ほかの事実との連動──羽毛田長官は野田首相に「要請」したか? 2 [女性宮家創設論]
以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です
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ほかの事実との連動
──羽毛田長官は野田首相に「要請」したか? 2
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以下は、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの転載です。一部に加筆修正があります。
第1章 いつ、だれが、何のために言い出したのか?
第1節 羽毛田長官は野田首相に「要請」したか?──不思議な読売新聞の「スクープ」
▽2 ほかの事実との連動
あらためて記事を読み返してみます。リード部分にはこう書かれています。
「宮内庁が、皇族女子による『女性宮家』創設の検討を、『火急の案件』として野田首相に要請したことが分かった」
そして、記事本文には、
「羽毛田信吾宮内庁長官が先月(平成23年10月)5日に、首相官邸で野田首相に直接、女性宮家創設により皇族方の減少を食い止めることが喫緊の課題と伝えた」
とあります。
記事に書かれている事実関係を因数分解すると、
(1)羽毛田長官が、
(2)平成23年10月5日に、
(3)首相官邸で野田首相に直接、
(4)「女性宮家」創設の検討を要請した
となります。
たぶん、(1)から(3)までは事実なのでしょう。長官がいつ、どこで、首相に会ったかは、簡単に確認できるはずです。問題は長官が首相に話した中身です。これは当事者にしか分かりません。
おそらく、この日、長官が首相に伝えたのは、「女性宮家」創設の要請ではなかったのではありませんか? だからこそ、長官はのちに「強く否定」することになるのでしょう。
後述するように、羽毛田長官が首相に会うのは、これが初めてではありません。長官は歴代の首相に対して、所管事項を説明する際に、女性皇族の皇籍離脱と皇族の減少について「危機感を訴えてきた」ようです。
とすると、野田首相に対する所管事項説明が、なぜ「女性宮家」創設要請の「スクープ」として仕立て上げられたのか、です。
言い換えると、平成23年10月5日の出来事が、なぜ何週間も経って、翌月25日の「スクープ」に作り上げられたのか、です。「女性天皇容認」を選挙戦で打ち出すなど、皇室の伝統を変革することに意欲を示してきた民主党政権下であることも見逃せません。
記者にとっては、最初に「要請」されるべき内容があって、首相と長官の面会という事実に、後から結びつけられ、特ダネ記事が作られたのではないか、と疑われます。
何かほかの事実と連動している可能性があるかも知れないと思っていたら、案の定、これも後述することですが、読売の「スクープ」からほぼ10日後、元宮内庁幹部の著書が文庫本に姿を変えて出版されています。
文庫本の「あとがき」には、まさに「女性宮家」創設論が主張されていました。著者が「あとがき」を書いていたのは、ちょうど長官が野田首相に説明したとされる同年10月でした。読売の記者は、もしかすると文庫本のゲラなどを、独自に入手していたのかも知れません。
しかし、だとすると、「長官が要請」となぜ誤り伝えられることになったのでしょうか?
以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
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ほかの事実との連動
──羽毛田長官は野田首相に「要請」したか? 2
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以下は、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの転載です。一部に加筆修正があります。
第1章 いつ、だれが、何のために言い出したのか?
第1節 羽毛田長官は野田首相に「要請」したか?──不思議な読売新聞の「スクープ」
▽2 ほかの事実との連動
あらためて記事を読み返してみます。リード部分にはこう書かれています。
「宮内庁が、皇族女子による『女性宮家』創設の検討を、『火急の案件』として野田首相に要請したことが分かった」
そして、記事本文には、
「羽毛田信吾宮内庁長官が先月(平成23年10月)5日に、首相官邸で野田首相に直接、女性宮家創設により皇族方の減少を食い止めることが喫緊の課題と伝えた」
とあります。
記事に書かれている事実関係を因数分解すると、
(1)羽毛田長官が、
(2)平成23年10月5日に、
(3)首相官邸で野田首相に直接、
(4)「女性宮家」創設の検討を要請した
となります。
たぶん、(1)から(3)までは事実なのでしょう。長官がいつ、どこで、首相に会ったかは、簡単に確認できるはずです。問題は長官が首相に話した中身です。これは当事者にしか分かりません。
おそらく、この日、長官が首相に伝えたのは、「女性宮家」創設の要請ではなかったのではありませんか? だからこそ、長官はのちに「強く否定」することになるのでしょう。
後述するように、羽毛田長官が首相に会うのは、これが初めてではありません。長官は歴代の首相に対して、所管事項を説明する際に、女性皇族の皇籍離脱と皇族の減少について「危機感を訴えてきた」ようです。
とすると、野田首相に対する所管事項説明が、なぜ「女性宮家」創設要請の「スクープ」として仕立て上げられたのか、です。
言い換えると、平成23年10月5日の出来事が、なぜ何週間も経って、翌月25日の「スクープ」に作り上げられたのか、です。「女性天皇容認」を選挙戦で打ち出すなど、皇室の伝統を変革することに意欲を示してきた民主党政権下であることも見逃せません。
記者にとっては、最初に「要請」されるべき内容があって、首相と長官の面会という事実に、後から結びつけられ、特ダネ記事が作られたのではないか、と疑われます。
何かほかの事実と連動している可能性があるかも知れないと思っていたら、案の定、これも後述することですが、読売の「スクープ」からほぼ10日後、元宮内庁幹部の著書が文庫本に姿を変えて出版されています。
文庫本の「あとがき」には、まさに「女性宮家」創設論が主張されていました。著者が「あとがき」を書いていたのは、ちょうど長官が野田首相に説明したとされる同年10月でした。読売の記者は、もしかすると文庫本のゲラなどを、独自に入手していたのかも知れません。
しかし、だとすると、「長官が要請」となぜ誤り伝えられることになったのでしょうか?
以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
タグ:女性宮家創設論
2017-05-03 11:32
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