SSブログ

渡邉允前侍従長が自信満々な理由 ──オウンゴールに気づかない百地先生の「大嘗祭」論 3 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
渡邉允前侍従長が自信満々な理由
──オウンゴールに気づかない百地先生の「大嘗祭」論 3
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第4節 オウンゴールに気づかない百地先生の「大嘗祭」論


▽3 渡邉允前侍従長が自信満々な理由

koukyo01.gif
 そして、ほかならぬ百地先生の憲法論こそが、先生ご自身が気づいているか否かは別にして、渡邉前侍従長(いまは元職)ら「1.5代」論者の宮中祭祀=「皇室の私事」とする憲法解釈を確定させたのです。

 先生のいう大嘗祭=「皇室の公事」説は、たしかに平成の大嘗祭斎行をもたらしたのでしょう。それは成果ですが、一方で皇室伝統の祭祀=「私事」とする考えを認めてしまったことは、皇室の伝統に圧迫を加えてきた「1.5代」論者たちの言い分を皇室崇敬の念が篤いはずの保守派自身が呑んだということになります。

 そして超然たる地位にあるべき天皇の祭祀を、ドグマチックな政教分離問題の火中に投げ入れてしまったということです。先生は政教分離問題の解説者でも、解決者でもなく、逆にトラブル・メーカーを演じてしまっているのではないですか?

 それは成果とはほど遠く、まぎれもない敵失であり、歴史的な汚点といわざるを得ません。先生はそのことに気づかないのでしょうか。まさか先生ご自身が「1.5代」論者のお仲間ではないでしょうに。

 私は以前から不思議に思っていたことがあります。それは、先述したように、前侍従長が、宮中祭祀=「皇室の私事」説を、全国を代表する神社関係者の前で自信たっぷりに堂々と語っていたことでした。

 歴史を振り返れば、昭和34(1959)年4月の皇太子(今上天皇)御成婚で、皇祖神を祀る賢所での神式儀礼は「国の儀式」(マスコミ報道では「国事」)と閣議決定され、国会議員が参列しました。宮中祭祀はすべて「皇室の私事」とした神道指令下の解釈が打破されたのです。

 昭和57年暮れに昭和の祭祀改変が明らかになり、宮内官僚たちが

「祭祀は天皇の私事」

 と繰り返していたとき、猛抗議したのはほかならぬ葦津珍彦ら神道人で、全国約8万社の神社を包括する神社本庁は翌年、抗議の質問書を富田朝彦宮内庁長官あてに提出しました(『神社新報50年史』など)。

「昭和34年の皇太子殿下御結婚の儀は『国事』であると閣議決定され、他方、39年の常陸宮殿下、55年の三笠宮寛仁殿下のご結婚は『公事たる宮務』とされた。ことによって国事、ことによっては『内廷限りのこと』とされていると理解される。これは『神道指令』から解放されたあとの宮内庁当局の見解と考えていいか」

 神社界の専門紙である「神社新報」は58年2月28日号に、異例なことに「富田宮内庁長官へ」と名指しする論説を掲載し、質問書よりもさらに詳細に、神道指令以降の歴史を振り返り、祭儀の法的位置づけについて、変更があるのか、と迫りました。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
 このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
 おかげさまで賛同者が300人を超えました。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。