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《再掲》 大嘗祭は「稲作中心」社会の収穫儀礼か?  ──検証・平成の御代替わり 第7回 [御代替わり]

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《再掲》 大嘗祭は「稲作中心」社会の収穫儀礼か?
 ──検証・平成の御代替わり 第7回
(「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン2011年10月8日号から)
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 政府関係者の著書や政府・宮内庁の公式記録をもとに、平成の御代替わりを検証しています。今日は最終回、大嘗祭について、です。


▽1 宮内庁内で本格化した検討

 宮内庁がまとめた『平成大礼記録』(平成6年)をもとに、昭和天皇崩御後の政府・宮内庁内の出来事をあらためて、時系列で追ってみます。

平成元年2月24日、葬場殿の儀、大喪の礼が終了しました。宮内庁の記録にはどういうわけか、言及されていませんが、もちろん陵所の儀も行われました。

同年4月16日、山陵百日祭の儀。

同年4月17日、山陵起工奉告の儀。このあと、宮内庁内で大礼に関する検討が本格化しました。

同年6月29日、内閣に即位の礼検討委員会が設置されました。委員長は内閣官房副長官(事務)でした。検討の過程で、内閣官房、内閣法制局、宮内庁の三者による実務レベルの協議が随時行われました。

同年7月3日、内閣の即位の礼検討委員会設置に伴い、宮内庁内に大礼検討委員会が設置されました。委員長は宮内庁長官、副委員長は宮内庁次長、侍従長、皇太后宮大夫、東宮大夫、式部官長でした。7月に2回、8月、9月に各1回開かれました。

 即位の礼は平成2年度に予定されています。そのため、平成元年8月末の平成2年度予算概算要求段階で、予算措置をどう講ずるかが問題となりました。(今上天皇の退位は来年暮れと伝えられます。即位の礼は再来年秋と考えられます)


▽2 年末の予算編成までに方向付けが必要だった

同年9月26日、内閣に即位の礼準備委員会が設置されました。委員長は内閣官房長官、委員は内閣法制局長官、内閣官房副長官(政務と事務)、宮内庁長官でした。検討委員会は廃止されました。

 即位の礼準備委員会は9月に1回、11月に4回、12月に2回、開かれました。11月の会議では、15人の参考人から意見が聴取されました。

同年9月26日、内閣の即位の礼準備委員会設置に伴い、宮内庁に大礼準備委員会が設置されました。委員長は宮内庁長官、副委員長は宮内庁次長、侍従長、皇太后宮大夫、東宮大夫、式部官長でした。大礼検討委員会は廃止されました。

 宮内庁の大礼準備委員会は12月に3回開かれました。

同年12月21日、内閣の第7回即位の礼準備委員会で、「即位の礼」、大嘗祭の挙行などについて、検討結果がまとめられ、臨時閣議で内閣官房長官から報告され、口頭了解されました。

 即位の礼正殿の儀、祝賀御列の儀、饗宴の儀が、平成2年秋に、国事行為として行われる。大嘗祭については、国事行為として行うことは困難であり、皇室の行事として行われる。その場合、大嘗祭は公的性格があり、費用は宮廷費から支出することが相当と考える、ことなどがその内容でした。

同年12月21日、宮内庁の大礼準備委員会は、即位の礼、大嘗祭、そのほか関連の儀式行事について、検討結果をとりまとめました。

 大嘗祭については、内閣の即位の礼準備委員会が検討した結果、大嘗祭は国事行為として行うことが困難とされているため、皇室行事として皇室の伝統に従い、先例などを斟酌して行うことが適当だとされました。

 こうして平成元年末に即位礼・大嘗祭に関する骨格ができあがりました。平成元年末の予算編成までに、内閣で一定の方向付けをすることが必要だった、と『平成大礼記録』は説明しています。(報道では、今上陛下の退位に伴う次の御代替わりは来年12月と伝えられています。即位の礼・大嘗祭の執行は再来年の秋ということであり、おそくとも来年末の予算編成までに即位大嘗祭正常化の議論を確定させておく必要があります。践祚を含めての議論なら今年末までに議論を進めなければなりません)


▽3 稲作中心社会に伝えられてきた収穫儀礼

 大嘗祭について、宮内庁の『平成大礼記録』は次のように説明しています。

「大嘗祭は、稲作農業を中心としたわが国の社会に、古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇陛下が即位の後、はじめて、大嘗宮において、悠紀主基両地方の斎田から収穫した新穀を、皇祖および天神地祇にお供えになって、みずからもお召し上がりになり、皇祖および天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式である」

 前回、ご紹介した内閣の『平成即位の礼記録』に記録されている、内閣の即位の礼準備委員会がとりまとめ、平成元年12月21日に閣議口頭了解された検討結果の説明とほとんど同じです。

 違いは「天皇」が「天皇陛下」に、「新穀を」が「悠紀主基両地方の斎田から収穫した新穀を」に変わり、末尾の「それは、皇位の継承があったときは、かならず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世一度の重要な儀式である」がけずられた程度です。

 このような説明は、平成の大礼に掌典職掌典、祭事課長として奉仕したという皇學館大学名誉教授で神道史学者の著書にも共通します。

 つまり、大嘗祭を「稲作農業を中心としたわが国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたもの」というとらえ方です。


▽4 粟の存在に言及せず

 宮内庁の『平成大礼記録』は、大嘗祭で陛下がいつ、どこで何をなさるのか、なさったのか、じつに克明に、分刻みで記録しています。折口信夫風のオカルトチックな通俗論を払拭したかったのかも知れませんが、秘儀とされる大嘗宮内陣での儀礼については、さすがに「次に神饌を御親供になる。次に御拝礼の上、御告文をお奏しになる。次に御直会」としか書いていません。

 一方、名誉教授の著書では、御飯筥の米御飯(おんいい)、粟御飯などの神饌を、御親(おんみずか)ら竹製の御箸でとられ、供せられる。次に御告文を奏され、御直会(なおらい)で天皇が御親ら、米御飯、粟御飯をおとりになり、聞こし召される、というふうに、一歩踏み込んで説明しています。

 注目したいのは、粟御飯の存在です。稲作中心社会の収穫儀礼なら、米だけで十分です。実際、伊勢神宮では1年365日、稲の祭りが行われています。けれども陛下の祭りには粟が登場し、大嘗祭では粟の新穀が米とともに供えられ、陛下が食されます。ところが、宮内庁は言及せず、神道史学者の著書には十分な説明がありません。

 粟の神饌による共食儀礼は重要です。大嘗祭は天皇が即位後に行われる一世一度の大がかりな新嘗祭ですが、昭和天皇の祭祀に携わった元宮内省掌典・八束清貫(やつか・きよつら)氏によれば、「このお祭り(新嘗祭)にもっとも大切なのは神饌である。なかんずく主要なのは、当年の新米・新粟をもって炊いた米の御飯および御粥、粟の御飯および御粥と、新米をもって1か月余を費やして醸造した白酒・黒酒(しろき・くろき)の新酒である」と書いています(八束「皇室祭祀百年史」)。

 実際の神事において、米と粟の位置づけに優劣はないようです。ところが、政府も宮内庁も「稲作中心社会の収穫儀礼」としか説明していません。政府も宮内庁も、大嘗祭の本質に関する議論を欠いたまま、平成の即位礼、大嘗祭を挙行したのではないのでしょうか。


▽5 畑作民と稲作民を統合する象徴的儀礼

 天皇は神々の前に米と粟を捧げ、ひたすら国と民のために祈り、みずから食されます。なぜこの米と粟の神事が、国家と国民の安寧を祈ることになるのでしょうか。

 日本の宗教伝統では、食を神に捧げるだけでなく、食事をともにします。神の前でへりくだり、身を清め、神に接近し、神人共食の儀礼によって命を共有し、一体化し、神意を受け継ぎ、衰えた命を新たな再生させる、という考えです。命の儀礼です。

 人間は誰しも食によって命をつなぎます。自然の恵みを摂取し、エネルギーに変え、血肉とします。ものを食べなければ人はかならず死を迎えます。しかし単純に「自然のものすべてが体にいい」というわけではありません。自然界で命をつなぐことは案外、容易ではありません。感謝と同時に畏れの感情も伴う日本人の自然観には、深い知恵の蓄積が感じられます。

 神から与えられた主食の穀物。その初穂を神に捧げるのが新嘗祭ですが、日本にはかつて粟の新嘗祭もありました。「常陸国風土記」に「新粟の新嘗」「新粟嘗」という言葉が登場します。

 神戸女学院大学の松澤員子先生(文化人類学)によると、台湾の先住民にとって、粟は大切な作物だったようです。彼らは畑作民族で、粟のほかに稗や稲、芋を栽培していた。粟は儀礼文化には欠かせない、とくに重要な作物だった。人々は粟の神霊を最重要視し、粟の酒と粟の餅とを神々に供えた。酒は処女や巫女が噛んでつくった、とリポートしています(松澤「台湾原住民の酒」=山本紀夫、吉田集而編著『酒づくりの民族誌』所収)。

 日本列島に暮らす畑作民たちには、南方の国々に連なる粟の食儀礼が伝えられていたのではないかと想像されます。

 それならなぜ、天皇は米のみならず、粟の神事を行うのか。

 現代を代表する民俗学者で、稲作民俗、畑作民俗の両方を研究する野本寛一・近畿大学名誉教授は、私の取材に対して、「米の民である稲作民と粟の民である畑作民をひとつに統合する象徴的儀礼として理解できるのではないか」と指摘しています。

 日本は「稲作中心社会」どころではありません。稲作民もいれば、畑作民もいた。山の民も海の民もいたのです。人々の暮らしは多様で、それぞれに独自の文化があった。そのような国民を、多様なるままに統合し、社会の平和を保ち、暮らしを安定させるのが天皇の役割であり、歴代天皇は政治権力や軍事力によらず、公正かつ無私なる祈りによって実現しようとしてきた。そのための米と粟の食儀礼ではないでしょうか。


▽6 天皇の祭祀は「宗教的行為」なのか

 天皇の祈りは皇祖神のみならず、国民が信じる多様な神々に対して捧げられます。価値の多様性を認め、多様性のなかの国と民の統一を図る多宗教的、多神教的文明の中心が天皇であり、天皇の祭りなのでしょう。実際、世界には民族や宗教の違いから対立し、分裂する国が多いなかで、日本の社会は世界に類例がないほど長く、平和的、共生的に続いてきたのです。

「あなたには、私をおいてほかに神があってはならない」(モーセの十戒)と教える一神教世界では、神は絶対です。神の教えは生活すべてを律します。異端を排斥し、異教徒を殺戮し、血で血を洗う壮絶な内部的抗争が繰り広げられるのはそのためであり、その悲劇が近代の政教分離原則を生んだ要因です。

 けれども日本では、天皇の祭祀こそが信教の自由を保障しています。古代において仏教導入に積極的な役割を果たしたのが皇室であり、近代の皇室はキリスト教の社会事業を深く理解され、支援されました。宗教的共存こそ、古来、天皇の原理です。

 ところが、平成の御代替わりでは、政府も宮内庁も、天皇の祭祀が逆に国民の信教の自由を侵すと信じ込み、皇室の伝統に介入し、国家の無宗教儀礼と皇室の宗教的行事とを分離するなど、一連の儀礼を非宗教的に改変させました。

 憲法学者の小嶋和司・東北大学教授(故人)が指摘したように、現行憲法は宗教の価値を敵視するのではなくて、尊重しているはずです(小嶋『憲法解釈の諸問題』木鐸社、昭和60年)が、政教分離原則に字義通りにこだわった平成の御代替わりは、国民の信教の自由を保障する目的を外れて、まるで宗教を信じない自由を国家が援助、助長、促進する効果を生むという最大の矛盾を侵したのではないでしょうか?

 そもそも「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」と憲法第20条が規定する「宗教的行為」に、天皇の祭祀は該当するのでしょうか?

 皇室典範を立案した井出成三・元法制局次長は、「皇位の世襲と宮中祭祀」(昭和42年)で、「いわゆる布教伝道と切り離された祭祀が、果たして憲法いうところの宗教であるのであろうか。……宮中においては、ほとんど純粋に祭祀に限定せられているといってもよいであろう」と疑問を投げかけ、さらに概要、次のように述べています。

 ──宮中祭祀が憲法に規定される宗教ではない、という解釈が一般的に納得されるなら、国の行事と皇室行事との、事実に即しない両分論に陥らず、古来の宮中祭祀の形式による大嘗祭その他を国の行事として行い、国費を支出し、総理大臣以下が参与参列することについて、憲法上の疑点を検討する必要がないことは当然である。

 宮中祭祀が一般宗教と同列だと考えるとしても、皇位の世襲は古来、一定の形式を採ってきた。憲法はそのあり方をそのまま内包して、天皇制を確言しているのであって、宗教的色彩があるとしても、政教分離の特例として解されるべきである。国の行事として行う場合、祭祀形式を一掃しなければならないと考えることは、憲法の真意を究めないものである。

 読者の皆さまはどうお考えですか。(この項、終わり。引用は適宜編集しています)


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