせ、党の威信が揺らいだことで、共産党は支配の正当性を強調するために、抗日戦争の記憶を呼び起こすことが必要になった」(清水)のである。

 一党独裁体制を維持するには教育の立て直しこそが急務とされ、翌90年から全国の大学では軍事訓練が義務づけられ、愛国「反日」教育が各地で展開されるようになった。つまり、「反日」は中国の国内問題なのだ。

 平和友好条約締結20周年の1998年11月、江沢民は中国の国家元首として初来日する。来日は、日中外交当局にとって、「過去を終結させ、未来を切り開く」はずだった。

 ところが、来日した江沢民は、「平和と発展のための友好協力パートナーシップ」を謳う共同宣言の内容に激怒する。「過去を直視し、歴史を正しく認識する」「日本側は中国への侵略によって災難と損害を与えた責任を痛感し、深い反省を表明した」とはあるが、「謝罪」が明記されていなかったからだ。

 共同宣言作成の過程で、「歴史認識をきちんと書いてもらえば謝罪の表現はなくても構わない。今後、2度と歴史問題を提起するつもりはない」とまで語る中国外務省の高官もいたようだが、江沢民は違っていた。そして「平和」「友好」どころか、首脳会談で「日本は中国にもっとも重い被害を加えた」と噛みつき、宮中晩餐会でも日本を無遠慮に批判したのだった。

 江沢民時代が終わり、胡錦濤・温家宝体制が発足したころ、中国では対日関係重視の「新思考外交」が台頭していた。ロシアで実現した小泉・胡錦濤会談では、胡主席は異例なことに、初対面の小泉首相にいきなり「日本のSARS支援に感謝する」と謝意を示し、外交関係者を驚かせた。小泉首相の靖国神社参拝にもかかわらず、歴史問題は後景化した。

 しかし新外交は挫折する。大きな原因のひとつは、いわずもがな、いつの時代も繰り広げられている、中国共産党内部での熾烈な権力闘争だった。


4、終わりなき階級闘争

 新華社の評論は冒頭に「悪事を働く者は責任を取るべきだ」とある。悪いことをしたら謝罪し、償うのは、日本人の倫理と共通するが、中国共産党の主張する謝罪はかなり意味が異なるのではないか? 今上陛下への謝罪要求こそはその違いを際立たせている。

 評論は、侵略戦争なるものが、軍国主義の天皇や政府、軍隊、財閥などの勢力が発動し、中国やアジア、世界の人民に対して犯罪を行ったと主張している。軍国主義者が悪で、人民は正しいという理解は、中国共産党ならではの階級闘争史観にほかならない。

 国際法が認める戦争なら、むろん善も悪もない。弱肉強食の非情の論理だけである。雌雄が決すれば、講和条約を結び、敗戦国が賠償することで、戦争を終結させ、平和の時代が再開される。しかし階級闘争なら終わりはない。昭和天皇の「後継者」にまで謝罪を要求するのは、終わりなき階級闘争だからだろう。

 もし今上天皇が謝罪したなら、侵略した日本を悪とし、侵略された中国は正しいという階級関係を永遠に固定化するものとなるだろう。少なくとも中国共産党はそう主張するだろう。過去の日本政府による謝罪が両国関係を好転させることがなかったように、これからもあり得ないだろう。

 もしかすると、陛下への謝罪要求は、「深い反省」を盛り込まれた全国戦没者追悼式での陛下のお言葉が勢いづかせたのかも知れない。習近平は副主席時代に天皇会見をごり押しし、それをテコに数年後、権力を手にしたようだが、今度もまた陛下を利用しているのかも知れない。

 日中政府間の合意文書に「侵略」が明記されたのは、小渕・江沢民の共同宣言だった。「過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した。」とある〈http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_sengen.html〉。

「侵略」は「aggression」と英訳されている〈http://www.mofa.go.jp/region/asia-paci/china/visit98/joint.html〉。英単語の語義からいって「挑発もないのに謂われなき侵略を敢行した」という意味に受け取れるが、「日本は挑発がないのに中国を攻撃した」のだろうか? 戦争政策を推進した日本人は軍国主義者だけなのだろうか? 昭和天皇の終戦の詔書には「東亜の解放」の文言もあるが、まやかしなのであろうか?

 今年8月、新華社は「特別取材、日本右翼勢力の中国侵略戦争に関する五大謬論を論駁する」と題する評論を配信した〈http://jp.xinhuanet.com/2015-08/17/c_134525220.htm〉。

 そのなかで、「日本の対外戦争の発動は『大アジア主義』を励行し、アジア諸国が西側の植民者を追い払い、イギリス、米国といった国々の植民地体制の破壊を支援した」という歴史論を次のように批判している。

「日本の侵略者がアジア諸国の『支援』という旗印を掲げて、アジアを独占し、災いをもたらす行為をし、他国の領土で焼殺や略奪を行ったことのどこが『解放戦争』だというのか。どこがアジアの隣国を『支援』したというのか。」

 けれども、そうではない。


5、中国共産党自身の罪

 たとえば、東京裁判で死刑判決を受け、絞首台に消えた松井石根は、中国革命の父・孫文を敬愛し、中国文学に親しみ、「アジア人のアジア」を信条とした。その松井が戦争の指揮を執らなければならなかったのは、歴史の皮肉といわねばならない。

 南京陥落後、松井は戦陣に散った日中双方の将兵の御霊(みたま)を慰めたいと祈念し、血潮に染まった激戦地の土を集めさせ、これを持ち帰り、瀬戸焼にして高さ1丈の観音像を建立した。熱海・伊豆山の興亜観音である。

 松井自身の筆になる「縁起」には、「支那事変は友隣相撃ちて莫大の生命を喪滅す。じつに千載の悲惨事なり。……観音菩薩の像を建立し、この功徳をもって永く怨親平等(おんしんびょうどう)に回向し、諸人とともにかの観音力を念じ、東亜の大光明を仰がんことを祈る」と書かれている。

 友人同士が敵味方に分かれ、殺戮し合う。そんな歴史の悲劇を、単純に図式化し、断罪することに無理がある。

 もし侵略は永遠に断罪されるべき不正義だというのなら、中国共産党自身の行為はどうなのか? 前世紀の歴史ではない。21世紀の今日なお、チベット、ウイグルへの侵略は続き、あまつさえ南シナ海、東シナ海に軍事力を拡大させている。

 軍国主義者とは誰のことなのか? 誰が罪を負っているのか?

「(日本の)軍国主義の天皇や政府、軍隊、財閥などが、中国やアジア、世界の人民に対し書き尽くせぬほど多くの犯罪を犯し、侵略戦争に対して逃れられない罪を負っている。」とするなら、同様にして、中国共産党の周辺地域に対する軍国主義の発動は、「アジア、世界の人民に対し書き尽くせぬほど多くの犯罪を犯し、侵略に対して逃れられない罪を負っている」のではないか?

 日本の「東亜の解放」がイカサマなら、人民解放軍の軍事行動は何だったのか?

 やがて世界は、中国共産党自身の論理によって、中国共産党に対して、謝罪を永遠に要求することになるだろう。

 新華社の評論が、共産党政権による国内の知識人向けのプロパガンダだとするなら、中国の知識人たちは、香港の知識人も含めて、どう答えるのだろうか?
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