SSブログ

皇室典範特例法を批判する by佐藤雉鳴 ──取り戻さなければならない皇室の歴史と伝統 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2018年6月24日)からの転載です

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
皇室典範特例法を批判する by佐藤雉鳴
──取り戻さなければならない皇室の歴史と伝統
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


▽1 天皇陛下のおことばの衝撃

 平成29年6月9日、皇室典範の特例法が成立しました。さらに平成29年12月13日には、その施行期日を、二年後の平成31年4月30日とする政令が公布されました。平成の代がその日をもって終わるということです。昭和、平成と生きていた私には、いろいろ思うところがありました。

 思い出せば平成28年の8月8日午後、私は新宿にいました。あの日の夕方、友人と新宿で会食の予定がありました。それで少し早めに出て、天皇陛下のビデオ・メッセージを家電量販店の大きなディスプレィで拝聴することにしたのです。

 午後3時、メッセージは「象徴としてのお務めに関する天皇陛下のおことば」として放映されました。ディスプレィの前には私一人しかいませんでした。月曜日の午後3時ということも関係していたかもしれません。途中、一組の東洋系外国人カップルが通りすがりに5〜6秒立ち止まりましたが、すぐに歩き去りました。

 さてメッセージを拝聴して、私は少なからぬ衝撃を受けました。皇室典範に関する重要事項が含まれていたからです。会食後、帰宅してすぐに録画を繰り返し繰り返し確認しました。最後に陛下は「国民の理解を得られることを、切に願っています」と仰せられました。

 私たち国民が理解すべきこととは、いったい何なのでしょうか。


▽2 見えにくい特例法成立までの経緯

「天皇陛下のおことば」からあれよあれよの間に特例法が成立しました。断片的な報道はあったものの、私には特例法が成立するまでの経緯がよくわかりませんでした。いま、公開された資料を基に整理すると、主な流れがわかります。

平成28年8月8日「象徴としてのお務めに関する天皇陛下のおことば」
平成28年10月17日「天皇の公務の負担軽減に関する有識者会議」の設置
平成29年1月21日 安倍総理の施政方針演説
平成29年3月17日 衆参正副議長によるとりまとめ
平成29年4月21日 有識者会議最終報告
平成29年6月9日「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」成立
平成29年12月13日 施行期日を定める政令公布
平成29年12月20日「天皇陛下お誕生日に際し」
平成30年1月9日 式典準備委員会設置
平成30年3月9日 特例法施行令公布

 この間、もちろん国会での議論もありました。しかしこの歴史をゆるがす皇室典範の特例法について、激しい論戦はありませんでした。本当に十分な議論がなされたのでしょうか。やはり検証する必要があると思います。


▽3 「おことば」から浮かび上がる譲位

 まず、「天皇陛下のおことば」の内容について、今一度整理してみます。ここでは正確を期すために、宮内庁のサイトから引用します。

「本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います」

「既に80を越え,幸いに健康であるとは申せ,次第に進む身体の衰えを考慮する時,これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じています」

「また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」

「始めにも述べましたように,憲法の下(もと),天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。
 国民の理解を得られることを,切に願っています」

 畏れ多くも、陛下の「おことば」を総合すると、「譲位」が浮かび上がってきます。


▽4 「退位」と言い換えたメディア

 しかしこの「譲位」について、テレビや新聞ではわかりやすく報道されなかったように思います。ほとんどのメディアは「退位」と表現しました。

 これまで125代のうち、譲位された天皇は59名と云われていますが、退位された天皇は一人も存在しません。皇位は天皇の崩御と同時に践祚が行われ、新帝に承け継がれました。あるいは譲位と同時に受禅があって、皇位は継承されました。前者を諒闇践祚、後者を受禅践祚とする言い方もあるようです。即位の儀式は然る後に行われました。

 この践祚という言葉は、旧皇室典範にあって現皇室典範にはありません。

旧皇室典範第十条「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」

 つまり一瞬たりとも皇位の空白が起きないように、践祚ということが規定されていたのです。

 現皇室典範では即位のみで、践祚、神器はありません。

現皇室典範第四条「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」

 また、どちらの皇室典範にも譲位はありません。旧皇室典範では、皇位継承に関する「権臣の強迫」、いわば政治的恣意性による混乱を避けるため譲位は排除されました。これは伊藤博文『皇室典範義解』に記されています。現皇室典範もこの考え方が基礎となっています。さらには退位もありません。これは我が国の歴史に一貫しています。

 ここで譲位と退位の概念を整理してみます。譲位には、譲位する側とされる側があって成立します。退位はたんに「位を退く」ことであり、位の継承者は念頭にありません。

 今上陛下は「そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました」と仰せられました。ですから「おことば」は明らかに譲位を意味しているのであって、退位だけを意味するものではないと思います。


▽5 成立した皇室典範特例法も「退位」

「天皇のおことば」から約十か月後の平成29年6月9日、国会では「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立しました。法律名には譲位ではなく退位が用いられています。「おことば」からすると、やはり違和感を禁じ得ません。

 ではこの特例法の内容はどんなものでしょうか。ポイントを要約します。

第一条
(1)御高齢になられた天皇陛下が、今後の御活動を深く案じておられること
(2)国民は、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること
(3)現下の状況に鑑み、天皇陛下の退位及び皇嗣の即位を実現するとともに、天皇陛下の退位後の地位その他の退位に伴い必要となる事項を定める

第二条
天皇は、この法律の施行の日限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位するものとする

第三条
退位した天皇は、上皇とするものとする

第四条
上皇の后は、上皇后とするものとする

第五条
この法律による皇位の継承に伴い皇嗣となった皇族に関しては、皇室典範に定める事項については、皇太子の例によるものとする

附則第三条
天皇の退位等に関する皇室典範特例法は、皇室典範と一体を成すものであるとの規定を新設する

 以上のように、この特例法に譲位はありません。また「皇嗣となった皇族」とあるように、皇位継承者について、皇太子のような特定の皇族を表現していません。

 なぜこのような特例法となったのでしょうか? まず有識者会議の中身を眺めてみます。


▽6 「天皇の公務の負担軽減に関する有識者会議」の設問

 有識者会議は、その第3回目から順次、20名の外部識者にヒアリングを行いました。全員に同じ質問を設定しましたが、その内容を官邸のサイトから引用します。

「聴取項目 以下の項目について、ヒアリング対象者から20分程度意見の陳述を受け、 10分程度の意見交換を行う。
(1)日本国憲法における天皇の役割をどう考えるか。
(2)(1)を踏まえ、天皇の国事行為や公的行為などの御公務はどうあるべきと考えるか。
(3)天皇が御高齢となられた場合において、御負担を軽くする方法として何が考えられるか。
(4)天皇が御高齢となられた場合において、御負担を軽くする方法として、憲法第5条に基づき、摂政を設置することについてどう考えるか。
(5)天皇が御高齢となられた場合において、御負担を軽くする方法として、憲法第4条第2項に基づき、国事行為を委任することについてどう考える か。
(6)天皇が御高齢となられた場合において、天皇が退位することについてどう考えるか。
(7)天皇が退位できるようにする場合、今後のどの天皇にも適用できる制度とすべきか。
(8)天皇が退位した場合において、その御身位や御活動はどうあるべきと考えるか。」


▽7 「ご負担軽減」が「退位」に豹変した最終報告

 このヒアリング等を経て、有識者会議は平成29年4月21日付けで「最終報告」を出しました。これも官邸のサイトから読んでみます。この有識者会議が検討事項とした内容は、この目次に表れています。

目次

「はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1

(1)最終報告の取りまとめに至る経緯・・・・・・・・・・・・2

(2)退位後のお立場等・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
1退位後の天皇及びその后の称号・・・・・・・・・・・・・・・4
2退位後の天皇及びその后の敬称・・・・・・・・・・・・・・・7
3退位後の天皇の皇位継承資格の有無・・・・・・・・・・・・・7
4退位後の天皇及びその后の摂政・臨時代行就任資格の有無・・・7
5退位後の天皇及びその后の皇室会議議員就任資格の有無・・・・8
6退位後の天皇及びその后の皇籍離脱の可否・・・・・・・・・・9
7退位後の天皇が崩御した場合における大喪の礼の実施の有無・・10
8退位後の天皇及びその后の陵墓・・・・・・・・・・・・・・・11

(3)退位後の天皇及びその后の事務をつかさどる組織・・・・・12

(4)退位後の天皇及びその后に係る費用等・・・・・・・・・・13
1退位後の天皇及びその后に係る費用・・・・・・・・・・・・・13
2天皇の退位に伴い承継される由緒物への課税の有無・・・・・・13

(5)退位後の天皇の御活動のあり方・・・・・・・・・・・・・14

(6)皇子ではない皇位継承順位第一位の皇族の称号等・・・・・15
1称号・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17
2事務をつかさどる組織・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18
3皇室経済法上の経費区分・・・・・・・・・・・・・・・・・・18
4その他・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18

おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20

 最終報告ではあるものの、「退位」の文字が目立ちます。「天皇の公務の負担軽減」から「天皇の退位」へ豹変したのです。

 有識者会議の設置から三か月後の平成30年1月20日、安倍総理は国会において施政方針演説を行いました。その冒頭の発言です。

「まず冒頭、天皇陛下の御公務の負担軽減等について申し上げます。現在、有識者会議で検討を進めており、近々論点整理が行われる予定です。静かな環境の中で、国民的な理解の下に成案を得る考えであります」

「静かな環境の中」とはどういうことでしょうか。もちろん皇位継承に関することですから、騒々しい環境は相応しくありません。ただ、密室での議論に聞こえなくもない気がします。また有識者会議の報告に反論をしないでほしい、そんなニュアンスも感じられます。


▽8 「皇太弟」を定めない「衆参正副議長のとりまとめ」

 有識者会議が進む中、平成30年3月17日衆参正副議長から「とりまとめ」が発表されました。後に成立した特例法の内容とほぼ同じです。そして気になる点は「天皇の退位後の文仁(秋篠宮)親王殿下に関連する規定」と法案要綱の対比表です。

 秋篠宮親王殿下の呼称について、法案要綱では「呼称を設けない」とされています。徳仁親王殿下の即位に伴って、皇位継承順位の第一位は秋篠宮親王殿下となります。しかし徳仁天皇の弟君ですから、皇太子とは称されません。皇室典範に表現はありませんが、歴史的には皇太弟があります。

「日本後紀」によれば嵯峨天皇・淳和天皇が皇太弟でした。また「大日本史料」等によれば村上天皇・近衛天皇・順徳天皇・亀山天皇が皇太弟と称されていました。有識者会議のヒアリングでは本郷恵子東京大学史料編纂所教授が、この皇太弟を主張しましたが、特例法には記載がありません。

 そして国会ではこの件に関し、民進党(当時)の奥野総一郎議員から質問主意書が提出されました。衆議院のサイトから引用します。

「皇太子及び皇太孫が不在の場合、皇位継承順位第一位となる皇族は、同条同項の条文上は皇籍離脱でき得ることとなる。仮に同条同項の趣旨が『皇位継承順位第一位の者が皇籍離脱することを認めない』(同旨「皇室法概論」園部逸夫著)であるならば、規定の趣旨に合致しないこととなり、制度の不備ではないか」

 皇室典範の規定に皇太弟はありません。皇太子・皇太孫だけです。したがって皇嗣という一般名称では「皇籍離脱」の可能性が考えられます。それで「皇籍離脱の制限」は制度の不備ではないかとの質問でした。ちなみに皇室典範の規程は以下の通りです。

第十一条第二項「親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる」

 これに対する衆議院大島理森議長の答弁です。

「皇室典範第十一条第二項において『親王』から『皇太子及び皇太孫を除く』としているのは、『親王』のうち皇位継承の順位が第一位であって天皇の直系の子孫である方については、『やむを得ない特別の事由があるとき』であっても皇族の身分を離れることができないとするものであって、御指摘のように、一般的に『皇位継承順位第一位の者が皇籍離脱することを認めない』という趣旨であるとは解していないことから、そのような趣旨であることを前提としたお尋ねについてお答えすることは困難である」


▽9 不安定な「皇嗣」の皇位継承

 あいまいでよく分かりません。結局のところ、皇太子・皇太孫ではない皇嗣の即位については、自動的に皇位継承となるのではなく、皇室会議の議を経る可能性があると考えられます。もしそうなら、これは安定的な皇位継承にとって、まさに一大事であると言わなければなりません。

 皇室会議を構成する議員10名のうち皇族は2方で、あとは衆・参両院の議長・副議長、内閣総理大臣、宮内庁長官、最高裁判所長官・同判事1人です。反天皇の政権がないとは限りません。皇位継承に政権が関与することは危険です。皇位継承は皇室の家法(成文法は旧皇室典範)で決定されるべきものです。

 また参議院において、特例法についての附帯決議も可決されました。

「一 政府は、安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について、皇族方の御年齢からしても先延ばしすることはできない重要な課題であることに鑑み、本法施行後速やかに、皇族方の御事情等を踏まえ、全体として整合性が取れるよう検討を行い、その結果を、速やかに国会に報告すること。

二 一の報告を受けた場合においては、国会は、安定的な皇位継承を確保するための方策について、「立法府の総意」が取りまとめられるよう検討を行うものとすること。」

 小泉政権における有識者会議で話題とされた女性宮家創設論が、またぞろ復活です。「安定的な皇位継承のための」女性宮家とは「燃えないガソリン」と同じです。矛盾です。皇位継承とは一切関係ありません。


▽10 特例法の「退位」を「譲位」と改めよ

 特例法の成立後、平成29年12月13日には「施行期日を定める政令」が公布されました。そして同年12月20日、宮内庁は「天皇陛下お誕生日に際し」を公開しました。

「この度,再来年4月末に期日が決定した私の譲位については,これまで多くの人々が各々の立場で考え,努力してきてくれたことを,心から感謝しています。残された日々,象徴としての務めを果たしながら,次の時代への継承に向けた準備を,関係する人々と共に行っていきたいと思います」

 ここで初めて天皇陛下から「譲位」という言葉が発せられました。やはり平成28年の「象徴としてのお務めに関する天皇陛下のおことば」のポイントは譲位に関するものだったと考えてよいと思います。

 しかし特例法に譲位の言葉は一つも用いられていないのが現実です。そしてこの特例法に定められた皇嗣には不安が残ります。皇室典範の規定になぜ皇太弟が付け加えられなかったのか。皇太弟という自動的な皇位継承者の存在こそ、安定的な皇位継承につながります。

 また、附帯決議の問題です。女性宮家創設と皇位継承は関係ありません。これは女系天皇を実現するための一歩です。女系天皇は皇統史にありません。天皇はそもそも「歴史的大御位」です。歴史を重要視すれば、女系天皇はこれも「燃えないガソリン」で矛盾です。

 結局、
(1)皇室典範特例法の「退位」を「譲位」とすること
(2)皇室典範特例法で、皇室典範に「皇太弟」を追記し文仁親王殿下を皇太弟とすること
(3)皇室典範特例法の附帯決議を削除すること

 これらが必要なのではないかと、疑問を持たずにはいられません。


▽11 「女性宮家」創設論のトンデモ根拠

 この附帯決議の女性宮家創設論は女系天皇につながります。そして女系天皇論の根拠のひとつに大宝令・継嗣令の解釈が深く関係しています。継嗣令の条文と註は以下の通りです。

「凡皇兄弟皇子、皆為親王(女帝子亦同)」

 つまり本文は、「天皇の兄弟と皇子は、皆親王とせよ」との内容です。そして問題はこの註です。

(女帝子亦同)を「女帝の子もまた同じ」とする解釈がひとつ。「ひめみこも、帝の子は、また同じ」と解釈するのがひとつです。つまり皇女も内親王とせよ、との解釈です。どちらが正解か。インターネットに珍説があったので、それで説明します。

 第42代文武天皇には姉に氷高内親王(のちの元正天皇)、妹に吉備内親王(長屋王の妃)がおられました。この吉備内親王について、内親王とされたのは母が元明天皇だったからだという説です。「女帝の子」だから内親王とされたとの説です。

 たしかに文武天皇の父は草壁皇子で即位はしていません。いわゆる皇女ではありませんから、「女帝の子」は正しいように聞こえます。

 では第47代淳仁天皇の場合はどうでしょうか。妹の室女王と飛鳥田女王は、淳仁天皇の即位後、それぞれ内親王と称されました。淳仁天皇の父は舎人親王で即位はしていません。母も即位はしていません。ではなぜ内親王とされたのでしょうか。

「続日本紀」には淳仁天皇が、父の故舎人親王を崇道尽敬皇帝と称えた上で、「兄弟姉妹ことごとに親王とまをせ」と宣言されたとあります。当時、継嗣令本文の兄弟には姉妹を含み、兄弟姉妹と理解されていた証拠です。

 以上を含め、継嗣令の本文と註を、註は「皇女も(皇子と同じように)親王(内親王)とせよ」として現代語訳すると、以下のようになります。

「天皇の兄弟姉妹と皇子・皇女は、皆それぞれ親王・内親王とせよ」


▽12 継嗣令を誤って解釈した6人の有識者

 つまり氷高内親王・吉備内親王と室内親王・飛鳥田内親王に共通するのは、天皇の姉あるいは妹だったことです。これで継嗣令の註の解釈と歴史の事実が整合します。「女帝の子」だから内親王とされた訳ではありません。

 さらに現皇室典範です。

第七条「王が皇位を継承したときは、その兄弟姉妹たる王及び女王は、特にこれを親王及び内親王とする」

 これは旧皇室典範に遡ります。

第三十二条「天皇支系ヨリ入テ大統ヲ承クルトキハ皇兄弟姉妹ノ王女王タル者ニ特ニ親王内親王ノ号ヲ宣賜ス」

 これもまた継嗣令に遡ることができるのは、「皇室典範義解」の解説に明らかです。「女帝の子」はまったく関係がありません。継嗣令の註は内親王の規定です。

 皇室典範特例法の有識者会議において、ヒアリングを受けたのは20名です。このうち、その著作、所属団体が掲載した雑誌論文、インターネット放送、あるいは小泉政権の有識者会議等において、継嗣令の註を誤って解釈し、そのうえで自分の主張をしていた人が少なくとも6名います。

 園部逸夫、所功、大原康男、百地章、八木秀次、新田均の各氏です。この人たちの説では、淳仁天皇の妹たちが内親王とされた事実を説明できないはずです。つまり皇位継承に関する重要な歴史認識を誤っているのです。本当に皇位継承問題に関するヒアリングの対象者として適任だったのでしょうか、疑問です。


▽13 式典準備委員会の伝統軽視

 平成30年1月9日には式典準備委員会が設置されました。昭和から平成への御代替わりのときもそうでしたが、式典についても、歴史と伝統が軽視されているように思えてなりません。ここは当メルマガの斎藤吉久氏の主張されている通りです。

 斎藤氏の問題提起「大嘗祭を『国の行事』に」は歴史と伝統への深い敬意があります。天皇は歴史的大御位です。歴史を重視した皇位継承の式典を、いま、私たち日本人は取り戻さなければなりません。


[筆者プロフィール]
佐藤雉鳴(さとう・ちめい) 昭和25年生まれ。国体論探求者。著書に『本居宣長の古道論』『繙読「教育勅語」─曲解された二文字「中外」』『国家神道は生きている』『日米の錯誤・神道指令』
nice!(1)  コメント(1) 
共通テーマ:ニュース

nice! 1

コメント 1

うまやど

斎藤先生の記事を一部引用して、記事を書かせていただきました。
よろしくお願い申し上げます。

https://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/66033609.html
by うまやど (2018-06-24 11:54) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント