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異なる価値観を排除する矛盾 ──憲法理論は法廷闘争の方便か 2 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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異なる価値観を排除する矛盾
──憲法理論は法廷闘争の方便か 2
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第7節 憲法理論は法廷闘争の方便か


▽2 異なる価値観を排除する矛盾

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 しかしこれは大きな矛盾です。

 政教分離は

「信教の自由を保障するための制度である」

 というからには、憲法以前の問題として、信教の自由が脅かされかねない社会的な現実があるということです。

 1つの神、1つの信仰だけがあるというのではなくて、複数の神々と複数の信仰が社会に同時に存在する状況があるということです。

 神が異なれば、食べ物も飲み物も、着るものも、住む家も異なります。コミュニティも異なります。あいさつの言葉、立ち居振る舞い、気性も匂いも異なり、したがってコミュニティ同士の争いごとも起こります。

 日本社会では気がつきにくいことですが、東南アジアやインド世界に行けば、それはまさに現実です。

 その現実を克服する1つの方法は、力ずくで強権的に、完全に1つの神、1つの信仰に改宗させると同時に、異教や異端を排除することですが、かえって国内外に対立抗争をもたらすことは自明です。

 たとえば日本では、キリスト教伝来後、九州の大名たちは南蛮貿易をエサに貿易を釣ろうとし、宣教師は貿易をエサにキリスト教を釣ろうとして虚々実々の駆け引きが展開されました。

 領民の多くが事実上、強制的に改宗させられ、神社仏閣のほとんどが破壊され、それがやがてバテレン追放、禁教、そして迫害の時代の序曲となります(松田毅一『南蛮のバテレン』など)。

 ヨーロッパのキリスト教世界では、血で血を洗う悲惨な歴史を経て、逆に、複数の信仰のそれぞれの価値を同等に認め、すべての人々が平安な精神生活を送れるように、国家は特定の宗教との結びつくのではなくて、国民の信教の自由を保障しなければならない、という考え方に到達したわけです。

 百地先生はもちろん「信教の自由の保障するための制度」という定義を否定しているわけではないでしょう。けれども、社会にはいろんな考えがあり、人それぞれ価値観が異なることを認めようとしていないように見えます。

 もし認めているのなら、すでに申し上げたように、なぜ横田耕一九大名誉教授などを「一部学者」と突き放すことも、私を「粗雑な頭脳」と切り捨てることもないでしょう。

 憲法は、国家、社会の基本的あり方を定めるとともに、一面では国民の義務を定めるなど、国民の生活のありようをも規定していますが、先生の憲法理論は、憲法をめぐる訴訟に勝つための便法であり、先生ご自身の生き方とは別の次元にあるように見えます。

 少なくとも千年以上の歴史を持つ、日本の天皇のあり方、日本人のおおらかな宗教性とは異質のように見えます。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
 このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
 おかげさまで賛同者が300人を超えました。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB


第7節 憲法理論は法廷闘争の方便か


▽2 異なる価値観を排除する矛盾


 しかしこれは大きな矛盾です。

 政教分離は

「信教の自由を保障するための制度である」

 というからには、憲法以前の問題として、信教の自由が脅かされかねない社会的な現実があるということです。

 1つの神、1つの信仰だけがあるというのではなくて、複数の神々と複数の信仰が社会に同時に存在する状況があるということです。

 神が異なれば、食べ物も飲み物も、着るものも、住む家も異なります。コミュニティも異なります。あいさつの言葉、立ち居振る舞い、気性も匂いも異なり、したがってコミュニティ同士の争いごとも起こります。

 日本社会では気がつきにくいことですが、東南アジアやインド世界に行けば、それはまさに現実です。

 その現実を克服する1つの方法は、力ずくで強権的に、完全に1つの神、1つの信仰に改宗させると同時に、異教や異端を排除することですが、かえって国内外に対立抗争をもたらすことは自明です。

 たとえば日本では、キリスト教伝来後、九州の大名たちは南蛮貿易をエサに貿易を釣ろうとし、宣教師は貿易をエサにキリスト教を釣ろうとして虚々実々の駆け引きが展開されました。

 領民の多くが事実上、強制的に改宗させられ、神社仏閣のほとんどが破壊され、それがやがてバテレン追放、禁教、そして迫害の時代の序曲となります(松田毅一『南蛮のバテレン』など)。

 ヨーロッパのキリスト教世界では、血で血を洗う悲惨な歴史を経て、逆に、複数の信仰のそれぞれの価値を同等に認め、すべての人々が平安な精神生活を送れるように、国家は特定の宗教との結びつくのではなくて、国民の信教の自由を保障しなければならない、という考え方に到達したわけです。

 百地先生はもちろん「信教の自由の保障するための制度」という定義を否定しているわけではないでしょう。けれども、社会にはいろんな考えがあり、人それぞれ価値観が異なることを認めようとしていないように見えます。

 もし認めているのなら、すでに申し上げたように、なぜ横田耕一九大名誉教授などを「一部学者」と突き放すことも、私を「粗雑な頭脳」と切り捨てることもないでしょう。

 憲法は、国家、社会の基本的あり方を定めるとともに、一面では国民の義務を定めるなど、国民の生活のありようをも規定していますが、先生の憲法理論は、憲法をめぐる訴訟に勝つための便法であり、先生ご自身の生き方とは別の次元にあるように見えます。

 少なくとも千年以上の歴史を持つ、日本の天皇のあり方、日本人のおおらかな宗教性とは異質のように見えます。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
 このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
 おかげさまで賛同者が300人を超えました。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

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