「祭祀は御公務にはなっておりません」 ──「祈りの存在」の伝統とは何か? 4 [女性宮家]
以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年6月7日)からの転載です
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「祭祀は御公務にはなっておりません」
──「祈りの存在」の伝統とは何か? 4
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「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを始めました。皆様、ご協力のほどよろしくお願いします。
〈https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB〉
さて、以下は、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋です。一部に加筆修正があります。
第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む
第2節 「祈りの存在」の伝統とは何か?──知的探求がうかがえない櫻井よしこさんの反対論
▽4 「祭祀は御公務にはなっておりません」

質問タイムとなり、園部逸夫内閣参与(当時)は
「宮中祭祀が現在、天皇陛下の御公務にはなっておりませんので、これは除かれるのでしょうけれども、女性皇族にはどういう御活動が相応しいでしょうか?」
と尋ねました。
これに対して、当然ながら、櫻井さんは猛然と反論します。
「いまの御質問は、非常に重要な問題を含んでいると思います。
私の意見陳述の中で、祭祀が天皇の最重要のお役割だということを繰り返し申し上げました。いま、参与がお尋ねになったことは、女性皇族が民間人となられたときのなさるお仕事の一部として、祭祀も挙げられましたが、これは妥当ではないと思います。
祭祀は天皇がなさるものでありまして、この祭祀を皇室のプライベートな行事、プライベートな仕事と定めた戦後の在り方自体に、私は異議を唱えております。
祭祀は天皇がなさるべきものであり、民間人となった女性皇族がなさるものではないと思います」
園部参与の
「祭祀は陛下の御公務になっていない」
という指摘は、著書の『皇室制度を考える』でも何度か言及され、祭祀は天皇の私事と解説されています。
「宮中祭祀をはじめ宗教的性格があると見られることが否定できない行為は、天皇は象徴としての立場で行うことはできず、私的な立場によってのみ行うことができると解されており(通説。政府見解)、現行制度の解釈としては妥当といえよう」
天皇の祭祀には宗教性が否定できないから、憲法の政教分離の原則上、国の機関としての立場では行えないというのが政府の見解だ、というのが園部参与の見方です。
しかし、いまだ占領期の昭和26年に貞明皇后の御大喪が旧皇室喪儀令に準じて行われ、50年前には賢所大前の議を含む、今上陛下の御結婚の儀が「国の儀式」(マスコミ報道では「国事」)として挙行されていますから、戦後、一貫した、揺るぎない憲法解釈・運用ということにはなりません。
蛇足ながら、園部参与は最高裁判事の時代に、陛下の祭祀に参列していたと聞きますが、国の機関としては行えないと仰せの宮中祭祀に参列したのは、国の機関たる最高裁判事としての立場でなのでしょうか、それとも私人としてなのでしょうか。私人としてだとすると、なぜ参列することになったのか、園部参与にうかがってみたいものです。
さはさりながら、
「祭祀を皇室のプライベートな行事、プライベートな仕事と定めた戦後の在り方」
と言い切っている櫻井さんも、「戦前vs.戦後」という二項対立的な歴史観にとらわれている点で、何ら変わりがないように見えます。けっして戦前=伝統ではないからです。
戦前=伝統と考える通俗的な歴史観にこそ、混乱の原因があるのです。皇室の伝統と一般には考えられているものには、じつは125代にわたる「伝統」と明治維新後の近代化された「伝統」、言い換えれば「伝統」に擬せられた近代との2つがあるのでした。
尊皇派のなかには、「伝統」を装った近代を正統的な「伝統」だと思い込み、礼賛している人もいます。それとは逆に、反天皇派のなかにも、これを古代からの「伝統」と見定めて否定する人がいます。
こうして議論は複雑化せざるを得ないのでした。
以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
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「祭祀は御公務にはなっておりません」
──「祈りの存在」の伝統とは何か? 4
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さて、以下は、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋です。一部に加筆修正があります。
第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む
第2節 「祈りの存在」の伝統とは何か?──知的探求がうかがえない櫻井よしこさんの反対論
▽4 「祭祀は御公務にはなっておりません」

質問タイムとなり、園部逸夫内閣参与(当時)は
「宮中祭祀が現在、天皇陛下の御公務にはなっておりませんので、これは除かれるのでしょうけれども、女性皇族にはどういう御活動が相応しいでしょうか?」
と尋ねました。
これに対して、当然ながら、櫻井さんは猛然と反論します。
「いまの御質問は、非常に重要な問題を含んでいると思います。
私の意見陳述の中で、祭祀が天皇の最重要のお役割だということを繰り返し申し上げました。いま、参与がお尋ねになったことは、女性皇族が民間人となられたときのなさるお仕事の一部として、祭祀も挙げられましたが、これは妥当ではないと思います。
祭祀は天皇がなさるものでありまして、この祭祀を皇室のプライベートな行事、プライベートな仕事と定めた戦後の在り方自体に、私は異議を唱えております。
祭祀は天皇がなさるべきものであり、民間人となった女性皇族がなさるものではないと思います」
園部参与の
「祭祀は陛下の御公務になっていない」
という指摘は、著書の『皇室制度を考える』でも何度か言及され、祭祀は天皇の私事と解説されています。
「宮中祭祀をはじめ宗教的性格があると見られることが否定できない行為は、天皇は象徴としての立場で行うことはできず、私的な立場によってのみ行うことができると解されており(通説。政府見解)、現行制度の解釈としては妥当といえよう」
天皇の祭祀には宗教性が否定できないから、憲法の政教分離の原則上、国の機関としての立場では行えないというのが政府の見解だ、というのが園部参与の見方です。
しかし、いまだ占領期の昭和26年に貞明皇后の御大喪が旧皇室喪儀令に準じて行われ、50年前には賢所大前の議を含む、今上陛下の御結婚の儀が「国の儀式」(マスコミ報道では「国事」)として挙行されていますから、戦後、一貫した、揺るぎない憲法解釈・運用ということにはなりません。
蛇足ながら、園部参与は最高裁判事の時代に、陛下の祭祀に参列していたと聞きますが、国の機関としては行えないと仰せの宮中祭祀に参列したのは、国の機関たる最高裁判事としての立場でなのでしょうか、それとも私人としてなのでしょうか。私人としてだとすると、なぜ参列することになったのか、園部参与にうかがってみたいものです。
さはさりながら、
「祭祀を皇室のプライベートな行事、プライベートな仕事と定めた戦後の在り方」
と言い切っている櫻井さんも、「戦前vs.戦後」という二項対立的な歴史観にとらわれている点で、何ら変わりがないように見えます。けっして戦前=伝統ではないからです。
戦前=伝統と考える通俗的な歴史観にこそ、混乱の原因があるのです。皇室の伝統と一般には考えられているものには、じつは125代にわたる「伝統」と明治維新後の近代化された「伝統」、言い換えれば「伝統」に擬せられた近代との2つがあるのでした。
尊皇派のなかには、「伝統」を装った近代を正統的な「伝統」だと思い込み、礼賛している人もいます。それとは逆に、反天皇派のなかにも、これを古代からの「伝統」と見定めて否定する人がいます。
こうして議論は複雑化せざるを得ないのでした。
以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
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