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過去の遺物ではなく時代の最先端を行く天皇 ──竹田恒泰氏の天皇論を読む 番外編 [竹田恒泰]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2016年5月22日)からの転載です

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過去の遺物ではなく時代の最先端を行く天皇
──竹田恒泰氏の天皇論を読む 番外編◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 竹田恒泰氏の天皇論を、八木秀次氏との共著『皇統保守』をテキストに、あえて批判的に読んできました。伝統主義的天皇論の進化を心から願うからです。

 きっかけは、3月の国連女性差別撤廃委員会の勧告騒動でした。女系継承を認めるよう日本の皇室典範の見直しを求めようとした委員会に、保守派が猛反発したのは当然でした。


▽1 起こるべくして起きた

 そもそも天皇とは何をなさるお立場なのでしょうか。

 憲法には首相を任命し、法律を公布し、国会を召集するなど、国事行為をなさることが定められています。熊本地震でもそうですが、被災地にお出かけになり、被災者と親しく交わられ、励まされます。また、諸外国を訪問され、国際親善を深められています。

 これが天皇本来のお務めならば、男子であろうと、女子であろうと何ら支障はないだろうと考えられます。国家制度を安定的に維持するのが目的なら、男系男子に限るより、女系継承を大胆に認めた方が、あくまで論理上ですが、賢い選択であり、幻となった国連委員会勧告の考え方にむしろ従うべきです。

 けれども、伝統主義の立場はそうではありません。そうではないからこそ、見直しは受け入れられないのです。

 いみじくも、全国各地を行幸なさるのは近代の天皇であり、国事行為は戦後憲法上の行為であり、外国御訪問も戦後の天皇です。新しい「象徴」天皇像です。

 古来、続いてきた天皇の重要なお務めはほかにあるということになります。皇位が男系男子で続いてきた理由も、そのお務めと密接不可分なはずです。

 ところが、伝統主義的立場に立つ天皇論からはそのような説明が聞こえてきません。同じ日本人にすら説明されないのに、異文化圏の人たちに理解できるでしょうか。

 今回の騒動は起きるべくして起きたのだと私は考えます。


▽2 「理由はどうでもよい」

 そんなとき知ったのが、今日を代表的する保守主義者の1人と考えられる竹田氏のエッセイでした。ずばり「なぜ男系継承でなくてはならないか」と題される文章は、ある著名神社のサイトに載っています。執筆時期は不明ですが、私は期待を込めて読みました。

 けれども、竹田氏は「もはや理由はどうでもよい」と突き放すだけでした。私の期待は落胆に変わりました。

「歴史と伝統」を理由に、問答無用と切り捨てるなら、意見の対立は解消されません。対立者にも分かるように、論理をもって、丁寧に説明されるべきでしょう。なぜそうしないのでしょうか。

 伝統主義者の考える天皇とはいかなるものなのか、検証する必要があると私は考えました。それで、これまで、竹田氏のエッセイや著書をテキストに、「女性宮家」創設反対論、女系継承否認論、天皇=祭り主論を読み進めてきたわけです。

 そろそろ結論を申し上げるべきところなのですが、そんな矢先、iRONNAに、「『天皇の原理』に難癖をつける国連委の日本差別」と題する竹田氏の記事が載りました〈http://ironna.jp/article/3341?p=1〉。

「難癖」とは穏やかでありませんが、編集者がつけたのでしょうか、説明によると、『正論』5月号掲載の「君は日本を誇れるか~皇室典範に口を挟む国連」に加筆されたものだそうです。

 これまで批判的に読んできた竹田氏の共著『皇統保守』は8年も前の本ですから、もしかしたら新しいことが書いてあるかも知れません。読んでみることにします。


▽3 日本の国体原理そのもの

 竹田氏の論点は、以下のようにまとめられると思います。

(1)皇位継承の原理は日本国の国体原理そのものであり、したがって、国連などにとやかく言われる筋合いはない。

(2)皇位の男系継承が女子差別であるというのはあまりに短絡的な意見である。皇位継承は「権利」ではなくて「義務」である。男系継承の制度趣旨は、一点だけいえば、宮廷から男子を締め出すことである。

(3)天皇そのものが理屈で説明できないように、血統の原理も理屈で説明することはできない。理論以前に存在する事実がある。もはや理由などどうでもよい。

(4)もし男系継承が途切れたら、学問的論争とは全く別の次元で、日本の国を揺るがす大きな問題が生じる。皇位の男系継承は、我が国の基本原理であって、これはいかなる理由によっても決して動かしてはいけない。

(5)女性が天皇になることの問題点を一つ指摘しておくと、天皇と皇后の両方を全うすることは、全く不可能なことである。全う不能な職務を背負わせられるとしたら、それこそ女性天皇は「女性差別」であると言わねばならぬ。

(6)日本から「天皇」を取り払ってしまったら、もはや「日本」ではない。委員会はバチカンやアラブの君主国に「女子が王や法王になれないのは女子差別だ」と勧告したことがあったか。日本だけに勧告するのなら、それは「日本差別」である。

(7)本件は、日本を攻撃する道具として国連が政治的に利用された可能性が高い。告発者である日本のNGOと、日本人委員長、そこに中国人副委員長が力を合わせて皇室典範改定の勧告を作り上げたという背景が見えてくる。

(8)男系継承の原理は簡単に言語で説明できるものではないが、この原理を守ってきた日本が、世界で最も長く王朝を維持し現在に至ることは事実である。歴史的な皇室制度の完成度は高く、その原理を変更するには余程慎重になるべきである。

 つまり、竹田氏がいわんとするのは、男系男子による皇位継承は日本の長い歴史と伝統だという一点につきるでしょう。男系継承の理由は説明されていません。


▽4 大原先生も「歴史と伝統」論

 話は変わりますが、iRONNAには、大原康男國學院大学名誉教授の「あまりにも無知で粗雑! 皇位継承まで口を出す国連委の非常識」も載っています。これも同工異曲の「歴史と伝統」論です〈http://ironna.jp/article/3338〉。

 他人様の文句はあまり言いたくありません。ましてお世話になった先生なら、なおのことですが、3点だけ、失礼ながら、指摘させていただきます。

 1点目はタイトルです。「無知で粗雑」は高尚なる天皇論に相応しいでしょうか。タイトルですから、むろん編集者が付けたのでしょうが、文中にはっきり、

「国連の勧告がいかにわが国の歴史、伝統に無知かつ非常識な代物であるばかりではなく、論の立て方自体が粗雑に過ぎよう」

 と述べられています。これではまるで喧嘩です。私たちが求めているのは、感情的反発を招くような議論ではなくて、冷静かつ客観的な論理でしょう。

 2点目は、

「小泉純一郎内閣において女系導入も辞さない皇室典範改定が拙速に推進されようとしたことがあった」

 という理解です。

 先生は「(小泉)首相の独走」というご理解のようですが、誤りでしょう。政府内で皇室典範改正研究が始まったのは平成8年、小泉内閣成立の5年前だということが知られています。官僚たちは、女系継承容認と「女性宮家」創設の「2つの柱」を一体のものとして進めていたのです。

 だから根が深いのですが、もしかしてご存じないのでしょうか。信じがたい気がします。

 3点目は、結論です。先生は、

「昭和22年にGHQの経済的圧迫によって皇籍の離脱を余儀なくされた方の子孫による皇籍の取得を速やかに講じていただきたい」

 と述べられていますが、これは先生が師と仰いだはずの葦津珍彦とは見解が異なると思います。何がどう違うのか、なぜ違うのか、明らかにされるべきだと思います。


▽5 何も変わっていない

 話を戻します。

 竹田氏は、当メルマガで先に取り上げたエッセイでも、古くから続いてきたものには価値があると主張し、だから

「もはや理由などどうでもよい」

「特定の目的のために作られたものよりも、深く、複雑な存在理由が秘められていると考えなくてはいけない」

 と訴えました。今度の論考も何も変わっていません。

「深く、複雑な存在理由」を深めようとも、解きほぐそうともせず、日本の「歴史と伝統」を楯にして、「文句を言うのは文句を言う相手が悪い」という論法でしょうか。それでは、理解者は広がらず、かえって敵を世界中に増やすことになりませんか。

 しかも驚くことに、竹田氏はこの論考で、もっとも重要な論点であるはずの天皇=祭り主論にまったく言及していません。

 竹田氏をはじめ、伝統主義者の立場からすれば、天皇=祭り主ですが、言い出せばますます世界から誤解され、火に油を注ぐとでもお考えになったのでしょうか。

 私はむしろ逆だと思います。


▽6 天皇の祭祀を学び直してほしい

 天皇が古来、皇祖神のみならず天神地祇に、米と粟を供えられ、公正かつ無私なる祈りを捧げられてきた、この国民統合の儀礼をなさることこそが男系継承主義と密接につながっているのであり、結果として、竹田氏が指摘する、世界に稀なる、長い「歴史と伝統」が築かれてきたのではないかと思います。

 なぜ男系継承なのか、「どうでもよい」ではなくて、現代的に説明されるべきでしょう。

 おそらくその理由は、「歴史と伝統」という、ともすれば骨董品まがいの、カビ臭い過去の遺物と聞こえるようなものではなくて、逆に、燦然と光り輝く時代の最先端を行くものだろうと私は考えます。

 ただ、残念ながら、竹田氏の宮中祭祀=稲の祭り論からは説明できないでしょう。稲の祭り論では、現代人の感覚では、過去の遺物ととらえられかねません。国連委員会の面々よりも、日本の伝統主義者自身が天皇の祭祀を学び直すことが必要なのでしょう。

 葦津珍彦の天皇=「国民統合の象徴」論を含めて、ぜひそのようにお願いしたいと思います。

 最後に、蛇足ながら一点だけ、付け加えます。

 竹田氏は今回の勧告騒動の背後に、日本のNGOと林陽子委員長、中国人副委員長のトライアングル体制の存在を想像していますが、それだけでしょうか。

 むしろ敵は本能寺にあるのであって、伝統主義的天皇論とは相反する、現行憲法の「象徴」天皇論を金科玉条とし、約20年間も女系継承容認=「女性宮家」創設を陰に陽に進めてきた、日本の政府関係者が加わっているとは想像なさらないのでしょうか。(つづく)

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