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「理由はどうでもよい」では済まされない ──竹田恒泰氏の女帝否認論を読む [竹田恒泰]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2016年3月26日)からの転載です

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「理由はどうでもよい」では済まされない
──竹田恒泰氏の女帝否認論を読む◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 当メルマガのコメント欄に匿名の書き込みがある。堂々と名乗りを上げての意見でもなく、単にリンクを張っただけだが、「なぜ男系継承でなくてはならないか」という見出しに興味を持った。

 そうなのである。「なぜ男系継承なのか」と発問し、きちんと説明してくれる識者がなかなか見当たらないのである。

 だから、その結果として、先般の国連女性差別撤廃委員会勧告騒動のようなゴタゴタが起きるのだと私は考える。


▽1 説明を放棄している

 リンク先はある神社のサイトに載った竹田恒泰氏の皇室論の第3回だった。いつごろの執筆かは分からない。

 問題関心を共有できる筆者にやっと出会えた喜びで、期待を膨らませて読んでみたが、正直、裏切られた。

 竹田氏は「なぜ」と問いかけたものの、その直後、「もはや理由などどうでもよい」と論理的に説明することを放棄してしまっている。

 現代人にとって、男女平等は普遍的な原理である。だから男系男子に限られている皇位継承は女性差別となり、男女に関わりのない長子継承に変えるべきだという主張もされるのである。

 そんなことは竹田氏にとって先刻承知だろうし、読者としては竹田氏の知識と見識に期待が高まるはずだ。

 ところが、竹田氏は、「経験と知識に基づいて成立してきたものは、存在理由を言語で説明できない」「特定の理論に基づいて成立したのではない」「天皇そのものが理屈で説明できない」と問題を投げ出している。


▽2 古いものに価値がある

 竹田氏は歴史的事実の重みを強調する。

「理論よりも前に、存在する事実がある。男系継承の原理は古から変更されることなく、現在まで貫徹されてきた。これを重く捉えなくてはいけない」

 古くから続いてきたものには価値がある。だから「もはや理由などどうでもよい」「特定の目的のために作られたものよりも、深く、複雑な存在理由が秘められていると考えなくてはいけない」というわけである。

 つまり、「理由がない」のではなくて「考えつかない」ということだろうか。

 古いものに価値がある、長く続いてきたものには重要な意味がある、というのは認められる。しかしだからといって、存在理由を探求することを放棄してしまっては、「差別」の烙印を押されても仕方がないだろう。

 知的探求をみずから停止する開き直りとさえ映る。

 なぜそうなってしまうのだろうか。探求の仕方に問題があるのかもしれない。


▽3 「王朝」による支配

 竹田氏は皇位の「男系継承」について説明し、性別の問題ではなくて、「家の領域の問題」だと述べる。

 つまり、いくつかの王朝が興亡交替するのではなく、皇室という1つの「王朝」によって日本という国が古来、一貫して統治されてきたという歴史である。

 過去に女性天皇は存在したが、女性天皇の子孫に皇位が継承される歴史はなかった。

 イギリス王室なら、女王が王位を継承すれば、そのあとは王朝が変わり、父方の王朝名を名乗る。そのようにして王制は続いてきた。

 だが、日本はそうではない。

 小嶋和司東北大学教授(憲法学。故人)は、皇族身分を取得する条件が異なることを指摘している。

 ゲルマン法体系によれば、(1)父および母が王族であること、(2)父母の正式婚姻の子であること、が要求される。生まれてくる子に王位継承資格が否定される、民間女性との婚姻は許されない。

 だから、王統に属さないシンプソン夫人との結婚を選んだエドワード8世は退位のやむなきに至ったのである。

 けれども日本では、母方には皇族性を求めない代わりに、父系の皇族性が厳格に要求される。ここに女性天皇認否の核心があると小嶋先生は説明するのだが、なぜそうなのか。


▽4 男性を締め出す制度

 竹田氏は、その質問に答える代わりに、男系継承が女性蔑視ではないことを解説する。

 いわく、皇室は民間出身の女性を后妃として受け入れてきたけれども、内親王・女王と結婚した民間男性が皇族となった歴史はない。つまり「女性を締め出すのではなく、男性を締め出す制度」だというのである。

 なるほど、日本では、民間の女性でも婚姻によって、皇族となり、皇后となって、天皇と同様に「陛下」とも尊称される。さらに、現行皇室典範によれば、天皇に代わって国事行為を行う摂政ともなり得る。これは差別とは言いがたい。

 けれども、こうした竹田氏の説明はやはり舌足らずである。

「男性を締め出す」のは皇室という王朝の支配原理が重要だからだろう。

 ところが、この王朝の原理がなかなか理解されない。小嶋教授が述べているように、明治の典範は臣籍出身の后妃をも「皇族」とし、皇位継承資格者としての「皇族」と待遇身分としての「皇族」とを混同させたからだ。

 竹田氏も同様に混同していると思われる。

 民間女性が婚姻によって皇族となるのは、あくまで「皇族待遇」に過ぎないのであって、皇位継承資格者としての「皇族」ではないのである。


▽5 天皇のお役目は何か

 竹田氏は「男系継承の原理は簡単に言語で説明できるものではないが、この原理を守ってきた日本が、世界で最も長く王朝を維持し現在に至ることは事実だ。……何でも好き勝手に変えてよいということはない」とコラムを締めくくっている。

 だが、単に皇室制度が長く続いてきたというのでなくて、どういう制度として続いてきたのか、が重要なのではないか。

 天皇とはどういう存在として、何をお役目として続いてきたのか、そのことと男系継承とはいかなる関係にあるのか、が合理的に説明されていない。その結果、「女性差別」という議論が続いているのではないだろうか。

 価値判断の物差しが異なる異文化圏の人々にはなおのこと、理解できないだろう。

 自分たちの物差しで「差別」と断じる人たちの言説が受け入れがたいのは当然だが、竹田氏のように「天皇弥栄」を唱える側の皇室研究の不十分さが誤解や曲解を野放しにし、拡大されている可能性はないかと憂えるのである。

 竹田氏が言い切るように、「理由などどうでもよい」では済まされないのである。


▽6 夫や乳幼児のいる女性天皇はいない

 竹田氏はコラム・シリーズの「第2回 『女帝』とは何か」で、「なぜ天皇は男性であることが原則なのだろうか」と問いかけ、「日本の天皇は『祭り主』であり、権威的存在であるため」と説明し、「宗教的権威を男性に限り、男系によって継承する考え方は、世界の宗教の常識であり、特別変わった考え方ではない」と擁護している。

 問題はここである。なぜ「祭り主」ならば男性に限られるのか、である。女性天皇も存在したのに、男系継承が固持されたのはなぜだろうか。

 3つのポイントを指摘したい。

 1つは、「女性が皇位に就くと、生涯未亡人、もしくは未婚を貫かなければならない不文律があった」と竹田氏が指摘しているように、皇配がおられる女性天皇、皇子を子育て中の女性天皇は日本の歴史には存在しないことである。

 女性が皇位を継承できなかったのではなく、夫や乳幼児のいる女性による皇位継承が認められなかった。それは女性差別とはいえないと思うが、なぜそうだったのか。


▽7 「無私」のお立場ゆえに

 2番目は、竹田氏は、ローマ教皇、ダライ・ラマなど男性の宗教的権威の継承を例示しているが、日本の天皇との際だった違いがある。それは「天皇、即位したまわんときにはすべて天神地祇祭れ」(養老令)とされたのみならず、仏教の外護者となり、近代の皇室はキリスト教の社会事業を支援されたことである。

 天皇はローマ教皇やダライ・ラマ法王とは異なり、特定宗教の「祭り主」ではないのであった。まさに「天皇無私」なのである。

 3番目は、天皇は古来、「祭り主」とされたが、近代には立憲君主となり、大元帥ともされた。戦後、天皇は軍服を脱がれたが、今日、政府・宮内庁は天皇が「祭り主」であるというお立場を公的に認めていない。祭祀はあくまで「私的行為」である。

 憲法の国事行為を行い、ご公務をなさる天皇ならば、男性でも女性でも何の問題もないだろう。けれども、「すべて天神地祇祭れ」とされる「祭り主」なればこそ、「無私」のお立場を貫くため、独身もしくは寡婦を貫かざるを得ない。しかしそのことを内親王殿下に要求申し上げるのはしのびない。

 これは「差別」だろうか。私はむしろ逆だと思う。

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