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日本人のアイデンティティはどこへ──『検証「女性宮家」論議』の「まえがきにかえて」 8 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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日本人のアイデンティティはどこへ
──『検証「女性宮家」論議』の「まえがきにかえて」 8
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 以下は、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの転載です。一部に加筆修正があります。


まえがきにかえて

宮中祭祀にも「女性宮家」にも言及しない前侍従長インタビュー


▽8 日本人のアイデンティティはどこへ

 古来、日本列島には多様な自然環境があり、したがって、さまざまな人々がいて、さまざまな暮らしと信仰がありました。

 生活スタイルが異なり、神が異なれば、血で血を洗うような争いが生じることは、世界の歴史を振り返り、いま世界で起きている現実を見れば、誰の目にも明らかですが、日本では世界にまれなほど、争いの少ない平和で安定した社会が続いてきました。

 その中心には、つねに天皇の祈りの存在がありました。

 古い歴史を持つ職能集団には皇族を祖神とする信仰が少なからずあり、地域にはときに独自の天皇・皇室の物語が語り伝えられ、祭りには歴代天皇などをかたどった山車(だし)が登場し、町内を巡幸します。

 正月の初詣に人々が参詣するお宮には、しばしば天皇や皇族が祀られています。百人一首の歌がるたには天皇のお歌が多く含まれ、桃の節句には内裏雛(だいりびな)を飾って女の子の成長を祈ってきました。

 それが日本人であり、日本人の日常の暮らしなのですが、あまりにも身近で、当たり前すぎて、私たちはとくに意識せずに過ごしています。

 たとえば、私が生まれ育った田舎には、女神山を源とする女神川が流れ、私も子どものころはよく川遊びを楽しんだものですが、名前の由来は皇室の物語にあります。

 遠い昔、遠い都で政変があり、帝は暗殺され、遠流(おんる)の身となられた皇子の後を追ってこられた妃がこの地にとどまり、人々に養蚕と機織りを教えられたと伝えられます。その後、この地は名だたる絹織物の産地となり、都にも知られるようになりました。

 姫の遺骸が葬られたのが女神山で、地域には姫を祀る神社が何社も建てられ、人々は折にふれて祈りを捧げ、年ごとに祭りを行いました。地域一帯は、姫の名にちなんで、小手郷と呼ばれました。

 地域の人々にとって、皇室は日々の暮らしと密着した、きわめて近い存在なのでした。天皇は都におられると同時に、地方の日常生活のなかに息づいていました。それぞれの地域に、ちょうど「君が代」のメロディーがさまざまに歌い継がれていたように、独自の天皇観と尊皇意識と祈りがあったのです。天皇の祈りと地方の祈りは対をなしています。天皇の地方行幸はいわば里帰りです。

 けれども、地場産業の衰退とともに、皇室の物語を知る人は多くはありません。近代以降、学校教育が教える、知識人が語る、憲法論的、国家論的な天皇は遠い存在です。

 もし天皇という存在の歴史的意義を自覚できないままに、やがて完全に喪失していったとき、日本人はいかなるものとなるのでしょうか。天皇とは何かを論ずることは、私たちのアイデンティティを問い直すことにほかなりません。

 このささやかな本が、より多くの方が天皇という存在について、そして現代という時代について、より深く考えていただくための1つの材料になれば、筆者としてこれに勝る喜びはありません。

 なお、これを書くにあたっては、多くの文献を参照させていただきました。ここに感謝の意を表するとともに、文中の引用文について、適宜、句点を補い、改行するなど、読者のための便宜を図りましたことを、あらかじめお断りします。

 平成27年3月 愛娘の門出の日に


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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