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葦津珍彦の天皇論に学ぶ? ──竹田恒泰の共著『皇統保守』を読む [竹田恒泰天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2016年4月10日)からの転載です

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葦津珍彦の天皇論に学ぶ?
──竹田恒泰の共著『皇統保守』を読む
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 竹田恒泰氏の本に、憲法学者の八木秀次氏との対談をまとめた『皇統保守』(2008年)がある。

 前書きによれば、「日本人としてのあるべき姿を取り戻し、将来の日本のあり方を真剣に考えたい。それが本書のテーマとなる『皇統保守』である」(「はじめに」)とされる。

 けっこうなことだが、それならなおのこと、気になる点がいくつかあるので、僭越ながら指摘したい。


▽1 言葉では説明できない?

 まず、第一章のなかの「なぜ、天皇は尊いのか──葦津珍彦に学ぶ」と見出しのついたくだりである。

 八木氏が主唱する、いわゆるY染色体論の議論に続いて、竹田氏は「Y染色体論、もしくは万世一系論を議論することは、『天皇がなぜ尊いのか』という議論に直結するわけです。この点では、やはり、戦後の神道界に絶大なる影響を与えに思想学者・葦津珍彦先生の理解が至当と考えています」と述べている。

 竹田氏は、「葦津先生は……『なぜ天皇が尊いのか』というところに関しては、『言葉では説明できない』と断言されるわけです。やはり、わたしもそうだと思うんです」と語る。

 日本人それぞれに、宗教観、歴史観、見た目など、さまざまな理由があり、天皇について好き嫌いがある。Y染色体論は、天皇の尊さに関する、数ある理由の1つに過ぎない、と説明している。

 竹田氏は、先般、取り上げたコラムでも、「なぜ男系継承でなくてはならないのか」について、「言語で説明することはできない」「理由などどうでもよい」と述べているが、説明を拒否する理由づけに、葦津の天皇論が引き合いにされているらしい。


▽2 葦津のテーマは国体論

 いわんとすることは理解できるけれど、誤解を招く恐れがあると疑われるので、指摘することにする。

 竹田氏の理解では、皇統が万世一系で続いてきたことは「尊い」ことであり、そこにはさまざまな理由がある。その尊さは葦津珍彦が指摘しているように「言葉では説明できない」ということなのだろう。

 そうだとすると、竹田氏の理解は、少なくとも私の葦津理解とは異なる。

 間違いがあればご指摘いただきたいが、私の理解では、葦津は「なぜ天皇は尊いのか」というような発問をしていないと思うし、血がつながっているから「尊い」というような議論をしているわけでもないと思う。

 そうではなくて、葦津のテーマはいわゆる国体論であり、国民の根強い国体意識ではないだろうか。


▽3 「国体」「国体意識」の多面性

 葦津は「思想の科学」昭和37年4月号に掲載された「国民統合の象徴」で、未曾有の敗戦によっても衰えることがなかった日本の天皇制の「根強い力」に注目し、「日本国民の天皇意識」について説明している。

「私の考えによれば、日本の国体というものは、すこぶる多面的であり、これを抽象的な理論で表現することは、至難だと思われる」

「(国民の国体)意識を道徳的とか宗教的とか政治的とかいって割り切れるものではない。そこには、多分さまざまの多彩なものが潜在する。とにかく絶大なる国民大衆の関心を引き付ける心理的な力である。これが国および国民統合の象徴としての天皇制を支えている」

「この根強い国体意識は、いかにして形成されたか。それは、ただ単に、日本の政治力が生んだものでもなく、宗教道徳が生んだものでもなく、文学芸術が生んだものでもない。それらすべての中に複雑な根を持っている」

 少なくともこのエッセイでは、葦津は、「天皇がなぜ尊いか」を解き明かしているのではなく、まして「好き嫌い」を論じているのでもない。

 葦津は、日本の天皇制が、世界史上の敗戦国とは対照的に、未曾有の敗戦を経験しながらも、なぜ強固に存続し続けているのか、その「根強い力」の秘密に迫っている。

 そのうえで、「言葉では説明できない」のではなくて、「日本の国体」あるいは「日本人の国体意識」の多面性、複雑性を指摘しているのである。「説明できない」と「断言」している柴五郎
のではなくて、「簡単には説明できない」ということだろう。


▽4 お内裏さまは天子さま

 たとえば別の文章で、葦津は、柴五郎陸軍大将の幼少期、幕末の会津藩の思い出を取り上げている(『天皇──日本人の精神史』)。

 朝敵とされ、必敗の戦いを迫られていた藩の屋敷には、例年通り、内裏びなが祀られていた。そのとき十歳の五郎が「母上、内裏様は天子さまと聞きますがまことですか」と聞くと、母は黙ってうなずいたという。

 天子さまを祭り敬っているのに、なぜ朝敵の汚名を着せられねばならぬのか、母に問いただしたかったが、厳しい表情を見て、思いとどまったというのである。

 ひな人形の歴史は少なくとも平安時代にさかのぼり、源氏物語が広く庶民にまで浸透する江戸期になって、御所文化への憧れが反映され、今日のような坐雛(すわりびな)が完成したといわれる。

 日本人の国体意識は、葦津がいうように多面的に形成されてきたのであり、ひな祭りの習俗もまたその1つなのである。


▽5 竹田氏に論じてほしいこと

 もう一点だけ、付け加えると、竹田氏の「皇統」論は、ともすれば血のつながりという生物学論に傾いているような響きがあるが、葦津の皇統論はそうではないと思う。

 竹田氏ふうに表現すれば、天皇は万世一系、血がつながってきたから「尊い」というのではなくて、葦津は、天皇が「万世一系の祭り主」であるという点を重視し、祭祀を天皇最大のつとめと理解している。

 時あたかも今月3日、陛下は神武天皇2600年式年祭を山陵で親祭になったが、初代天皇の式年祭を今上天皇が親祭になる意義はきわめて大きい。

 葦津は「天皇・祭祀・憲法」という一文で、次のように書いている。

「(天皇の)祭儀は、おおむね皇祖および歴代の皇宗に対する御祭である。それは天皇が、日本国の建国の祖およびその継承者たる歴代の祖に対して、その精神の現代における継承者として行われるものである。……国民は、この天皇の祭儀によって、建国の精神を回想し、あるいは光輝ある国史の印象を新たにする。それは日本国天皇が、国家の精神的基礎を固め成し、国民の精神を統合して行かれるためにも貴重な御つとめなのである」

 明治の典憲には天皇の祭儀について規定があったが、現行の憲法・皇室典範には神器の継承や大嘗祭の挙行に関する定めが消えている。葦津の天皇論に学ぶなら、竹田氏に論じてほしいのは、Y染色体論より、むしろそのことである。

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