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なぜ粟の存在を無視するのか ──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その4 [竹田恒泰]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2016年5月2日)からの転載です

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なぜ粟の存在を無視するのか
──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その4
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 竹田恒泰氏の天皇論を批判的に考察しています。

 竹田氏の『皇統保守』の第二章は、原武史氏の宮中祭祀廃止論を批判の標的にしています。当然、お二人の結論は異なるのですが、前提はあまり変わりません。

 原氏は天皇の祭りを「農耕儀礼」と考え、竹田氏は「稲作儀礼」とお考えのようです。しかしいずれも間違いだと私は考えます。


▽1 新穀を神人共食する「農耕儀礼」

 原氏は月刊「現代」2008年5月号に「宮中祭祀の廃止も検討すべき時がきた 皇太子一家『新しい神話づくり』の始まり」と題する論考を書き、廃止論を展開しました。天皇の祭祀を具体的にどのようなものとお考えなのか、拾い読みしてみましょう。

「宮中祭祀につては、天皇が出るべきものは、最も重要とされる『新嘗祭』を筆頭に1年間で30回前後あります」

「アマテラスや神武天皇などの存在を心から信じて祈ることが求められています」

「新嘗祭は、秋に収穫した穀物を皇祖皇神(皇祖皇宗の誤記か)に供えて共に食べる祭祀で、毎年11月23日におこなわれます。本来は『夕の儀』と『暁の議』という、内容が全く同一の祭りから成り、夕方から未明までかかる祭祀でした。
 暖房設備のない神嘉殿で正座しなければならない新嘗祭は傍目にも過酷で……」

「宮中祭祀に臨む姿勢は、ある種の自己犠牲の精神につながります。自分の身というものを犠牲にしてでも、国民の平和や五穀豊穣を祈る……」

「新嘗祭をはじめとする宮中祭祀は民俗的な農耕儀礼と密接にかかわっています」

「天皇が祈年祭で秋の収穫を祈り、新嘗祭で収穫を感謝する。それは農村のさまざまな儀礼と基本的に一致していた……」

「そもそも、宮中祭祀の大部分は明治以降につくられたものです」

 とくに新嘗祭についていえば、原氏は、天皇が穀物(米の意味か)を皇祖皇宗に供え、国民の平和や五穀豊穣を祈り、直会なさる農耕儀礼と原氏は理解しているようです。宮中祭祀廃止論はそこから導かれます。


▽2 米の新穀を天照大神に供える

 これに対して竹田氏は、『皇統保守』の第二章で、鎌田純一や折口信夫、そして葦津珍彦を引用し、天皇一世一度の新嘗祭である大嘗祭や新嘗祭について説明しています。

「正確を期すなら、『大嘗祭』については、いろいろな学説があり、明確な見解は定まっていません。ただ、皇學館大学教授や宮内庁侍従職御用掛を歴任され、神道界に影響力のある鎌田純一先生がおっしゃるのは、天皇が最初に新穀を神に捧げるお祀りであり、これが本義であると、ご説明されています」

「新嘗祭は、新穀を最初に神様、天照大神にお供えするという趣旨の祭祀です。ですから、五穀豊穣を感謝し、そして次の年の実りを祈願する。もちろん、天変地異の災害がないことを、実際に畑を耕して、農耕する人たちの安全や、国民の幸せすべてを含んだうえで、新穀の感謝をされる。
 これは非常に尊い祭祀なんです。何しろ、日本は米の国ですから。米をしっかりつくる。その上でその上に文化が成り立つ安定の基盤があるわけです。ですから、ご新穀感謝を祈ることは、その上に成り立つすべての産業を、国民の幸せを一心に祈っていらっしゃるということでもあります。一年に一度、最初にお米ができたことを神様に『ありがとうございます』とおっしゃる。非常に尊いお祀りなんです」

 つまるところ、新嘗祭や大嘗祭は稲の新穀を天照大神に捧げ、五穀豊穣を祈る祭祀だと竹田氏は理解しているわけです。(1)祈りの対象は皇祖神である、(2)供え物は米の新穀である、(3)祈りの意味は五穀豊穣である、という点で、反対意見の原氏と完全に一致します。


▽3 新米・新粟を捧げ、召し上がる

 しかし、天皇の祭りを論ずる際、基本中の基本であるこの3点について、事実は違うのではないでしょうか。すでに申し上げましたように、天皇の祈りは皇祖天照大神にのみ捧げられるわけではないし、米の祭りとは言いがたいと思います。

 昭和天皇の祭祀に携わった元宮内省掌典・八束清貫は、「皇室祭祀百年史」にこう書いています。

「この祭りにもっとも大切なのは神饌である。なかんずく主要なのは、当年の新米・新粟をもって炊いだ、米の御飯(おんいい)および御粥(おんかゆ)、粟の御飯および御粥と、新米をもって1か月余を費やして醸造した白酒・黒酒の新酒である」

「陛下には……次々に運びこむ神饌を古来伝承のお作法に従い、長時間にわたって丁寧に親供される。親供が終わると、うやうやしく拝礼、お告文を奏上されて五穀の豊穣を奉謝し、皇宝・国家・国民の上を祈らせられる。
 このお告文がすむと、陛下には神々とご対座で新穀(米御飯、粟御飯)、新酒(白酒・黒酒)を召し上がられるのである」

 八束は米の儀礼ではなくて、米と粟の儀礼だと説明しているのですが、原氏にも竹田氏にも粟が抜けています。粟の存在は無視していいものなのでしょうか。


▽4 米と粟に軽重の差はない

 古来、大嘗祭の記録が多く残されています。しかし天皇の祭りは秘儀に属します。後鳥羽上皇の日記などは漢文体で書かれており、読みやすいものではありません。

 そのなかにあって、京都・鈴鹿家に伝わる「大嘗祭神饌供進仮名記」は仮名書きで異色です(宮地治邦「大嘗祭に於ける神饌に就いて」)。神饌御進供の様子が生々しく記述されています。

「次、陪膳、両の手をもて、ひらて一まいをとりて、主上にまいらす。主上、御笏を右の御ひさの下におかれて、左の御手にとらせたまひて、右の御手にて御はんのうへの御はしをとりて、御はん、いね、あわを三はしつつ、ひらてにもらせたまひて、左の御手にてはいせんに返し給ふ……」

 宮地(神祇史)の解説によれば、天皇はまず米飯を3箸、つぎに粟飯を3箸、枚手(ひらで)に盛り、陪膳の采女に返し、陪膳はこれを神食薦(かみのすごも)のうえに置きます。御飯の枚手は10枚、供せられるのです。

 天皇の所作では米と粟の間に軽重の差はありません。新嘗祭・大嘗祭は米の祭りではなくて、米と粟の複合儀礼なのです。

 問題はその意味です。米と粟を捧げるのは、五穀豊穣の祭りだからでしょうか。葦津が主張するように、国民統合の儀礼だからではないのでしょうか。(つづく)


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