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稲と粟による複合儀礼 ──両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論 4 [百地章]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年9月5日)からの転載です


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稲と粟による複合儀礼
──両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論 4
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第5節 両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論


▽4 稲と粟による複合儀礼

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 大嘗祭が稲作儀礼だとする「第1説」も、妥当とはいえません。いつも申し上げますように、粟(あわ)が登場するからです。

 大嘗祭については、古代から多くの記録が残されています。それらによると、悠紀(ゆき)国・主基(すき)国で収穫された米と粟の新穀を、古来の作法に従って、ピンセット型の竹折箸を用い、新帝みずから神々に捧げ、ご自身も召し上がるというのが祭祀の中心と説明されています(田中初夫『践祚(せんそ)大嘗祭 研究篇』など)。

 天皇が即位後、最初に斎行される、一世一度の新嘗祭が大嘗祭ですが、新嘗祭も大嘗祭も、米と粟による複合儀礼です。

 ある古い文献には、大嘗宮の儀で新帝が神前に供する神饌御進供で、天皇はまず米飯を3箸、つぎに粟飯を3箸、枚手(ひらで)に盛り、陪膳(はいぜん)の采女(うねめ)に返し、陪膳はこれを神食薦(かみのすごも)のうえに置く。御飯の枚手は10枚、供せられる、などと生々しく説明されています。

 こうした先人たちの研究に、百地先生も実際に直接、接していれば、粟の存在に容易に気づくはずであり、したがって稲作信仰に基づく宗教的な儀礼とは考えなかったはずです。祭祀=「皇室の私事」説に与することもなかったでしょう。

 逆に考えてみましょう。

 皇室を中心に天孫降臨神話が伝えられてきたのは、誰でも知っています。もし天孫降臨神話のような特定の信仰に基づいて、稲の新穀を皇祖天照大神に捧げ、新帝みずから召し上がるというのが「大嘗祭の本質」だとすれば、大神を祀る賢所で稲の新穀を捧げればすむことです。大嘗宮を建て(毎年11月の新嘗祭なら神嘉殿で)、皇祖神ほか天神地祇を祀り、米と粟の新穀を捧げる必要はないのではありませんか?

 そんなことは、少し考えれば分かることでしょう。

 天孫降臨神話に基づいて10月に行われる神嘗祭なら、大神を祀る賢所で、米の新穀が主として供されます。けれども大嘗祭(新嘗祭も同様)は異なります。大嘗宮(新嘗祭なら神嘉殿)に大神のみならず天神地祇が祀られ、主に米と粟の新穀が、天皇ご自身によって供されるのみならず、天皇が神前で直会なさいます。

 百地先生が説明する、

「稲穂はニニギノミコトが天照大神から授けられたもの」

 などとする特定の信仰に基づいて、

「天皇が神聖な稲穂で炊かれた御膳を神にお供えすると共に自らも召し上がられる」

 というような、特定の信仰に基づく宗教的な儀礼という理解ではまったく不十分だということになります。

 ただ、先生だけを責めることはできません。多くの人たちが大嘗祭=稲作儀礼という考えにとらわれていることも確かだからです。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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