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皇室問題正常化に必要な3つのこと──御代替わりのためのささやかな提案 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(平成30年3月18日)からの転載です。


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皇室問題正常化に必要な3つのこと
──御代替わりのためのささやかな提案
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 先週、チャンネル桜の討論番組に出演させていただきました〈 https://www.youtube.com/watch?v=T0NCzePNLmU 〉。同憂の士と過ごす時間は楽しく、意義のあるものでした。お誘いいただきありがとうございました。この場をお借りして、感謝申し上げます。

 ただ、3時間の長丁場とはいえ、なにしろ9人の出演者ですから、1人あたり20分しか持ち時間がありません。私などは生来の口下手ゆえ、言いたいこと、言うべきことの半分も言えないだろうと覚悟していましたが、案の定でした。

 そこで、言い足りなかった結論的なことを、あらためて書いてみようと思います。これから将来に向けての展望についてです。小堀先生が仰せになっていたように、事態がここまで来た以上、いまさら何をか言わんやですが、ほんの少しでも改善を望みたいがゆえに、書いてみたいと思います。


▽1 退位と践祚を分離させる「無理」

 短期的に言うならば、践祚の儀式のあり方です。
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 いまのところ、政府の考えでは、来年4月30日(午前10時か?)に正殿松の間で「退位の礼」が行われ、首相の謝意に続いて、陛下が退位の表明をなさいます。5月1日(午前10時?)には剣璽等承継の儀が行われ、同日もしくは翌5月2日に即位後朝見の儀が行われることになりそうです。
3代の御代替わり儀礼日程比較.jpg
 しかし、前回申し上げたように、ここには皇室伝統の祭祀への配慮が皆無です。今上並びに新帝はまず宮中三殿にお詣りするのが筋なのに、検討されている気配が見えません。もっとも掌典職では当然、検討がなされているのでしょう。かなり苦労されているものと推測しますが、宮内庁高官たちは見て見ぬ振りなのでしょうか。

 4月30日には宮殿で退位の礼を行う前に、まず今上による御拝があってしかるべきかと思います。そして5月1日午前0時の新帝の践祚(皇位継承)ののち、新帝ご自身による賢所の儀、皇霊殿神殿に奉告の儀が斎行されるべきではないかと思います。ただ、その時刻については検討の余地があるでしょう。

 いわゆる退位の礼は、5月1日午前10時から正殿松の間で行われるであろう剣璽等承継の儀に先立ち、連続して行ってはいかがでしょうか。

 そうすれば、『貞観儀式』や一条兼良『代始和抄』などの古典に記されているような、践祚関連の儀式が連続して行われた古例に準ずることができるし、万世一系の皇位の連続性が誰の目にも明らかになるでしょう。

 ぜひ再検討していただけないでしょうか。

 石原信雄元内閣官房副長官は、公表された資料によると、有識者ヒアリングで、今上の退位の礼と新帝の即位(践祚)の式を「法的に同日というのは無理だ」と語ったようですが、退位(譲位)と即位(践祚)の儀式を分離させる方が「無理」というものでしょう。「譲位、即践祚」なのですから。

 4月30日に政府が予定する退位の礼は今上陛下による退位(譲位)の表明ですが、5月1日に剣璽渡御に先立って行われるとすれば、その場合は国民への事後的表明と位置づけられるでしょう。「無理」ではありません。


▽2 このままでは正常化に200年かかる

 中長期的にいえば、3つのことが指摘されます。

 1つは、番組の出席者からお話があった憲法改正に関することですが、私は憲法改正では済まないと考えています。

 小堀先生がおっしゃっているように、今回のことが超憲法的に進められているのは、換言すれば、日本国憲法の限界がはっきりと露呈したということでしょう。

 国民主権主義にこだわれば議論の混乱は必至です。陛下のご意向を受け入れた国民の天皇意識が、天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づくと規定する日本国憲法とは、もともとが明らかに異質なのです。

 遠くから聞こえてくる改憲案は、天皇を元首とし、祭祀を国事行為とするというような内容ですが、てにをはを手直しする程度の赤ペン先生改憲論では不十分です。

 日本国憲法を最高法規とする一元的憲法体制に問題があるのであり、明治人がそうしたように、国務法と宮務法を分ける典憲体制に変革しないと、皇位の安定、国家体制の安定は保てないではないしょうか。改革には、先人たちのように、広く海外の制度に謙虚に学ぶことも必要かと思います。

 宮内庁も独立させるべきではないですか。長官や侍従長は首相経験者を起用したらどうでしょう。

 2つ目は、シンクタンクの設立です。祭祀学、歴史学、法律学を総合する「天皇学」研究のメッカが求められると思います。

 米と粟が捧げられる宮中新嘗祭・大嘗祭を、稲の祭りだなどと決め付けているようでは、話になりません。戦前・戦中のアメリカが何を軍国主義・超国家主義の源流と誤って理解したのかを見極めずに、いつまで経っても明治神道史をほじくり返しているようでは、仕方がないではありませんか。

 時代のニーズに応えられる学問の深化が望まれます。そのために天皇研究を深化させる卓越したプロデューサーの登場を切に願うばかりです。

 3つ目に、大嘗祭訴訟、政教分離訴訟のやり直しを求めたいと思います。

 御代替わり問題に訴訟問題が大きく影を落としていることは目に見えています。これまでの訴訟では合憲判決が出されていますが、被告とされた国などがほんとうに裁判に勝ったのかといえば、そうではないと私は思います。

 大嘗祭訴訟の被告勝訴の理由は、被告側までが天皇の祭祀を皇室の私事だと認めているところにあります。これは敗北主義以外の何ものでもありません。被告側がみずからオウンゴールを蹴っている事実に気づかないとしたら愚かです。

 そもそも祭祀の中身がどのようなものかが、正確に理解されていないのではありませんか。事実の認定がないがしろにされて、合憲か違憲かを争っているのは、裁判の基本に完全に反します。事実の探求の不足が司法判断の誤りを招いていると思います。

 いま改革への問題意識を共有できないとすれば、どうなるのか。皇室問題の正常化には、過去の大嘗祭復活と同様、200年の時間を要することになるのではないかと怖れます。
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