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〈第4期〉渡邉前侍従長の積極攻勢も実らず ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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〈第4期〉渡邉前侍従長の積極攻勢も実らず
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった


第5節 〈第4期〉渡邉前侍従長の積極攻勢も実らず

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 いよいよ「女性宮家」創設論が表舞台に躍り出ます。
 転機は陛下が75歳をお迎えになったこと、そして御在位20年でした。一方で、皇族女子が適齢期を迎えました。
 この時期の特徴は、羽毛田宮内庁長官に代わり、長官から侍従職御用掛に任命された、非常勤のOB職員という立場の渡邉允前侍従長が「女性宮家」創設について積極的姿勢を見せていることです。政権は自民党から民主党に交代していました。
 提唱の目的は「皇室の御活動」維持で、他方、皇位継承論議の「棚上げ」が主張されています。「女性宮家」担当内閣参与の園部逸夫元最高裁判事の論理も瓜二つです。

 21年9月、鳩山由紀夫を首班とする民社国連立政権が発足。

 同年11月11日、「日本経済新聞」連載「平成の天皇 即位20年の姿(5) 皇統の重み 「女系」巡り割れる議論」に渡邉前侍従長のコメントが載る。
 →メディアに露出した、前侍従長の「女性宮家」創設提案の最初かと思われます。

 同月12日、政府主催の天皇陛下御在位20年記念式典。

 同年12月15日、習近平中国副主席をご引見。いわゆる天皇特例会見。

 22年12月、「週刊朝日」12月31日号に渡邉前侍従長インタビュー(対談)が載る。聞き手は、当代随一の皇室ジャーナリストである岩井克己朝日新聞記者。
 →「女性宮家」という用語はありませんが、「結婚後も皇族として残る」という中味は表現されています。

 23年10月、渡邉允前侍従長が『天皇家の執事─侍従長の10年半』文庫版(発行は年末)の「後書き」に、「女性宮家」創設を明確に提案。

 同年11月1日、宮内庁が新嘗祭のお出ましの時間短縮化などを発表。その後、陛下の御不例で御公務お取りやめが続く〈http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/kohyo-h23-1101.html#K1101〉。

 同月6日、ご入院。

 同月18日、新嘗祭のお出ましを差し控えられることを宮内庁が発表。皇太子殿下の御拝礼までが簡略化されたhttp://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/kohyo-h23-1101.html#K1118

 同月24日、御退院。

 同月25日、読売新聞の「スクープ」。「『女性宮家』の創設検討 宮内庁が首相に要請」。
 →世間では「宮内庁長官が要請した」かのように受け取られましたが、記事はそのようには書いていません。長官も否定しているようです。誤報に近い記事でしたが、「女性宮家」提唱者には好都合で、事実、これを機に、「女性宮家」創設論は一気に熱を帯びます。

 同年12月、「週刊朝日」12月30日号の記事「『内親王家』創設を提案する」。
 →この記事によると、「女性宮家」創設の提唱者が、羽毛田長官ではなく、渡邉前侍従長(当時は侍従職御用掛)であることが分かります。主役は交代したのです。

 24年1月、「選択」1月号に園部逸夫元判事インタビュー「皇室の存続こそが第一」。
「皇室の存続こそが第一とするならば、今は女性天皇、女系天皇の是非論は横に置いて、まずは新たな宮家を創設し、皇族を増やすことが先決ではないか」

 同月、園部逸夫元最高裁判事が「『女性宮家』検討担当内閣官房参与」に就任。

 同年2月、「皇室制度に関する有識者ヒアリング」開始。
 →政府の説明では、女性皇族の婚姻後の身分問題を検討する目的は、「皇室の御活動」の安定的維持と、天皇皇后両陛下の「御負担の軽減」の2つでした。政府は「女性宮家」創設とは表現しませんでしたが、メディアは「『女性宮家』ヒアリング」と報道しました。

 同年5月、黒田清子(さやこ)元内親王が臨時神宮祭主に就任。
 →17年秋に一般国民との御結婚によって皇籍を離脱された元女性皇族が、天皇のお社である伊勢神宮の重い役職につかれました。それは皇室のご活動を維持するための「女性宮家」創設の是非が世間で議論されている最中のことでした。

 同年6月1日、羽毛田信吾宮内庁長官が退任し、風岡典之次長が昇格。

 同年10月5日、内閣官房が有識者ヒアリングの論点整理をまとめるhttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/koushitsu/pdf/121005koushitsu.pdf

 同年12月16日、総選挙の結果、自民党が大勝、政権を奪還。

 同月19日、天皇陛下お誕生日会見で御公務ご負担軽減について、「今のところしばらくはこのままでいきたいと考えています」とお答えになる〈http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h24e.html〉。

 同月26日、第2次安倍内閣が発足。

 26年3月、神宮御親拝に伴い、剣璽御動座が行われた。

 →陛下の会見と安倍政権の成立で、「女性宮家」創設論議は収束しました。いや、そう見えるのは表向きだけかも知れません。
 そして実際、陛下の「退位」を認める皇室典範特例法の成立にからんで、「女性宮家」創設論が復活しました。現在は「第5期」ということになります。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆先日、チャンネル桜の番組で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンについて説明する機会を得ました。取り上げていただき、たいへんうれしく思います。
 おかげさまで賛同者が400人を超えました。
 番組でも申しましたが、何年か先の話ではなくて、いまの問題です。ひきつづきご協力をお願いいたします。
 番組はニコニコ動画やYouTubeで御覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=Iqa0zsh-CSo&feature=youtu.be
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

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