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宗教臭さ、哲学臭さ、政治臭さを排除 ──『明治天皇紀』で読む教育勅語渙発までの経緯 2 [教育勅語]

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宗教臭さ、哲学臭さ、政治臭さを排除
──『明治天皇紀』で読む教育勅語渙発までの経緯 2
(2017年4月10日)
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 前回に続き、『明治天皇紀』巻7を読み進めることにする。索引によると、「教育勅語」関連の記述は巻7、巻8、巻10に渡っているが、ほとんどは巻7に集中している。
『明治天皇紀』(古書店HPから)

 明治23年5月、天皇の命を受けて、芳川顕正文相は勅語作成に取りかかった。

「顕正感激命を拝し、徳教に関する勅諭を稿して聖旨を成就せんとす。
 おもへらく、わが国忠孝仁義の道あり、知りやすく行ひがたし。これじつに国体の精華にして教育の本源なり。いまわが国のために教育の方針を定めんとせば、これをおいてほかに求むべからずと」(読みやすくするために、適宜、編集した)

 このとき顕正の脳裏を支配していたのは儒教的徳目だったらしい。西洋の知識に対抗するものとして、東洋の伝統思想が採用された。「国体の精華」といいながら、依拠するのは神道ではなく、むろん仏教でもなかった。

 そして文部省案づくりが始まり、井上毅法制局長官が登場する。井上は案作りの難しさを指摘し、勅諭が供えるべきいくつかの条件を提示し、原案を作成する。

「すなわち元老院議官中村正直に委嘱して文部省案を作成せしむ。すでにして稿案成り、有朋、顕正と議し、これを法制局長官井上毅に送りて意見を徴し、かつ嘱して別稿を起こさしむ。
 毅すこぶるその起稿を難しとし、6月20日、有朋に書を致してそのことを語る。
 いわく、この勅諭たる、政治上の勅語と等しかるべからず。
 また軍事教育における軍令とも同一なるべからず。
 敬天尊神等の語を用ゐて宗教上の争端となるを避けざるべからず。
 幽遠深邃(しんすい)なる哲学上の言論にわたるべからず。
 政治的臭味を帯ぶべからず。
 漢学者の口吻あるいは洋学者の気習に偏すべからず。
 帝王の訓戒はすべからく汪洋たる大海の水のごとくなるべく、砭(へん。石偏に乏)愚戒悪の語を用ゐ、消極的教訓となすべからず。
 一宗派のみを喜ばしめ、他を怒らしむるの語気あるべからず。
 これらの困難を避けて真誠なる玉言をまったくするは、じつに十二楼台を架するよりも難事なりと」

 ここでとくに宗教臭、哲学臭、政治臭の排除を指摘しているのはとくに注目される。開明派の井上は儒教思想を教育の根本におくことを嫌っていたらしい。井上毅、山縣有朋、芳川顕正、元田永孚などの間を何度も往復し、さらに天皇の意見を交え、文部省案、内閣上奏案ができあがっていった。

「しかして文部省案をもってその体を得ざるものと評し、かりに稿を作りてこれを有朋に呈し、有朋、これを顕正に回付す。
 毅はまたべつにこれを永孚に内示して修正を求め、7月下旬にいたり、永孚の意見を参酌して次稿を起草し、提出す。
 有朋および顕正すなわち文部省案を措きて、毅起草の次稿を取ることを決し、顕正、さらに正直および文科大学教授島田重礼らに諮りてこれに若干の修正を加へて仮稿を作成し、もって聖旨を候す。
 天皇熟覧したまひ、なお意に満たざるところあり、これを永孚に示してのたまはく、この稿首尾の文不可なしといえども、その中間徳目の条項を掲ぐるところなお足らざるを覚ゆと。
 よりて永孚をしてその稿を全うせしめんとし、旨を授けてさらに修補するところあらしむ。永孚すなわち旨を拝し、8月26日、書を毅に与えてこのことを告げ、相共にこのことに当たらんことを勤め、顕正の奏上せる仮稿を補修して毅に送り、さらにその修訂を求む。
 これより2人推敲に勉め、いくどか互ひに修訂す。一句を削り、一字を加ふるも、数次往復を費やす。かくてようやく稿成り、永孚よりこれを上呈す。
 顕正これが下付を得て、有朋および毅と討議し、字句その他になお若干の修正を加ふ。その『国憲を重んじ国法に遵ひ』の一句、さきの顕正の上奏案にありて、永孚の修訂案にこれを削りしが、ここにいたりてこれを復活せしがごときはその修正の一例にして、また聖旨を候してこれを決せるなり。
 このごとくにして顕正ようやく定稿を得、9月26日、これを閣議に諮りて閣臣の同意を得るにいたる。ついでさらに推敲改訂を重ねるところありしが、すでにして稿まったく成る」

 上程案作成の過程で、宗教臭さや政治臭さが排除されたはずなのに、教育勅語はのちに「国家神道の聖典」とみなされるようになった。なぜだろうか。成立過程ではなくて、その後の取り扱いに原因があったのか、それとも宗教性・政治性を指摘し批判する側にむしろ原因があるのだろうか。

 前者だとすれば、いや後者であればなおのこと、敗戦後、国会で排除・失効確認したのは何だったのか、その意味が問われるのではないか。道徳的徳目の列挙をもって教育勅語を肯定することが不十分なら、占領期の国会決議の一事をもって否定するのも不十分に思われる。(斎藤吉久メールマガジン2017.4.10)
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