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国を治むるに正法をもってせよ──古代の天皇が重んじた仏典の中身 [天皇・皇室]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2015年9月21日)からの転載です

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国を治むるに正法をもってせよ
──古代の天皇が重んじた仏典の中身
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 前回、歴代の天皇が自然災害に苦しむ民に心を寄せられ、御仁慈を示されたこと、それが皇室の伝統であること、について書きました。それなら、歴代天皇はなぜそうされたのか、何がそうさせたのか、について、考えてみます。

 伝統的な考え方からすると、天皇統治は、皇祖天照大神の委任を受け、その血統を受け継いだ、万世一系の天皇による統治です。天皇のお役目は、「しらす」(民意を知って統合を図ること)であり、天皇は神々と民と命を共有する神人共食の儀礼を第一のお務めとされてきました。

 天皇は民の喜びや悲しみのみならず、命をも共有しようとされます。その精神は神人共食の祭祀によって磨かれます。天皇=祭祀王というのが伝統的な考え方なのでした。第八十四代順徳天皇は「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」(『禁秘抄』)と書き記されています。

 けれども、神道的な祭祀をなさるのだけが天皇ではありません。それどころか、歴代の天皇はしばしば仏教に帰依されました。

 興味深いのは、その帰依のあり方です。


▽ とくに重んじられた天武・持統天皇の時代

 なかでも重んじられたのが金光明経(こんこうみょうきょう)でした。金光明経は、仁王経、法華経とともに、国家安泰を願って用いられる護国三部経のひとつとされています。

 たとえば、『日本書紀』によれば、金光明経が最初に用いられたのは、天武天皇5年11月20日のことで、「使いを四方の国に遣わして、金光明経・仁王経を説かしむ」とあります。

 天武・持統期には、金光明経がとりわけ重視されたようです(松本信道「天武・持統朝の護国経典の受容について」)。

 それはなぜなのでしょうか?

 国を揺るがす壬申の乱後に即位された第四十代天武天皇は、神道儀礼を整備され、伊勢神宮の斎宮制度を確立され、式年遷宮を定められたほか、一世一度の大嘗祭を斎行されました。

 その一方で、仏教を推進され、百済大寺を遷立して、高市大寺と改称され、皇后(第四十一代持統天皇)の病気平癒祈願のために薬師寺建立を発願され、さらに金光明経を宮中などで講説・読誦させたのでした。病気平癒祈願がその目的のひとつとされます。

 つづく持統天皇は薬師寺を完成させて、勅願寺とされました。そして先帝のために内裏で営まれたのが金光明経斎会(さいえ)でした。金光明最勝王経(唐の義浄による金光明経の漢訳)を講ずる法会(ほうえ)です。

 みずから出家され、僧形となられた最初の天皇は第四十五代聖武天皇ですが、聖武天皇もまた金光明経に注目された天皇でした。

 聖武天皇の治世は、自然災害が多発し、疫病が流行した時代でした。天皇は諸社に奉幣されて神々に祈り、大赦を実施されて罪人を放免しました。

 他方、深く仏教に帰依され、盂蘭盆(うらぼん)供養を宮中行事とされ、金光明経を写経して全国に弘通し、国分寺建立、東大寺盧遮那仏(るしゃなぶつ)建立の詔を発せられました。

 つづく第四十六代孝謙天皇(重祚して第四十八代称徳天皇)の場合は、たいへん興味深いことに、その宣命(せんみょう)において、神祇と三宝の順位が逆転し、とくに金光明経が重んじられていることが指摘されています。内親王時代から何度も写経され、座右の経典とされていたというのです(勝浦令子『日本古代の僧尼と社会』)。

 政治的な転換期、災害が多発する混乱期に、天皇が金光明経に重きを置き、みずからの指針とされていたことが理解されるのですが、それならどのような内容の経典なのでしょうか?


▽ 世の悪業を黙視してはならない

 壬生台舜大正大学名誉教授が翻訳された『金光明経』を読んでみます。

 冒頭の「序品(じょほん)」以下、31の「品」から構成されるなかで、もっとも注目されるのは「王法正論(おうぼうしょうろん)品・第二十」です。

 人王たるものが国を治め、衆生を安養し、長く王位にとどまるためには、治国の要諦たる王法正論が必要だから、説いてほしいという求めに応じて、世尊(お釈迦様)が説明していくという内容になっています。

 壬生先生の解説を参考にすると、世尊は次のように説明しています。

 なぜ天子というのか、なぜ人間に生まれて人主となり、天上では天王となりうるのか、それは先の善業の力によって天に生じて王となることができ、人中においては人主となるのである。人世にあっても尊勝のゆえに天と名付けられ、諸天が護持するから天子と名付けられる。悲報悪業を滅除すれば天上に生ずることもできる。

 だから人王たるものは世の悪業を黙視してはならない。もし悪を放置すれば、国内は乱れ、怨敵に侵入され、国土は破壊され、富は失われ、天災地変が頻発し、日食・月食が起こり、五穀は実らず、飢饉となり、戦乱が起こり、疫病が流行する。

 そして、国を治むるに正法をもってし、たとい王位を失っても、生命に危害が及ぼうとも、悪法を行ずるなかれ、善をもって衆生を教化せよ、そうすれば国土は安寧を得る、と世尊は説いています。

 善をなせと教えるだけではなく、悪を認めてはならないと世尊は教え、悪政には天罰が下り、悲惨な結末を迎えると警告したのです。

 古来、「天皇に私なし」とされ、天皇は天変地異や乱世で人々が苦しむのを憂い、あまつさえ日食・月食をも災いとし、ひたすら民に心を寄せられ、しばしばご自身の不徳を責められました。なぜそうされたのか、仏教的にも説明できることが理解されます。

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