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理性の回復を信じたい──『検証「女性宮家」論議』の「まえがきにかえて」 7 [女性宮家]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年4月30日)からの転載です


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理性の回復を信じたい
──『検証「女性宮家」論議』の「まえがきにかえて」 7
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 以下は、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの転載です。一部に加筆修正があります。


まえがきにかえて

宮中祭祀にも「女性宮家」にも言及しない前侍従長インタビュー


▽7 理性の回復を信じたい

 いま2年の時を経て(一般に、「女性宮家」創設論議の発端は平成23年11月の読売新聞のスクープが発端とされています。それからもう5年半になります)、あらためて、前侍従長ら側近たちが火を付けた「女性宮家」論議の検証を試みるのは、より多くの方々に、さらに真剣に考えてほしいと願うからです。

 70年前、未曾有の惨禍を招いた戦争が終結したあと、戦勝国は勝利におごり、敗戦国は憔悴し、新たな無法が吹き荒れていました。そのときインドのラダビノード・パール判事は、

「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するであろう」

 と判決文(反対意見書)の最後を締めくくりました。感情の動物である人間が冷静さを取り戻すには、時が必要です。

 以下の文章は、国民的大議論が燃えさかった平成24年当時、書きためた「斎藤吉久の『誤解だらけの天皇・皇室』メールマガジン」の記事を元にしています。

 その後、新たに得られた知見と考察を加えるなど、大幅に加筆修正し、電子書籍として再構成したのは、時の経過による理性の回復を信じたいからです。

 結論的にいえば、いわゆる「女性宮家」創設論議には、以下のような5つの実態と問題点が、少なくとも指摘されるでしょう。

(1)歴史的天皇像の喪失。天皇論といえば、社会一般に、現行憲法第一主義が浸透し、古来、「祭り主」「祭祀王」とされてきた歴史的な天皇のあり方に対する知識や理解が失われ、関心も払われなくなっていること。

(2)いびつな政教分離論。天皇を「祭り主」と位置づける皇室の伝統と、「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」(日本国憲法第20条第3項)と規定する、憲法の政教分離原則を対立的にとらえ、天皇の祭祀を「特定の宗教」とみなして、不当に干渉することが一貫して続いていること。

(3)官僚たちの暴走。昭和の祭祀簡略化も、平成の祭祀簡略化も、側近たちの独断専行で進められたこと。女性天皇・女系継承容認へと踏み出したのも、有能なはずの官僚たちだったこと。「女性宮家」創設論はその延長線上にあるが、その目的とされた、陛下の御公務ご負担軽減を阻むカベもまた官僚社会だったこと。

(4)官僚と政治家と知識人とメディアの四角関係。皇室の伝統におよそ造詣のない政治家の発言をきっかけに、官僚たちの非公式検討が始まり、やがていわゆる御用学者と呼ばれるような知識人が参加し、さらに不正確な報道が加わって、混乱が増していくという実態があること。

(5)学問研究の未熟。天皇統治の本質は祭祀にあるが、天皇論を語るべき学問研究のレベルが時代のニーズに追いついていないために、バランスに欠けた論議が続いていること。とりわけ宗教学、神道学、祭祀学の深化、進展が急務と思われること。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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