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国民を統合する天皇のおつとめ ──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その2 [竹田恒泰天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2016年4月24日)からの転載です

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国民を統合する天皇のおつとめ
──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その2
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 竹田恒泰氏の天皇論について、批判を続けます。

 私は、竹田氏の女系継承否認、「女性宮家」創設反対の結論には大いに同意する立場ですが、思考の過程については異議を唱えなければならないと考えています。

 竹田氏の天皇論では、女系継承肯定=「女性宮家」創設論に対して、十分に対抗することができないと思うからです。伝統主義を鍛え直す必要があると考えるからです。


▽1 「葦津に学ぶ」というけれど

 竹田氏の天皇論は、その著作によれば、天皇のお務めは祭祀を行うことにあるという、伝統主義的な、天皇=祭り主論の立場に立っています。

 その基本に置かれているのが、「戦後唯一の神道思想家」といわれる葦津珍彦の天皇論なのですが、ここに問題があるようです。

 竹田氏は、「葦津に学ぶ」と表明しつつ、実際のところは、問題関心も引用の中身も違っているように見えるからです。

 前回は、八木秀次氏との対談をまとめた『皇統保守』の第一章をテキストにして指摘しました。今回は第二章に読み進みます。

 この章は、まさに議論の中心となるべき祭祀論が展開されています。「宮中祭祀こそ皇室の存在意義」と題され、葦津の文章が繰り返し引用されているのですが、問題関心も結論も葦津とは異なっているように、少なくとも私には見えます。

 論点は、(1)宮中祭祀、(2)政教分離、(3)憲法改正論の3点かと思いますが、何がどう違うのか。その違いの背後に何があるのか、考えてみたいと思います。

 今回は、(1)について、考えます。


▽2 議論は十分なのか

 第二章の冒頭で、竹田氏は、「我々が皇統保守を語るうえで、『宮中祭祀』は避けて通ることのできないものです。天皇とは祭祀王である」と述べ、天皇=祭り主とする伝統的立場を表明しています。

 この章のテーマは、原武史氏(明治学院大学教授=当時)が平成19年ごろから主張された宮中祭祀廃止論に対する批判です。

 原氏の主張は、天皇=祭祀王論に挑戦する、きわめて挑発的な内容でした。けれども、基本的理解が致命的に欠けていて、間違いだらけだ、と当メルマガもかなり徹底して批判したことがあります。

 したがって原批判は当然であり、竹田氏の所論には共鳴するところも多いのですが、「宮中祭祀のことを何もご存じではない」とまで原氏を断じるのであれば、竹田氏ご自身はどうなのか、と問い直してみたくなります。

 葦津は、天皇が祭り主であると同時に、「日本人の精神の統合者」であると説明しています。天皇の祭りが国民統合の機能を持っているということなのですが、竹田氏の天皇=祭り主論には後者が抜けているようです。

 天皇が祭りをなさることはいかなる意味を持つのか、天皇の祭祀とは、したがって天皇による統治とはいかなるものなのか、竹田氏の追究もまた、廃止論を唱える原氏と同様に、十分とはいえないのではありませんか。


▽3 いかなる神に祈るのか

 竹田氏は、八木氏との対談で、祭祀が「皇室の根幹の部分をなすもの」「存在意義そのもの」であり、原氏がいうような明治の創作ではなくて、古代から続く伝統だと説明しています。

 元内掌典・高谷朝子氏『宮中賢所物語』も引用され、祭祀が「年間400回前後行われている」ことや「斎戒」や「作法」の実際について解説しています。

 それらはまったく仰せの通りです。

 竹田氏は、天皇の祭祀について、だれが、いつ、どこで、なにを、どのように、なさるのか、基本を正しく説明しています。

 しかし、肝心な点について、葦津とも、私とも、理解が異なるようです。

 つまり、天皇はいかなる神に祈るのか、それはどのような意味を持つのか、です。

 少なくともこの対談では、追究が十分でない。そのことが、そのあとの政教分離論や憲法改正論にも影響し、葦津を引用しつつ、葦津とは結論が異なる原因にもなっているように私には見えます。


▽4 皇祖神への祭りか?

 竹田氏は、「葦津先生の著書に、こう書かれてあります。天皇のことについてですが、『神に接近し、皇祖神の真意(「神意」の誤記であろう。校正ミスか)に相通じ、精神的に皇祖神と一体となるべく日常不断の努力をなさっている』と」と述べています。

 とすれば、天皇の祈りはもっぱら皇祖神に対して行われるもの、と竹田氏はお考えなのでしょうか。葦津は天皇=祭り主とされることについて、そのように理解していたのでしょうか。

 竹田氏の引用の出典を明示しようと思い、葦津の天皇論を洗い直してみましたが、なにしろ葦津の著作は膨大です。まだ見つけ切れずにいます。

 正確なところをご存じの方がいれば、助けていただきたいのですが、私の記憶では、天皇=神ではないという論旨の文章であり、そこには「天皇は皇祖神の神意に相通じ、精神的に皇祖神と一体たるべく日常不断の努力を行う祭り主であり、祭神そのものではない」と述べられていたように思います。

 葦津の趣旨は、むしろ「(天皇は)祭神そのものではない」にあるものと思います。葦津の祭り主論を引用するにしても、もっと適切な典拠が示せなかったものでしょうか。


▽5 天神地祇を祀ることの意味

 葦津の天皇=祭り主論を引用するなら、たとえば、「天皇・祭祀・憲法」に次のように書かれています。

「天皇の皇室における祭儀は……おおむね皇祖および歴代の皇宗に対する御祭である。それは天皇が、日本国の建国の祖およびその後継者たる歴代の祖に対して、その精神の現代における継承者として行わせられるものである。あるいは、日本国の歴世の功労者たちを追念して行わせられるものである。国民は、この天皇の祭儀によって、建国の精神を回想し、あるいは光輝ある国史の印象を新たにする。それは日本国天皇が、国家の精神的基礎を固め成し、国民の精神を統合して行かせられるためにも貴重な御つとめなのである」

 天皇の祭祀はむろん皇祖天照大神に捧げられます。しかし、葦津が書いているように、それだけではなく、歴代の天皇あるいは天神地祇に対して、祈りが捧げられます。国民をひとつに統合するお務めがあるからです。

 いみじくも宮中三殿は皇祖を祀る賢所のほか、皇霊殿、神殿を合わせた総称です。皇祖神にのみ祈るのなら、賢所の祭儀だけで十分です。

 竹田氏の天皇=祭り主論は皇祖神への祈りで終わっているのではないでしょうか。


▽6 竹田研究会に期待する

 竹田氏と対談した八木秀次氏が指摘しているように、第29代欽明天皇の時代、仏教の受容について、崇仏派が「西蕃の諸国は礼拝している」と主張したのに対して、「天地社稷を祀るのが天皇だ」と排仏派は反対したと古典に記録されています。

 第33代推古天皇の時代には仏教が国家的に受容されましたが、中国や朝鮮とは異なり、既成宗教が排除されず、共存しました。これも八木氏が指摘しているところです。

 古代律令には「およそ天皇、即位したまはむときには、すべて天神地祇祭れ」(神祇令)とされ、歴代天皇は皇位継承後、皇祖神のみならず、天神地祇を祀られたのです。

 八木氏の解説は、順徳天皇が『禁秘抄』に著された「およそ禁中の作法は神事を先にす」という皇室の祭祀優先主義を説明することが趣旨ですが、お二人の対談は、天皇が「天地社稷百八十神」を祀ること、「天神地祇を祭る」ことの意味が十分に深められていないように思います。

 竹田氏は全国的な研究会を組織されているようですが、天皇の祭祀とは何か、組織的な研究をさらに深めていただきたいと願っています。
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