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悪いのは「占領軍」ではない──なぜ有識者に意見を求めるのか? 8 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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悪いのは「占領軍」ではない
──なぜ有識者に意見を求めるのか? 8
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 私は運動家ではありませんが、日本の現状と行く末を心から憂い、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第3章 伝統を拒絶する官僚たちの暴走

第1節 なぜ有識者に意見を求めるのか?──依命通牒の「破棄」


▽8 悪いのは「占領軍」ではない
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 昭和の時代はまだしも皇室の意見が重んじられました。

 天皇第一のお務めである宮中祭祀のあり方が大きく変わったのは、昭和40年代でした。最初は毎月1日の旬祭が年2回に減らされました。入江相政侍従長の「工作」(入江日記)によるものです。

 このとき香淳皇后が猛抗議されたことが「入江日記」に記録されていますが、入江は皇后陛下の意見に耳を傾けませんでした。逆に「ねじ伏せた」ことが、日記に誇らしげに書き残されています。

 皇族の意見を聴く耳を持たなかった入江ですが、皇族方の意見に基づいているかのように装う工作は抜かりなく行いました。「入江日記」によると、皇太子殿下(今上陛下)のご発案によって、祭祀簡略化を進めようとしています。

 けれども、昭和50年代に入ると、様相は変わります。富田長官の下で、祭祀の簡略化が政教分離の名のもとに、さらに強力に、組織的に進められましたが、50年8月15日の長会室会議がそうだったように、皇族方の意見が参考にされることはなかったようです。

 御代替わりのとき、即位の礼準備委員会は参考人の意見を求めました。皇室典範有識者会議も有識者の意見を聴きました。そして皇室制度ヒアリングも、有識者の意見に耳を傾けました。しかし、皇族方の意見を聴くことはありませんでした。

 なぜなのでしょうか?

 理由の1つは、昭和50年8月15日の長官室会議で、皇室の伝統がほかならぬ側近たちによって、一方的に、密室において断絶されたこと、もうひとつは、いびつな憲法解釈・運用ということになるでしょうか?

 だとすると、いま必要なことは、

(1)昭和50年8月15日の会議で何が話し合われたのか、知られざる皇室関係史のひとコマが明らかにされること
(2)皇室の伝統と憲法の趣旨を対立的にとらえる憲法解釈・運用が正されること

 の2つだと私は考えますが、残念なことに、(1)についてはどうやら議事録さえも残されていないようです。ともあれ、「アメリカ憎し占領軍憎し」という昔ながらの理解では、皇室の歴史と伝統は、いつまで経っても回復されないでしょう。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
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