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宮内庁は混乱している。これが「伝統の尊重」か ──第2回式典準備委員会資料を読む 5 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(平成30年4月22日)からの転載です

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宮内庁は混乱している。これが「伝統の尊重」か
──第2回式典準備委員会資料を読む 5
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 宮内庁が作成したリポート「歴史上の実例」は、光格天皇譲位の実例を振り返ったあとで、今回の「退位」の儀式とを比較していますが、宮内庁による歴史的検討の混乱ぶりはいよいよ明らかです。
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 政府は「憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものとする」を御代替わり儀式の「基本的な考え方」とすることを4月3日に閣議決定していますが、不正確な歴史理解の上に「伝統の尊重」などあり得ないでしょう。

 具体的に見ると、宮内庁による比較のポイントは、「場所」「内裏から仙洞御所への行幸」「参列者」「皇太子の参列」「御退位事実の公表」「剣璽」の6点です。以下、それぞれについて検討してみることにします。


1、場所

 宮内庁のリポートでは、光格天皇の譲位の儀式が行われた場所は仙洞御所(桜町殿)で、今回の御譲位の儀式(案)では宮殿松の間になると説明されています。「仙洞御所未整備」と括弧付きで書き添えられているのは、その理由と読めます。

 しかし不正確です。

 前回、指摘したように、ほかならぬ宮内省がまとめた「仁孝天皇実録」には「清涼殿に於いて受禅あらせらる」と記録されています。光格天皇の譲位すなわち仁孝天皇の践祚の儀は仙洞御所ではなく、清涼殿で行われたのです。

 光格天皇は、「貞観儀式」の定めに従い、御譲位に先立って、仙洞御所に行幸になったのでした。誤った歴史理解との比較検討自体、無意味です。

 リポートには、「日本無双の才人」と呼ばれた一条兼良の「代始和抄」に「毎度のことなり」と解説されている、御代替わりに先立って行われる「警固・固関」についての言及もありません。光格天皇御譲位の日から「三箇日」にわたって行われたと記録されている「内侍所御神楽供進」すなわち賢所の儀も無視されています。

 御代替わりに際して、皇宮警察がいにしえの装束を身にまとい、皇居の各御門を固めたら、日本の歴史の深さを内外に示せるでしょうに。


2、内裏から仙洞御所への行幸

 リポートは、光格天皇のときの行幸は「あり」とし、「パレードではない」と注意書きしています。これに対して、今回は、「御所から宮殿へ御移動」になると説明しています。

 宮内庁の説明は、既述したように、仙洞御所が未整備で、行幸のしようがないということなのでしょう。

 しかし、「貞観儀式」の「譲国儀」の冒頭に、「天皇予去本宮、百官従、遷於御在所」と仙洞御所への行幸について記述されているのは軽視すべきことでしょうか。むろん「パレード」ではありませんが、剣璽とともに仙洞御所に遷られることは意味があるのだろうと私は思います。

 今回、仙洞御所が未整備なのは事実ですが、「退位」までまだ1年以上もあるのです。工事を急げば、行幸を200年ぶりに復活させることはけっして不可能ではないでしょう。


3、参列者

 リポートでは、光格天皇の際には、「関白、左大臣ほか」が参列したとし、「儀式書『貞観儀式』においては、親王以下五位以上の参列者は門内に列立し、六位以下の参列者は門外で列立した」と説明しています。

 これに対して、今回は、供奉の皇族方のほか、三権の長らが配偶者を含め、約300人が参列するとされています。

 すでに指摘したことですが、ここでいう参列とは、光格天皇の譲位が行われたとする仙洞御所での儀式なのでしょうか。譲位の儀は仙洞御所ではなくて、清涼殿で行われたのであり、比較はまったく意味がありません。

 また、服装についての説明がありませんが、今回はモーニングでしょうか。


4、皇太子の参列

 宮内庁のリポートは、光格天皇の事例では「皇太子(恵仁親王)は譲位儀に参列しない」「内裏内の東宮御在所から清涼殿にお出まし」と解説し、今回は「皇太子殿下は、他の皇族方とともに、天皇陛下に供奉して松の間に入られる」と説明しています。

 一方で、「『貞観儀式』では、天皇と皇太子がそろって儀場の上皇御所にお出ましになり、譲位が執り行われることとされていた。光格天皇の以前に行われた譲位儀(後桜町天皇から後桃園天皇へ。47年前)においても、譲位は天皇と皇太子がおそろいで行われた(場所は紫宸殿)」と注意書きを加えています。

 すでに申し上げたように、光格天皇から仁孝天皇への譲国の儀は、仙洞御所ではなくて清涼殿で行われたのであり、皇太子恵仁親王も当然、お出ましになっています。

 宮内庁の説明はまったく間違っています。

 今回、陛下は退位後、皇太子殿下の即位の儀式に出席(参列)なさらないご意向だとの報道が伝えられていますが、剣璽渡御の儀(剣璽等承継の儀)にお出ましにならないということなら、皇位継承の本質からみて、あり得ません。


5、御退位事実の公表

 宮内庁のリポートは、光格天皇のときには宣命使に譲位の宣命を宣読させたが、今回は宣命および宣命使による宣読は行われず、総理の奉謝と陛下のお言葉によって、御退位が内外に明らかにされる、と説明しています。

 一条兼良の「代始和抄」に、「御譲位のときは、警固、固関、節会、宣制、剣璽渡御、新主の御所の儀式などあり。これは毎度のことなり」と書かれてあるように、宣命は重要ですが、今回の場合、そもそも天皇の発意による「譲位」ではなく、国民の意思に基づく「退位」だとされるのなら、「宣命」は認められないことにもなります。

 また、リポートには節会についての言及がありません。はじめから想定していないということでしょうか。これが「皇室の伝統の尊重」でしょうか。


6、剣璽

 リポートには、光格天皇の際は「譲位儀に引き続いて、剣璽が新天皇の下に移される(桜町殿→内裏清涼殿)」とされ、今回は「剣璽は、御退位の儀式当日(平成31年4月30日)には承継されない。剣璽等承継の儀は、新天皇陛下が御即位になる5月1日に行われる」と説明しています。

 しかし、これも完全に間違いです。

 光格天皇の譲位の儀が仙洞御所で行われたのではなくて、仙洞御所から清涼殿ヘ剣璽渡御が行われたのち、清涼殿で光格天皇から仁孝天皇への譲位即践祚の儀礼が行われ、剣璽が新帝に遷られたのです。

 200年前の事例にならうなら、今上陛下の退位の礼と皇太子殿下の践祚の式、すなわち剣璽等承継の儀は、5月1日に連続して、一連の儀式として、行われるべきではないでしょうか。

 政府は、退位と即位とを何が何でも分離したい意向のようですが、そのこと自体、譲位即践祚という伝統に反していると私は思います。

 それにしても、私のような素人でも分かるような間違いを、宮内庁はなぜ犯しているのでしょうか。200年ぶりの譲位とも、憲政史上初めてともいわれる譲位に基づく御代替わりに、こんな瑕疵があっていいものでしょうか。

 それとも私がとんでもない読み違いをしているのでしょうか。できれば、そうあってほしいとさえ思います。私はタチの悪い冗談を聞かされているような気がしてなりません。
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