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葦津珍彦の天皇=祭り主論と違う!? ──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その6 [竹田恒泰]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2016年5月4日)からの転載です

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葦津珍彦の天皇=祭り主論と違う!?
──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その6
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 竹田恒泰氏は、八木秀次氏との対談をまとめた『皇統保守』で、「葦津珍彦に学ぶ」ことを表明し、葦津の著書を何度か引用しています。

「第一章 マスコミの皇室報道を検証する」では1回、「第二章 宮中祭祀こそ皇室の存在意義」では3回、計4回、葦津の名前が登場します。

 けれども、その引用は適切なのかどうか、正直なところ、疑わしいように私は感じます。


▽1 「なぜ尊いか」ではない

 まず第一章では、八木氏が主唱された、いわゆるY染色体論について、お二方の会話があり、「なぜ、天皇は尊いのか──葦津珍彦に学ぶ」という見出しのあと、竹田氏はこう語っています。

「Y染色体論、もしくは万世一系論を議論することは、『天皇がなぜ尊いのか』という議論に直結するわけです。この点では、やはり、戦後の神道界に絶大な影響を与えた思想学者・葦津珍彦先生の理解が妥当と考えています。

 葦津先生は理論的に神道を説明するタイプの学者でしたが、『なぜ天皇は尊いか』というところに関しては、『言葉では説明できない』と断言されるわけです。私もそうだと思うんです」(P.44-45)

 つまり、竹田氏は、初代神武天皇以来、皇位が世界に類例がないほど長く、男系男子のみで継承されてきた歴史を見定め、その価値の重さを認め、その理由を「天皇の尊さ」にあると考え、そのうえで葦津の天皇論を論拠として、「尊さ」は「説明できない」と述べているわけです。

 けれども、葦津の天皇論は、目的も着眼点も、竹田氏とは違うのではないでしょうか。葦津の天皇研究は、「尊い」理由ではなくて、「存在理由」を究明しようとしたのです。


▽2 存在理由を究明する

 葦津はずばり「天皇制研究とは何か」でこう書いています。

「天皇制の研究ということは、天皇制の存在理由を明らかにしようとするものである。日本国の国家制度の上に、天皇の存在の有無がいかなる意味を存するかを究明しようとする制度論である。……著者のいうところの『天皇制研究』は、制度論の上で、天皇制否定理論と対決することを第一の課題とするものである」

 また、プラトンの対話篇風に表現された『天皇──日本人の精神史』では、「この憲法のもとで生まれ育ってきた新世代の国民には、なにゆえに、天皇が存在せねばならないか、という存在理由が分からなくなってくる。その存在理由が明らかでないものは存在する必要がない、という論が起こってきても当然ではあるまいか」と「客人」にたださせ、それに対して「主人」にこう答えさせています。

「この社会に存在するものでも、自然発生的に現れてきたものの存在理由は、なかなか分からない。それは一つの特定理論があってはじめて存在するのではない。理論よりも前に、まず存在する事実がある」

 竹田氏の問題関心は天皇の「尊さ」ですが、葦津はもとよりそうではありません。天皇の「存在理由」について、「説明できない」ではなくて、「なかなか分からない」と述べているのです。けれども、天皇制否定論と対抗するには、どうしても究明しなければならない。葦津の精力的で、膨大な天皇制研究はそこから始まったのです。


▽3 天皇ではなく国民の天皇意識

 天皇は「尊い」から存在してきたというような発想も、葦津にはなかったかも知れません。

 葦津は「国民統合の象徴」という雑誌記事のなかで、20世紀史上、敗戦国の王朝は必ず廃滅すると信じられたなかで、唯一、「日本の天皇制は、その力強い力を立証した」。その理由は何かと問い、戦後の対日政策に関わったライシャワーの著書を引き、「日本国民の天皇意識」にあることを指摘しています。

 葦津の記事では、ライシャワーの文章が次のように要約されています。

「われわれは共和革命への扉を開いておいたが何も起こらなかった。共産党だけが君主制の廃止を支持したが、非常に不人気だった。皇位廃止を強行すれば、大多数の日本人の決然たる反対が起こったであろう。われわれは天皇への忠誠という強い感情的な向かい風に抗して進むことになったであろう。われわれは方針を変更して進んだ。

 日本の歴史は、天皇制の危機は、天皇の行為にあるのではなく、天皇に対する臣民の態度にあったことを示している。この臣民の態度は外国の命令によって天皇と皇族とを取り除いても変わらないだろう。……」(『合衆国と日本』。邦訳は『太平洋の彼岸』)

 竹田氏の天皇論は天皇に光を当てようとしていますが、葦津はそうではなくて、国民の心理に目を向けています。それなら強固な天皇意識はどのようにして生まれ育ったのでしょうか。それは天皇=祭り主論とどう関わるのでしょうか。


▽4 「天皇の本質は祭り主」

 竹田氏の共著の第二章では、天皇=祭り主論の説明のなかで、葦津の天皇論が取り上げられています。

「葦津珍彦先生が『天皇の本質は祭り主である』と言っています。この考え方は、現在の神道界で標準的な考え方になっています。これに反対する神主は一人もいません。その葦津先生の著書には、こう書いてあります。天皇のことについてですが、『神に接近し、皇祖神の真意(ママ。葦津の原文では「神意」)に相通じ、精神的に皇祖神と一体たるべく日常不断の努力をなさっている』と。この考え方が神道界の基本的な考え方です。
 この『神に接近し、皇祖神の真意(ママ)に相通じ、精神的に皇祖神と一体たるべく日常不断の努力をなさっている』。これは大変重たいことです。
 神に接近するというのは、つまり、宮中の祭祀を行うということです。それも、ただ単に、接近するだけではダメなんです。『皇祖神の真意(ママ)に相通じ』なければならない。それだけでも大変なのに、『相通じた』だけではダメなんです。『精神的に皇祖神と一体たるべく』でなければならない。しかも一度だけでは足りず、『日常不断の努力をなさっている』。つまり、毎日欠かさず、です。要するに、天皇でなくなるまで、つまり崩御の日まで連続する──これが天皇の本質なんです」(P.111-112)

 第二章は原武史氏の宮中祭祀廃止論を批判することがテーマです。原氏は、天皇の祭りは農耕儀礼である。現代はもはや農耕社会ではないのだから、廃止を検討すべきだと提案したのですが、天皇の本質が祭り主にあるとすれば、祭祀をなさらない天皇はもはや天皇とはいえず、危機以外の何ものでもありません。

 竹田氏は、反論の中心に、敗戦という未曾有の危機の時代に「神道の社会的防衛者」を自任し、戦後の神社界をリードしてきた葦津の天皇論を置いたのです。


▽5 神聖をもとめる心

 竹田氏が引用した一節は、「神聖をもとめる心─祭祀と統治の間」と題された文章のなかにあります(やっと見つけました)。

 この論考は日本国憲法批判です。「世界の憲法にはまったく例のない特殊な法思想の上に立っている条文が多い」と批判し、「祖国への神聖感、忠誠をまったく否定しているのも、そのいちじるしい例である」として、「日本天皇の神聖感について語り、天皇の神聖ということが日本人にとっていかなる意味を有するか、ということの一端を解明」しようとしたのです。

「日本では、遠く悠久の古代から祓いが行われ、祭りが行われて、民族の中にこの『神聖をもとめる心』が保たれてきた。村々では、人々の罪穢れを祓い浄めて、人々が神々の恵みのもとに仕事にはげみ、豊かな経済をいとなみ、穏やかで安らかな共同生活が保たれることが祈られた。それは村ばかりでなく、地方の国々においても行われたし、そのすべてを統合しては、天下の祭りとして行われた。ここで天下といったのは、近江とか、摂津、河内などという一国ではなく、日本国土すべてというほどの意味であって、その祭り主こそが天皇である」

 そして「(祭りを第一のおつとめとする)天皇の存在が、日本人の神聖をもとめる心を保ってきた」と述べ、竹田氏が引用した文が続き、「天皇が祭りをなさり、全国津々浦々の神社における祭りが行われることによって、日本人の神聖をもとめる心が保たれてきた」のである。神聖感が抹殺された政治状況から日本を救い出すために、天皇の祭祀大権をまったく無視した現行憲法は改められるべきだと説いたのです。


▽6 適切な引用文はほかにある

 竹田氏の引用では、この文章があたかも、葦津が天皇=「祭り主」論を解説したものであるかのように読めますが、そうではありません。「祭り主」論なら、前に申しましたように、もっと適切なものがほかにあると思います。

 葦津はこの文章で、帝国憲法には「天皇の神聖」が定められていた。北欧諸国の憲法には「国王の神聖」が明記されている。しかし日本国憲法には、国の象徴たる天皇の神聖が記されないのは「異例変速である」。ヨーロッパの国王はプロテスタントの防衛者としての任務があるが、天皇は「一教会の信仰防衛者」ではなくて、「皇祖神に対する祭り主」だとして、憲法論を構築しようとしたのです。

 竹田氏の引用文の直後、葦津の文章は「(天皇は)祭神なのではなくして祭り主なのである」と続きます。人間ゆえに神に祈り、皇祖神と相通じて、神意を表現されるお方となり、臣民にとっては目に見える神=現御神となる。天皇は神聖であり、神聖の根源である。けれども、みずから「無謬の神」とは思っておられない、と補足しているのは重要でしょう。

 竹田氏は三島由紀夫の天皇論にも言及していますが、葦津は「(祭祀大権確立を主張した三島が)神聖即絶対無謬説を断定しているのは……無理なるを免れないものがあろう」と批判しています。

 さて、長くなりましたので、今回はこの辺で終わりますが、最後に指摘したいのは、祭祀大権の確立を訴える、この葦津の文章では、天皇は「皇祖神に対する祭り主」とされ、竹田氏と同様、「天神地祇」には触れられていないことです。「米と粟」もありません。そのことについては、あらためて考えたいと思います。(つづく)

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