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歴史的天皇像の喪失 ──『検証「女性宮家」論議』の「まえがきにかえて」 1 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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歴史的天皇像の喪失
──『検証「女性宮家」論議』の「まえがきにかえて」 1
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「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の座長代理を務めた御厨貴東大名誉教授が新聞各社のインタビューで、「女性宮家」創設への施策を進めるよう安倍政権に要求している。新聞記事によると、その目的は「皇族数の減少への対応」とされている。

 消化剤をかけられて鎮火されたはずの「女性宮家」創設論がふたたびメラメラと火勢を盛り返そうとしている。見かけの目的をふたたび衣替えしたうえで、である。

 もともと、過去の歴史にない「女性宮家」創設論は、平成8年に政府部内で皇室制度改革に関する非公式検討が始まって以降、女性天皇・女系継承容認論と一体のかたちで生まれたものと考えられる。野田内閣のときには陛下のご公務ご負担軽減を目的として、「女性宮家」創設について検討する有識者会議が設けられたこともあった。

 そして今度は、「皇族数の確保」のための「女性宮家」創設だという。

 以前、私はこの議論はけっして終わらないと指摘したが、案の定である。最終目的が女系継承容認論にあることは無論のことだと思われる。手を変え、品を変え、容認論者たちの並々ならぬ執念を感じさせずにはおかない。

 けれども、なぜそこまでしないといけないのか。何のための執念なのか。

 ということで、数年前に書いた『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』を、加筆修正のうえ、転載したいと思う。あの議論は何だったのか、あらためて検証してみる必要性を感じるからである。


まえがきにかえて

宮中祭祀にも「女性宮家」にも言及しない前侍従長インタビュー


▽1 歴史的天皇像の喪失

 125代の長きにわたって続く天皇の歴史の重みを顧みずに、公布からたかだか70年の現行憲法を起点に考える、いわば「1.5代」象徴天皇論が社会の各要所を支配し、皇室の伝統を脅かしています。

 古来、国の中心に天皇が一貫して存在してきた意味と価値が自覚されることなく、あるいは自覚できずに、いつの間にか本来的なお役目が否認され、まったく異質なものへと変質させられようとしているようです。

 天皇の変質は文明の揺らぎそのものです。文明の危機ともいうべき、きわめて重大な歴史の転換点を迎えているように思えてなりません。

 昨年(平成26年)来、「戦後70年」という言葉を聞くようになりました。歴史の大きな節目とされ、安倍内閣は「総理大臣談話」の取りまとめに向け、有識者による懇談会を立ち上げました。

 未曾有の敗戦から70年、大戦の反省と戦後の平和的歩みを踏まえて、21世紀の新たなビジョンを模索することは大きな意味があり、政府の意気込みは評価されます。それだけ20世紀において国の内外にもたらされた戦争の惨禍は筆舌に尽くしがたく、今日に至るまで尾を引いていることが分かります。

 けれども、それ以上に深刻なのは、文明の根幹に関わる地殻変動です。

 1200年以上前の古代律令に、

「およそ天皇、即位したまはむときは、すべて天神地祇を祭れ」(「神祇令」の「即位条」)

 と定められ、鎌倉時代に順徳天皇が宮中の有職故実などについて記録された「禁秘抄(きんぴしょう)」の冒頭に、

「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」

 と明記されているように、天皇とは国と民のため、皇祖神ほか天神地祇にひたすら祈る存在です。むかしもいまも、天皇は1年365日、祈りの日々を過ごしておられます。けれども、その事実すら、現代人の多くは知りません。戦後のメディアはほとんど報道しないからです。

 祈りの存在であることが天皇の天皇たるゆえんであり、天皇が国の頂点に位置する統治者であることを意味してきたのですが、その意味を現代的に説明してくれる人も見当たりません。それどころか、天皇の祭祀は、まるで過去の遺物でもあるかのように誤解され、側近たちからさえ敬遠されています。

 占領期に憲法は変わり、天皇は国および国民統合の「象徴」と位置づけられ、古代から天皇第一のお務めとされてきた宮中祭祀は「皇室の私事」に貶められたままで、昭和40、50年代には、無原則な祭祀の簡略化が進められました。

 平成に入ると、政府は、御代替わりの諸儀式を「憲法の趣旨」に反するとみなし、歴史的変更を加えました。ごく最近では、過去の歴史にない、女性天皇・女系継承容認の認否論議や、いわゆる「女性宮家」創設論議が、立て続けに起きました。その発信元は、後述するように、世界に冠たる、有能な日本の官僚たちでした。

 国民的議論が盛んなのは悪いことではありませんが、議論の中身を見ていくと、歴史的天皇像の喪失という憂慮すべき現実が浮かび上がってきます。それは天皇制度の改革ではなく、終焉なのです。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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