なぜ「皇室の私事」なのか ──オウンゴールに気づかない百地先生の「大嘗祭」論 5 [女性宮家創設論]
以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です
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なぜ「皇室の私事」なのか
──オウンゴールに気づかない百地先生の「大嘗祭」論 5
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拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。
第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える
第4節 オウンゴールに気づかない百地先生の「大嘗祭」論
▽5 なぜ「皇室の私事」なのか
宮内庁に蔓延っていた宮中祭祀=「皇室の私事」説は、葦津珍彦ら神社人たちに示した「公式見解」をくつがえし、御代替わりに息を吹き返しました。
考えてもみてください。皇太子御成婚が「国事」で、皇位継承の儀礼である大嘗祭が「皇室の公事」とされるのは、明らかに不自然です。それどころか、今上陛下の御在位20年を契機に、「私事」説はさらに拡大しています。
なぜそうなったのか、謎は解けました。観念的な左翼系学者が「皇室の私事」説を唱えるのならいざ知らず、保守系の憲法学者が「私事」論者だったのです。
伊勢神宮での講演で前侍従長は「皆さまご承知のこと」と前置きして、祭祀=「皇室の私事」説を臆面もなく語ったのは、百地憲法論を想定してのことなのでしょう。
御代替わりのときに、「1.5代」論に立つ官僚たちが百地理論を採用したのは、十分理解できます。百地先生は
「幸い政府もこの理論を採用」
と誇らしげですが、官僚たちは文字通り、これ幸いと飛びついたのでしょう。
天皇の祭祀の法的位置づけは、占領軍ではなくて、一般には保守系と目されている日本人自身によって、占領前期に完全に先祖返りしたのです。「1.5代」象徴天皇論者の宮中祭祀=「皇室の私事」とする法解釈を確定させた憲法学者として、百地先生の名前は歴史に刻まれなければなりません。
しかしながら、なぜ天皇の祭祀=「皇室の私事」なのか、なぜ大嘗祭=「皇室の公事」なのか、なぜ大嘗祭=国事とはされないのか。百地先生は天皇の祭祀を、大嘗祭をいかなるものと考え、祭祀=「私事」説を唱えているのでしょうか?
信じがたいことに、少なくとも著書を読むかぎり、先生は宮中祭祀の本質を掘り下げようとしていないようです。天皇の祭祀のありようについてほとんど考察せずに、宮中祭祀=「皇室の私事」説を認めたのです。
オウンゴールの原因は何か、といえば、学問的な追究不足だと私は考えます。
私の連載の第2回しか読まず、依命通牒「破棄」の歴史を考えようとせず、「国家神道」についての考察も未熟なまま、つまり、木を見て森を見ない、それでいて、瞬間湯沸かし器のように激しく反応し、闘犬のように吠えたてるという、国民運動家にはうってつけの性格がオウンゴールを招いたのではないか、と想像しますが、長くなりましたので、詳細は次回に譲ります。
以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
おかげさまで賛同者が300人を超えました。
〈https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB〉
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なぜ「皇室の私事」なのか
──オウンゴールに気づかない百地先生の「大嘗祭」論 5
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拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。
第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える
第4節 オウンゴールに気づかない百地先生の「大嘗祭」論
▽5 なぜ「皇室の私事」なのか
宮内庁に蔓延っていた宮中祭祀=「皇室の私事」説は、葦津珍彦ら神社人たちに示した「公式見解」をくつがえし、御代替わりに息を吹き返しました。
考えてもみてください。皇太子御成婚が「国事」で、皇位継承の儀礼である大嘗祭が「皇室の公事」とされるのは、明らかに不自然です。それどころか、今上陛下の御在位20年を契機に、「私事」説はさらに拡大しています。
なぜそうなったのか、謎は解けました。観念的な左翼系学者が「皇室の私事」説を唱えるのならいざ知らず、保守系の憲法学者が「私事」論者だったのです。
伊勢神宮での講演で前侍従長は「皆さまご承知のこと」と前置きして、祭祀=「皇室の私事」説を臆面もなく語ったのは、百地憲法論を想定してのことなのでしょう。
御代替わりのときに、「1.5代」論に立つ官僚たちが百地理論を採用したのは、十分理解できます。百地先生は
「幸い政府もこの理論を採用」
と誇らしげですが、官僚たちは文字通り、これ幸いと飛びついたのでしょう。
天皇の祭祀の法的位置づけは、占領軍ではなくて、一般には保守系と目されている日本人自身によって、占領前期に完全に先祖返りしたのです。「1.5代」象徴天皇論者の宮中祭祀=「皇室の私事」とする法解釈を確定させた憲法学者として、百地先生の名前は歴史に刻まれなければなりません。
しかしながら、なぜ天皇の祭祀=「皇室の私事」なのか、なぜ大嘗祭=「皇室の公事」なのか、なぜ大嘗祭=国事とはされないのか。百地先生は天皇の祭祀を、大嘗祭をいかなるものと考え、祭祀=「私事」説を唱えているのでしょうか?
信じがたいことに、少なくとも著書を読むかぎり、先生は宮中祭祀の本質を掘り下げようとしていないようです。天皇の祭祀のありようについてほとんど考察せずに、宮中祭祀=「皇室の私事」説を認めたのです。
オウンゴールの原因は何か、といえば、学問的な追究不足だと私は考えます。
私の連載の第2回しか読まず、依命通牒「破棄」の歴史を考えようとせず、「国家神道」についての考察も未熟なまま、つまり、木を見て森を見ない、それでいて、瞬間湯沸かし器のように激しく反応し、闘犬のように吠えたてるという、国民運動家にはうってつけの性格がオウンゴールを招いたのではないか、と想像しますが、長くなりましたので、詳細は次回に譲ります。
以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
おかげさまで賛同者が300人を超えました。
〈https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB〉
先般、都内で先生の研究発表があり、直接、質問してみました。
レジュメには葦津珍彦が「大嘗祭公事説」を唱えたかのように説明しているが、葦津先生が主張していたのは天皇=祭り主であり、公人中の公人である天皇がなさる祭祀が私事ではないという基本原則である。
レジュメにはまた、「皇室祭祀中、少なくとも、特に国家的・公的性格の強いものだけでも、『皇室の公的行為』として位置づけていく必要がある」とあるが、葦津先生には「だけでも」という考えはない。
宮中祭祀の正常化には、こういう法理論を克服していく必要があるが、そのためにはどうすればいいか。
先生に質問してみました。
すると先生は、「私は宮中祭祀を詳しく知らない」と答えられました。
私の指摘は図星だったのです。先生は宮中祭祀も、大嘗祭も知らずに、大嘗祭公事論を唱えていたのです。
そのことをご自身で認められました。
それにしてもです。
30年前の御代替わり当時、先生が宮中祭祀、大嘗祭の基本を知らずに法理論を打ち立てたというのはまだしもです。
30年経ったいまもなお、「詳しく知らない」で済ませる姿勢が私にはまったく理解できません。
およそ研究者の態度とは思われないからです。
by さいちゃん (2017-09-07 05:31)
司会の高森先生は、「現時点で最高レベルの研究発表」と両先生を持ち上げていたが、とても同意できない
もしこれが「最高レベル」なら、時代のニーズに学問研究が追いついていないことの何よりの証明ではないかと思う
by さいちゃん (2017-09-14 14:26)