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『国民の歴史』著者による「国民の天皇観」がウケる理由 ──「WiLL」6月号「西尾幹二×加地伸行」対談を読む [西尾幹二天皇論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


▽1 堂々巡りが売れる!?

 どうも筆が進みません。生来の遅筆もさることながら、他人さまを批判することはやはり気が引けます。できれば避けたい。対象が人生の大先輩であれば、なおのことです。

 しかしどう考えてもおかしいのです。同じ話を何度も繰り返すお年寄りの思い出話ではないでしょうけど、老碩学の論議はいっこうに代わり映えがせず、さまざまに批判されたあとの学習効果が微塵も感じられません。

 これは一体なぜなのでしょうか。

 先生方だけではありません。対談を企画した編集者には、議論を深め、前進させるべき職業的義務があるはずですが、それが見えてない。堂々巡りの議論なら、ジャーナリストとしての見識が問われます。

 いや、ジャーナリズムより商才なら理解できます。

 編集長解任、編集部全員退社、他社への電撃移籍という大騒動のあと、新編集部が商業雑誌の命運をかけて、読者を挑発し、存在感をアピールしようと狙うのは当然です。

 世の中にはアンチ雅子妃の読者も少なくないようですから、むしろ停滞した議論の方が売れると踏んだのかも知れません。

 だとすると、老教授たちの天皇論もさることながら、金太郎飴のようなワンパターンの東宮妃批判に賛同し、喝采する読者たちの天皇意識の背後にあるものは何でしょうか。


▽2 「右翼」を刺激した「不敬」

 もう1か月以上も前のことですが、報道によると、雑誌「WiLL」6月号に掲載された皇室関係記事が「不敬」だとして、同編集部に右翼団体の若い幹部が侵入し、狼藉を働くという事件がおきました。

 そこまで右翼を刺激したのはどれほど「不敬」なのかと興味を持ち、読んでみたのですが、予想を裏切るほどに新鮮味がなく、私は拍子抜けしました。

 記事は西尾幹二・電気通信大学名誉教授と加地伸行・大阪大学名誉教授による対談で、「総力大特集 崖っぷちの皇位継承 いま再び皇太子さまに諫言申し上げます」とタイトルこそ編集者の並々ならぬ意気込みが伝わってきますが、中身はどうでしょう。

「総力大特集」と銘打っているのは、大先生方の対談のほかに作家長部日出雄氏の「皇室は祈りでありたい」と題する皇后陛下の物語が載っているからでしょう。けれども、同氏の著書『日本を支えた12人』からの抜粋・転載に過ぎません。

 肝心の対談は、西尾先生のご主張が大半を占める、独演会に近いものでした。

 記事にもありますが、8年前、西尾先生は「御忠言」と称して東宮批判を同雑誌で展開し、療養中の妃殿下を「獅子身中の虫」とまで激しく指弾しました。

 先生は、いわゆる雅子妃問題を、近代社会の能力主義と皇室の伝統主義との相克という図式で捉え、「伝統に対する謙虚な番人でなければならない」と主張し、皇太子・同妃両殿下にはその自覚がおありなのか、と問いかけたのです。

 しかし、先生の指摘はまったく当を得ていません。

 皇室は伝統オンリーの世界ではありません。古代においては仏教を積極的に受容され、近代になるとヨーロッパの文化を率先して受け入れられました。「伝統」と「革新」の両方が皇室の原理です。

 皇位は世襲であり、徳とは無関係です。天皇は「上御一人」であり、臣籍出身の皇太子妃や皇后に徳を要求することは行き過ぎです。


▽3 何も変わらない議論

 その程度のことは、多くの識者がすでに指摘しています。

 たとえば、新田均・皇學館大学教授は雑誌「正論」平成20年9月号掲載の論文で、一方で皇位の世襲主義を謳いつつ、徳治主義を要求するのは矛盾だとダメ出ししています。

 まったく仰せの通りで、少しでも歴史を学べば、誰にでも理解できることです。

 それなのに、8年経ったいまもなお議論は深まらない。なぜでしょうか。

 西尾先生は対談のなかで、次のように語っています。

「雅子妃の行動が皇室全体の運営に何かと支障をきたしていることは関係者の共通の認識になっているようですね」

「妃殿下は公人で、ご病気はご自身を傷つけていますが、皇室制度そのものをも傷つけていることを見落としてはなりません」

「(皇太子)殿下は妻の病状に寄り添うように生きてこられて、国家や国民のことは二次的であった。皇位継承後もこうであったら、これはただごとではありません」

「皇室という空間で生活し、儀式を守ることに喜びを見いださなければならないのに、小和田家がそれをぶち壊した」

「雅子妃が国連大学に特別の興味をお持ちということも非常に問題です」

「天皇家はそもそも民主主義や平等とは無関係の伝統に根ざしています。にもかかわらず、雅子妃により近代化の象徴である学歴尊重や官僚気質というものが皇室に持ち込まれた」

 ご主張は何も変わっていません。どうしてでしょう。意固地な執念は性格でしょうか。それよりも私は、もっと別な角度から考えてみたいと思います。


▽4 さまざまなる天皇観

 皇室典範有識者会議の報告書に、「天皇の制度は、古代以来の長い歴史を有するものであり、その見方も個人の歴史観や国家観により一様ではない」と書かれているように、世の中には古来、さまざまな天皇観があります。

 竹田恒泰氏の天皇論批判で紹介したように、神道思想家の葦津珍彦は国体の多面性、国民の国体意識の多元性というものを指摘しています。

 つまり、民の側には古来、さまざまなルーツを持つ多彩な天皇観があり、それらを総合したところに皇室の天皇観、いわゆる日本の国体が形成されているということです。

 たとえば、正月に百人一首を楽しむ人は少なくないでしょう。歴代天皇のお歌は和歌を学ぶものにとってお手本であり続けています。桃の節句には、女の子の成長を祈って親王雛、内裏雛が飾られます。ひな祭りは王朝文化への憧れを底流としています。書道を学ぶものにとって、三筆の1人と仰がれる天皇の書は教科書です。

 他方、稲作農耕民には稲作の源流が皇室にあるという天皇観があったでしょう。絹織物の産地では、養蚕や機織りが皇室から伝えられた技術と信じられています。料理人たちは天皇の側近を祖神として祀ってきたし、大工さんが神と仰ぐのは聖徳太子です。

 さらに仏教徒にとっては、皇室は古来、仏教の外護者であり、キリスト教徒にとっては近代以後、社会事業を物心両面で支援してくれるパトロンでした。

 それぞれの天皇・皇室観はそれぞれに人々の暮らしと生活に密着し、独自性があり、生々しくかつ強固です。一方、皇室の天皇観は、それらとは次元が異なる高見にあって、当然、多面的性格を帯びることになります。


▽5 一様なる「国民」の天皇観

 それなら西尾幹二先生の天皇観はどう位置づけられるのか。それは「国民の天皇観」というべきものなのでしょう。

 先生には『国民の歴史』という大著があります。たいへん興味深いことに、天皇・皇室の歴史が抜けているように私には見えます。先生にとっての「歴史」は、近代化によって「国民」国家と化した日本を構成する「国民」の目から見た歴史なのでしょう。

 同様に、先生の天皇観は、近代的な「国民」国家に帰属する「国民」にとっての「国民の天皇観」なのではありませんか。

 先生は、皇室を「伝統」の世界ととらえ、「祭祀」を皇室のお務めと理解されているようですが、「伝統」の意味するもの、「祭祀」の中身は示されていないように思います。

「伝統」と「近代」の二項対立それ自体、近代の産物でしょうけど、先生は、近代の「国民」という立場にご自身の身を置いて、ただ漠然と抽象的に、「伝統を守れ」「祭祀をせよ」と主張されているように私には見えます。

 先生の天皇観は、「国民」国家以前の伝統的で多彩な天皇観とは無縁です。葦津珍彦は「国民」の天皇意識の歴史的な多面性を指摘しましたが、西尾先生の天皇観は、近代化によって多面性を失い、一元化した「国民」の天皇観なのでしょう。


▽6 「近代」と「近代」の衝突

 西尾先生が主張されるように、皇太子妃殿下あるいは小和田家が「異質」なものを皇室に持ち込んだのではなくて、先生ご自身が、古来、多様なる民が抱いてきた「国体」意識とは「異質」な、一様で具体性のない「国民」の天皇観を持ち込んだのではないでしょうか。

 少なくとも私はそのように疑っています。

 だとすると、先生の「雅子妃」批判に同調者が少なくないのはなぜなのでしょう。

 それは、読者もまた、多彩だった近代以前の天皇観を失い、一様なる「国民」と化しているからではないでしょうか。

 それはちょうど「君が代」の歌の歴史に似ています。

「君が代」の歌詞は、古今集に「詠み人知らず」として収められているほど古く、古来、さまざまに歌い継がれてきましたが、近代になるとメロディーが統一され、多様性が失われ、いまでは薩摩琵琶や謡曲に多様性の片鱗を残すのみとなりました。

 近代化は地域や職能集団の多様性を失わせ、暮らしと直結した多彩な天皇意識を失わせたのです。

 西尾先生の「雅子妃批判」は、「伝統」と「近代」の相克ではなくて、「近代」と「近代」の衝突なのだと私は思います。そして「近代」の海のなかで漂流し続けるのです。

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