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過去3回、国会で審議された「生前退位」 ──30年前、宮内庁は譲位を容認しなかった [退位問題]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2016.8.28)からの転載です


 この世を長く生きてきたご老体を侮ってはならないとつくづく思った。

 御年80の元参議院議員・平野貞夫氏が、国会で過去に3回、「生前退位」について議論したことがあると誌上座談会で指摘している(「週刊ポスト」2016年9月2日号〈http://www.news-postseven.com/archives/20160824_440504.html〉)。

「マスコミの皆さんは不勉強で知らない人が多いですが、生前退位の話は、昭和天皇崩御より前の昭和59年に、国会の内閣委員会で議論したことがあるんですよ。実際には、これまで3回議論されている。そういった経緯があるわけだから、今になって陛下にああいうことを言わせたら気の毒なんですよ」

 国会議事録で検索すると、なるほど以下の3件がヒットする。

(1)昭和58年3月18日参議院予算委員会

(2)昭和59年4月17日参議院内閣委員会

(3)平成4年4月7日参議院内閣委員会

 いずれも参議院での議論だった。


▽1 皇室典範改正は「デマ」

(1)は、江田五月議員(社民連)が、ウォーターゲート事件、ロッキード事件に触れつつ、当時、「生前退位」問題が話題になっていることを取り上げ、皇室典範改正の可能性を法制局にただそうとしたのだった。

「皇室典範を改めて、皇位の継承を天皇の生前退位によってもできるようにして、そして恩赦を適用して何とか救おうというようなことがいろいろ世上取りざたされておりますが、まず皇室典範、これは国会で改正することができるものであるのかどうかということを、これは法制局になりますか、伺います」

 これに対し、法制局を制して答弁したのは中曽根康弘首相で、「不謹慎なデマだ」と完全否定している。

「いま皇室典範を改正して云々という言葉がありましたが、私はそういうデマに政治家がだまかされてはいかぬと思います。それは非常に不謹慎なデマだと思うのです。事皇室、日本の象徴である皇室に関することについて、いまのようなことを結びつけるということは私は非常に心外であります。そのことだけをまず申し上げて法制局長官から答弁させます」

 この答弁に、江田議員は「いいです。デマであるということをはっきりさせていただければそれで結構です」と応じ、これで質疑応答は終わっている。

 かつて若き日に、同じ国会(昭和27年1月31日衆院予算委)で、「もし天皇が御みずからの御意思で御退位あそばされるなら」と質問し、吉田首相から「非国民」と撃退された中曽根氏だが、のちに自身が首相になると、風見鶏の面目躍如というべきか、皇室典範改正の論議それ自体を封じたのだった。

 蛇足ながら、新聞記事では、私が知るかぎり、「生前退位」に言及した初例は、「朝日新聞」昭和62年12月15日夕刊の皇室関連記事だが、国会ではその5年前、野党議員の質問に登場していた。ただ、政府答弁では「生前退位」の表現は避けられた。


▽2 今日と異なる宮内庁の姿勢

(2)は、ほかならぬ平野氏が座談会で取り上げた国会審議で、この日は皇室経済法の一部改正が議題だった。

 最初に質問に立ったのが公明党の太田淳夫議員で、内廷費・皇族費の改定問題について、山本悟宮内庁次長(のち侍従長)らとのやりとりがあったあと、まさに今日と同様、昭和天皇がご高齢のなか、激務をこなされている現実をあぶり出し、「生前退位」の提案が出ていることを指摘したうえで、宮内庁の考え方を問いかけている。

「天皇陛下も御高齢であられますし、皇太子殿下も銀婚式を迎えられたわけです。満五十歳を超えられていますが、そのためかどうかあれですが、一部には天皇の生前退位ということも考えてはどうかという声もあるわけですけれども、宮内庁としてはこれはどのように考えてみえますか。検討されたことがございますか」

 これに対する山本次長の答弁はじつに興味深い。

 山本氏は、昭和天皇はたいへんお元気である。皇室典範は退位の規定を持たない。天皇の地位を安定させるためには退位を認めないことが望ましいと承知している。摂政、国事行為の臨時代行で対処できるから宮内庁としては皇室典範を再考する考えはない、というのである。今日の議論とは真逆なのだ。


▽3 「天皇の地位安定のため退位を認めず」

 議事録を正確に引用すれば、以下の通りである。

「御指摘のとおり、いろいろな御意見を伺う機会はあるわけでございますが、先ほど来申し上げますように、現在、陛下は御高齢ではいらっしゃっても非常にお元気に御公務をお務めあそばしていられるわけでございます。

 現行の皇室典範は、御指摘のとおりに、生前の退位というものについての規定を全く置かない。置かないということは、制定当時からその制度をとっていないということを申していいのだろうと思います。

 この現行の皇室典範が制定されます際にいろいろな場において議論がされているようでございますが、制定いたしました趣旨としては、退位を認めると歴史上見られたような上皇とか法皇とかいったような存在がでてきてそれが弊害を生ずるおそれがあるのではないか。歴史から見るといろいろな批判があり得たわけでありまして、こういったことは避けた方がいいということが一つ。それから、そういった制度があれば必ずしも天皇の自由意思に基づかないで退位の強制ということがあり得る可能性もないとは言えない。これも歴史の示すところだと思います。それから三番目には、逆に今度は天皇が恣意的に退位をすることができるということになるとそれもまたいかがなものか。こういったようないろいろな観点からの論議がございまして、典範制定当時、そういった制度は置かないということになったと存じております。

 結局、ねらったところは、天皇の地位を純粋に安定させることがいいのだ、それが望ましいというような意味から退位の制度を認めなかったというように承知をいたしているわけでございまして、こういったような皇室典範制定当時の経緯を踏まえて、かつまた身体の疾患または事故等がある場合には現在でも摂政なりあるいは国事行為の臨時代行なりというような制度によりまして十分対処ができるわけでありますので、現在、宮内庁といたしましてこの皇室典範の基本原則に再考を加えるというような考えは持っていないところでございます」


▽4 宮内庁の方向転換の理由は?

 この山本答弁によって分かるのは、今日、「宮内庁関係者」のリークを起点として、皇室典範改正を訴える議論が盛んに展開されているけれども、当時の宮内庁は、退位容認=皇室典範改正の可能性を完全否定し、もっぱら「国事行為臨時代行法による代行の適用」(太田議員)で足りると考えていたことである。「生前退位」という表現も避けられている。

 とすると、それから30余年、宮内庁がいまや、女系継承容認=「女性宮家」創設も含めて、方針を180度転換させたように見えるのはどうしたことなのか。

 陛下の「生前退位」のお気持ちが出発点だから、宮内庁が皇室典範改正にシフトすることは十分、大義名分が立つ、ということだろうか。

 しかし、世上、伝えられているのとは異なり、「生前退位」が陛下のご意向ではなく、宮内庁当局者の発案だったのだとしたら、説明にはならない。

 宮内庁当局は方向転換の理由を、納得のいくよう十分に説明する必要があるだろう。

 いみじくも「週刊ポスト」の座談会で、平野貞夫氏はさらにこう指摘し、「生前退位」をスクープしたNHKの報道姿勢を批判している。

「今回のことで私が問題視しているのは、NHKが勝手に『陛下の意思は生前退位だ』と限定して、それを実行しろと報道していることです。これは大問題です。

 皇室典範で両院議長と総理、最高裁長官などで構成すると規定された皇室会議でまず議論すべきなのに、それを差し置いて、NHKが国権の最高機関であるかのようにふるまっている」

「陛下の意向をNHKに伝えた人間がいて、NHKもそれを切り札に議論をショートカットしようとしている。しかし、天皇は政治に関与してはいけないわけで、陛下のお気持ちは切り離して、国民が自律的、理性的に判断しなければ国民主権とは言えない」

 平野氏はNHKを批判しているが、問われているのは報道したNHKではなくて、意図的に「生前退位」をリークしたと思われる「宮内庁関係者」ではないだろうか。いや、戦後70年、象徴天皇のあり方を真剣に考えてこなかった平野氏ら政治家の責任こそが問われているのではないのか。


▽5 退位が認められない3つの理由

(3)は、平成になってからの審議である。この日のテーマは予算だったが、時あたかも江沢民が中国共産党中央委総書記として初来日した翌日で、午前中は日本の侵略と賠償、請求権問題、天皇の訪中問題などが議題となった。

 午後になり、質問に立ったのが社会党の三石久江議員で、宮尾盤宮内庁次長との間で、加藤紘一内閣官房長官をも交えて、質疑応答が展開された。

 三石議員は単刀直入に、「天皇の生前退位の問題について伺います」と切り出し、歴史上、譲位された天皇がしばしばおられるのに、なぜ認めなくしたのか、と質問している。

 これに対して宮尾次長は、3つの理由があると答弁している。

「これも現在の皇室典範制定当時いろいろな考え方があったようでございますけれども、その制定当時、退位を認めない方がいいではないか、こういうことで、制度づくりをしたときの考え方といたしましては三つほど大きな理由があるわけでございます。

 一つは、退位ということを認めますと、これは日本の歴史上いろいろなことがあったわけでございますが、例えば上皇とか法皇というような存在が出てまいりましていろいろな弊害を生ずるおそれがあるということが第一点。

 それから第二点目は、必ずしも天皇の自由意思に基づかない退位の強制というようなことが場合によったらあり得る可能性があるということ。

 それから第三点目は、天皇が恣意的に退位をなさるというのも、象徴たる天皇、現在の象徴天皇、こういう立場から考えまして、そういう恣意的な退位というものはいかがなものであろうかということが考えられるということ、これが第三番目の点。こういったことなどが挙げられておりまして、天皇の地位を安定させることが望ましいという見地から、退位の制度は認めないということにざれたというふうに承知をいたしております。

 以上でございます」


▽6 誰が「生前退位」といわせているのか?

 三石議員はさらに責め立てる。つまり、「生前退位」は歴史的伝統のはずだが、伝統重視を掲げつつ、現代の国民意識を基準に否認するのは矛盾だと指摘するのだった。

「ただいまの御答弁は、天皇の地位が日本国民の象徴であるという新憲法の趣旨にそぐわない、また生前退位にはいろいろな弊害があるので、伝統として生前退位はあったけれども、現代の国民意識から認めるわけにはいかないということだと思うんです。

 この生前退位は、横田耕一氏の法律時報によりますと、百十三人の天皇のうち六十三人、実に五二・五%なのです。立派に伝統的制度ですが、現代の国民意識のもとでは認められないということのようです。このように皇位継承に関して伝統を重んじるとはいいながら、時代の道徳的判断あるいは趨勢に応じて、あるいは道徳的にも受け入れられない伝統は、現行の皇室典範では外されてきたわけです」

 これに対する宮尾次長の反論が聞きたいところだが、三石議員は話題を男系主義に転じてしまう。それはそれでまた興味深いのだが、今日のテーマとは異なるし、長くなるので、残念だが触れない。

 簡単にいえば、当時の宮内庁の見解では、憲法が定める「皇位の世襲」は男系男子による継承と解釈されていた。宮内庁が女系継承容認へと踏み出すのは、宮尾次長退任後、鎌倉節長官の登場を待ってのことといわれる。女系継承容認=「女性宮家」創設論の浮上が転換点であることは間違いないと思う。

 30年前、宮内庁は退位を制度的に否認し、「生前退位」なる表現をも避けていた。その宮内庁内で、10数年前、「生前退位」検討の動きが生まれたとする報道もあるが、そうだとして、陛下ご自身が「生前退位」のご意向を示されたとされるのは、どう見ても不自然だと思う。

 つまり誰かが「生前退位」と表現させていると考えるほかはない。いったい誰が、何のために?

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