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葦津珍彦の天皇論に何を学んだのか ──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その9 [竹田恒泰天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2016年5月15日)からの転載です

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葦津珍彦の天皇論に何を学んだのか
──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その9◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


▽1 祭祀を「天皇の国事行為」に

 竹田恒泰氏と八木秀次氏の共著をテキストに、竹田氏の伝統主義的天皇論をあえて批判しています。竹田氏は「戦後唯一の神道思想家」といわれる葦津珍彦に「学ぶ」と仰せですが、むしろ不一致点が目立ちます。

 私の天皇・皇室論は葦津の天皇論を一般に紹介することが出発点でしたから、竹田氏の天皇論は親近感と期待を込めて読み始めました。けれども、読めば読むほど相違点が明らかになり、私は逆に驚きを禁じ得ないでいます。

 竹田氏は葦津に何を「学んだ」のでしょうか。

 第二章で竹田氏は、葦津の天皇論を引用しつつ、祭り主論、政教分離論へと展開させ、最後に憲法改正論を、八木氏とともに論じています。

 竹田氏は、まず天皇は日本の「国家元首」だと論じ、そのあと、宮中祭祀を「天皇の国事行為」に明記すべきだと訴えています。そうすれば、政教分離関連訴訟は「雲散霧消する」というのです。

 これには八木氏も、「憲法典の文言で明記することが重要ですね」と応じ、

「皇室基本法を制定したり、皇室典範を改正したりという法整備では、以後の憲法論議の火種を残す」

「憲法の下位法令でしかない法律レベルで整備しても、法的に解決したことにはなりません」

 と論じています。


▽2 国民を統合する国政上の権能

 けれども、これは天皇=祭り主論を出発点とする葦津の憲法論とは異なります。天皇は稲の祭りを行うというような、単なる祭り主ではないのであり、葦津はもっと根本的な改革を求めているのだと思います。

 それは、欧米の近代国家における「国家元首」と、古来、祭り主である日本の天皇との違いが意識されるからでしょう。

「皇祖の神器を承けて、民安かれ国平らかなれとの精神をもって、ひたすらに祈り、全日本国民に、避けがたい党派の別、利害の対立の壁を越えて、国民の精神を高い一点で統合なさるべき御方である。その祭り主が国家の主席に立たれる」(『天皇─日本人の精神史』)

 いにしえから、祭りをなさることで、国民の精神を統合されるお役目を担ってきたというのが、葦津の天皇論の基本です。

 ところが、日本国憲法は「国民統合の象徴」と定めながら、「国政に関する権能を有しない」と明記している。「日本国民の意思が分裂し、国情が混乱するような事態が生じたとしても、天皇はこれを統合するための働きをなさる権能がない」と葦津は批判しています。

「日本国民の意思の統合を図るための『天皇の国政上』の権能を否定していることは、現行憲法の最も重大なる欠陥といわなければならない」(「天皇・祭祀・憲法」)

 国事行為に「祭祀」を加える程度の憲法改正ではすまされないことになります。


▽3 葦津は「旧皇族の皇籍復帰」を否定

 葦津は、とくに2つのことを主張しています。

 1点は、皇位継承に関してで、「天皇・祭祀・憲法」のなかで、

「皇位継承に関する法は、当然、憲法と同一の重みを持つべきである。その改変には当然に天皇の裁可(同意)を要すべきである」

 と訴えています。

 明治の皇室典範は大日本国憲法と同等の権威がありました。それぞれ宮務法、国務法として区別され、相並立していました。けれども、戦後は日本国憲法に一元化され、八木氏が指摘するように、現行の皇室典範は日本国憲法の下位法に過ぎません。

 国家の基本中の基本である皇位継承が、天皇の意思を無視し、国会議員の多数決で改変し得るのは、「まったく非常識と評するほかはない」と葦津は一刀両断にしています。

 平成の御代になって、政府が有識者会議などを開きながら、皇族方の意見に耳を傾けないやり方も、葦津にいわせれば「非常識」となるでしょう。もともと「皇家の家法」なのですから。

 竹田氏は共著の第一章で「皇位継承者を確保する方法」に言及し、「旧皇族の皇籍復帰など」を提案していますが、一方、葦津は、

「ひとたび皇族の地位を去られしかぎり、これが皇族への復帰を認めないのは、わが皇室の古くからの法である」

「この不文の法は君臣の分義を厳かに守るために、きわめて重要な意義を有するものであって、元皇族の復帰ということはけっして望むべきではないと考えられる」

 と否定し、そのうえで、「皇庶子皇位継承の道」を認めるべきではないか、と問題提起しています(「天皇・神道・憲法」)。


▽4 条文を変える憲法改正ではなく

 2点目は、天皇の祭祀です。

 竹田氏は祭祀を「憲法の国事行為に」というお考えですが、明治憲法にも祭祀の規定はありませんでした。祭祀について明文化していたのは宮務法たる旧皇室典範で、

「第10条 天皇、崩ずるときは皇嗣すなはち践祚し、祖宗の神器を承く」

「第11条 即位の礼および大嘗祭は京都において、これを行ふ」

 との条文がありました。

 ところが、戦後の皇室典範には神器渡御や大嘗祭の定めがありません。

 葦津は由緒正しい祭儀が皇室典範から消えたのはなぜかと批判し、「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」(憲法第20条)とする政教分離規定に言及したうえで、

「現行憲法の解釈としても、天皇のかような祭儀が、宗教的活動として禁ぜられるべきものとは思わない。それは、宗教的儀式と称せられるべきものではないし、いわんや宗教的活動ではないと思う」

「とにかく論議の起こる余地のないように、天皇が天皇としての御祭りの御執行が滞りなくできるように、ぜひ憲法の姿を正していただきたいと思う」

 と主張しています(「天皇・祭祀・憲法」)。

 実際、平成の御代替わりでは、政教分離がらみのさまざまな不都合が生じました。

 憲法の条文を変えるというような憲法改正ではなくて、典憲体制の大枠を変える必要があるというのが葦津の考えなのだと思います。

 それは、天皇の祭り=稲の祭りと考える竹田氏の天皇論と国民統合の儀礼と考える葦津の天皇論の違いなのでしょう。


▽5 「国事行為」とされた御結婚の儀

 蛇足ながら付け加えますが、昭和34年4月、賢所大前で今上天皇(当時は皇太子)の御結婚の儀が行われました。政府はこれを「国の儀式」(天皇の国事行為)としました。

「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」と規定する現行憲法下において、宮中三殿で行われる皇室の祭祀が「国事行為」として行われたのは、画期的です。当時の総理大臣が昭和天皇に上奏し、裁可を得たことが示される公文書も残されています。

 けれども、皇太子の御成婚の儀が「国の儀式」として行われたのに、皇位継承の諸儀式でもっとも重要な大嘗祭が「国の行事」としては行われず、「皇室行事」とされたのは、いかにも矛盾しています。

 なぜそうなったのか、が解明されなければ、何をどう変えるべきか、は見えてこないのではないでしょうか。

 竹田氏が主張するような、憲法を書き換え、宮中祭祀を「天皇の国事行為」に、という議論ではとうてい済みそうにありません。

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