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〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 2 ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 2
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった


第1節 〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 2

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 34年1月16日、皇太子(今上陛下)御成婚について、政府は「国の儀式」として結婚の儀、朝見の儀、宮中祝宴の儀を行うことを決定。
国立公文書館は平成21年秋に、天皇陛下御在位20年慶祝行事の一環として、特別展示会を開催しました。公文書館のHPには再構成された「デジタル展示」が掲載され、このなかに御結婚の儀を「国の儀式」として行うことを決めた文書が載っています〈http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/gozaii/〉。
以下、デジタル文書館の資料をできるだけ忠実に再現したいと思います。
資料は4点あり、1点目は岸総理から昭和天皇への上奏文書で、内閣の事務用箋に筆文字で、以下のように書かれ、昭和天皇が承認されたことを示す、赤い印が押されているのがうっすらと見えます。原文は縦書きです。

 皇太子結婚式における国の儀式について
右慎んで裁可を仰ぐ。
  昭和三十四年一月十六日
   内閣総理大臣 岸 信介(内閣総理大臣印)


 2点目は、閣議の資料です。やはり筆文字です。

 総甲第一号
起案昭和三十四年一月十四日
閣議決定昭和三十四年一月十六日
施行 年 月 日
上奏昭和三十四年一月十六日
公布 年 月 日
御下付(朱印)昭和〃年一月十六日

内閣総理大臣(花押) 内閣官房長官(花押) 内閣参事官(朱印) 法制局長官 内閣官房副長官(朱印)
愛知国務大臣(花押) 坂田国務大臣(花押) 寺尾国務大臣(花押) 伊能国務大臣(花押) 藤山国務大臣 三浦国務大臣(花押) 倉石国務大臣 世耕国務大臣(花押) 佐藤国務大臣(花押) 高碕国務大臣(花押) 遠藤国務大臣(花押) 山口国務大臣(花押) 橋本国務大臣(花押) 永野国務大臣(花押) 青木国務大臣(花押)
別紙内閣総理大臣請議
 皇太子結婚式における国の儀式について
右閣議に供する。
 なお、本件は日本国憲法第七条の儀式に関するものであるので、閣議決定の上は、上奏することといたしたい。
指 令 案
「皇太子結婚式における国の儀式について」は、請議のとおり。

 3点目は、宮内庁の資料のようで、宮内庁事務用箋に仮名タイプで記されています。

  皇太子結婚式における国の儀式について
一 皇太子明仁親王殿下の結婚式における結婚の儀、朝見の儀及び宮中祝宴の議は、国の儀式として行う。
二 右の諸儀を行う時期は、昭和三十四年四月中旬を目途とし、場所は、皇居とする。
三 儀式の日時及び細目は、宮内庁長官が定める。

 最後は参考資料です。資料は2つで、1つは儀式一覧表で、もうひとつは参照される条文です。事務用箋ではなく、「資料一」は赤茶けたわら半紙に謄写版印刷されたもののようで、「資料二」は仮名タイプと思われます。「資料一」は結婚の儀の期日が抜けていますので、期日が決定される前に作成されたものと考えられます。

資料一
  皇太子明仁親王殿下の結婚儀式一覧
 挙 行 案
諸儀名(説明。期日。旧皇室親族令附式事項)
一 成 約
1、神宮神武天皇大正天皇貞明皇后山陵に勅使発遣の儀(天皇が神宮山陵に成約報告のため、お使を命ぜられる。昭和三十四年一月十二日。神宮神武天皇先帝先后山陵に勅使発遣の儀)
2、納采の儀(皇太子のお使が后となる方の邸に至って、いわゆる結納を行う。一月十四日。納采の儀)
3、賢所皇霊殿神殿に成約奉告の儀(皇太子が宮中三殿に成約を奉告される。同日。賢所皇霊殿神殿に成約奉告の儀)
4、神宮神武天皇大正天皇貞明皇后山陵に奉幣の儀(天皇のお使が神宮山陵に御幣物を奉り、成約を奉告する。同日。神宮神武天皇先帝先后山陵に奉幣の儀)
  (勲章を賜うの儀。斎藤吉久注、このときは期日が変更されたらしい)
  (贈剣の儀。斎藤吉久注、このときは行われなかったらしい)
二 告 期 の 儀(天皇のお使が結婚の儀を行う期日を后となる方に伝える。結婚の儀の約 二週間前。告期の儀)
  (贈書の儀。斎藤吉久注、このときは行われなかったらしい)
三 結 婚 諸 儀
 1、賢所皇霊殿神殿に結婚奉告の儀(皇太子に代って東宮侍従が結婚の儀を行うことを宮中三殿に奉告する。 月 日。賢所皇霊殿神殿に結婚奉告の儀)
〇2、結婚の儀(皇太子、同妃が結婚の誓をされる。 同 日。后氏入宮の儀。賢所大前の儀)
 3、皇霊殿神殿に謁するの儀(皇太子同妃が皇霊殿神殿に結婚を奉告される。 同 日。皇霊殿神殿に謁するの儀)
  (皇太子妃に勲章を賜う。同 日)
〇4、朝 見 の 儀(皇太子同妃が天皇皇后にあいさつをされる。 同 日。参内朝見の儀)
 5、供 膳 の 儀(皇太子同妃が初めてお膳を共にされる。 同 日。供膳の儀)
 6、三箇夜餅の儀(皇太子同妃にお祝いの餅を供する。 同 日から三日間三箇夜餅の儀)
〇7、宮中祝宴の儀(皇太子同妃の結婚御披露の祝宴。約三日間。宮中饗宴の儀)
四 神宮神武天皇 大正天皇貞明皇后 山陵に謁するの儀(皇太子同妃が神宮山陵に結婚を奉告される。結婚の儀後適宜の月日。神宮神武天皇並びに先帝先后山陵に謁するの儀)
 備考 〇印は国の儀式として行うものを示す。

資料二
  参照条文
 日本国憲法
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
 十 儀式を行ふこと。

 閣議の資料には「憲法第7条の儀式に関する」とありますから、天皇の国事に関する行為の1つとしての「儀式」であり、「国の行事」としての儀式=「天皇の国事行為」としての儀式と考えられていることが想像されます。宮内庁のHPが「国事行為たる儀式」と記述しているのは、そのためでしょう。

 ともかく、占領期以来、祭祀は「皇室の私事」とされてきたことからすれば、賢所大前での結婚の儀が、「国の行事」とされたことは時代を画するものでした。また、皇室親族令に準じて行われているのは、依命通牒第3項に沿ったものと思われます。

 ただ、惜しむらくは、皇太子御成婚の全体が「国の行事」とされず、諸行事が因数分解され、「国の行事」とそうでないものとに二分されたことです。

 のちに昭和から平成への御代替わり当時、政府が、「皇室の伝統」と「憲法の趣旨」とを対立的にとらえ、皇室の伝統行事を伝統のままに行うことが憲法の「政教分離」原則に反するとして、国の行事と皇室行事とを二分し、挙行したことの先駆けのように見えます。

 皇太子御成婚は、占領期にゆがめられた宮中祭祀を、正常化に向けて大きく前進させたはずなのに、逆にその後の揺り戻しの出発点ともなっているように見えます。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
 このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
 おかげさまで賛同者が300人を超えました。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

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