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大嘗祭に携わる官人たちの今昔 2 ──荷田在満『大嘗会便蒙』を読む 10 [大嘗祭]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2019年10月15日)からの転載です

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大嘗祭に携わる官人たちの今昔 2
──荷田在満『大嘗会便蒙』を読む 10
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『大嘗会便蒙』下 大嘗会当日次第

▽10 大嘗祭に携わる官人たちの今昔 2

ソ、亥の刻、回立殿に御す。帛御衣。警蹕せず。入御ののち、ことに高声を禁む
回立殿内図@大嘗会便蒙@御大礼図譜.png

 御すというのは渡御されることである。帛御衣は白絹の御袍で、天子の御神事に著御の御衣である。

 まず、本殿で御衣を召し、回立殿まで渡御なさる。御衣紋は高倉前の中納言永房卿、御前衣紋は坊城大納言俊将卿が参られる。

 警蹕は先をおうと調して、天子出御のときなどに、人々慎めよとの戒めに、近衛の将が声を上げて、ををををと呼ぶことである。しかしながらいまの世は、ををとはいわずに、直に警蹕と呼ばれるのは誤りである。つねのときの出御には、かならず警蹕する。このときは御致斎によって物音がなく静かならんがために、警蹕するのである。

 入御とは、ここでは、回立殿にお入りなさるのをいう。入御以前からも高声高音は禁じられるのだが、入御からのちはことに戒めるのである。

 昔は、回立殿に渡御なさるのに、鸞輿や腰輿などを用いられた。これは本殿から遠いからである。いまは渡御の間に土間がないため、御歩きなさる。

 ただし、夜中であるため、脂燭の殿上人がいる。このたびは五辻右衛門佐盛仲朝臣、堀河河中務大輔冬輔朝臣、船橋右兵衛佐親賢、富小路右京大夫総直、山科内蔵頭師言、北小路左兵衛権佐光香、藤井新蔵人卜部兼矩が、各燭を執り前行される。

 また内侍両人が剣璽を持って従い申し上げる。扶持将といって、介添えに近衛の次将1人ずつが内侍につく。このたびは東久世右中将通積朝臣が宝剣を扶持し、植松右中将賞雅朝臣が神璽を扶持される。


タ、関白、便所に候す

 当時の関白は一條兼香公である。便所は便宜のところであって、俗にいう勝手のいいところである。この間、関白の座所は定式がない。いずこなりとも便なるところに候しなさるのである。


チ、小忌の公卿、巽角庭上の座に著く。西面北上

 小忌の公卿の義は、上の大忌版位の下に註してある。このたびの小忌の公卿は大炊御門大納言経秀卿、東園中納言基楨(もとえだ)卿、松木宰相中将宗長の朝臣の3人である。
私小忌・諸司小忌@大嘗会便蒙@御大礼図譜.png

 庭上は回立殿の庭上である。回立殿の東の方の、板囲いの内殿より南に当たって、板囲いのもとに初めから簀薦を敷き、そのうえに畳を敷いて、3人の座を設けておく。そして3人の北の方を上座とし、西向かいに座につかれるのである。


ツ、大臣1人、小忌を著け、坤の角の座に就く。東面

 この大臣は、すなわち大嘗宮へ渡御なさるときの前行を勤めなさる。これを前行の大臣という。このたびは一條右大臣道香公がお勤めになる。

 これも上世にはひととおりには見えず、中古以後は私の小忌、諸司の小忌、出納の小忌、如形(かたのごとく)の小忌などといって、裁縫品々があった。いずれももとは私の小忌であるのを、略して製したものと見える。模様もいろいろあり、大嘗の当日、出仕の人々は大方小忌を着るのである。
出納小忌・如形小忌@大嘗会便蒙@御大礼図譜.png

 この大臣の座は、回立殿の西南、紫宸殿の東階の南に当たっていて、小忌の公卿と遥かに隔てて、対座にすごものうえに畳を敷き置き、大臣はこれに東向著座なさるのである。


テ、大忌の公卿、著座。南鳥居の外、北面東上

 大忌の公卿のことは、大忌の版位の下に註した。昔は大忌幄といって、南門の外に幄を建て、大忌の人は幄中の座に著いたが、貞享(斎藤吉久註=東山天皇の大嘗祭)ならびにこのたび(斎藤吉久註=桜町天皇の大嘗祭)などは、幄を略されて、ただ簀薦のうえに畳を敷いている。

 ただ、貞享には南の鳥居の外の少し東に、両人が南北に対座された。このたびは鳥居の外の正中の巡に当たって、両人ともに北面で、醍醐大納言は東、清閑寺中納言は西の方に座せられる。


ト、次に主殿寮、小忌の御湯を供す

 小忌の御湯のことは、上の御湯の下に註した。この御湯は回立殿の東の戸から供する。


ナ、御湯殿のことあり

 これは回立殿の東の間、竹簀子のところで、御湯を召されるのである。蔵人頭、五位の蔵人、六位の蔵人などが奉仕なさる。


ニ、次に御祭服を著く

 これは上に見た白生の御祭服で、すなわち中臣忌部の、内蔵官人を率いて、回立殿に置いた、二襲の御服のうちの御祭服である。

 これまで著御なさった帛の御衣御下襲を改められて、御祭服一襲を著御なさり、御冠をも絹の御冠に改め、御幘を御巾子に回されるのである。ただし、御表袴以下は、中古以来、改めなさらない。

 御衣紋は高倉前中納言永房卿、御前衣紋は葉室前大納言頼胤卿が参られる。


ヌ、次に御手水を供す

 陪膳は蔵人頭1人で、このたびは庭田頭中将重煕朝臣が勤められる。役送は五位蔵人2人で、勧修寺右中弁顕道、葉室権右中弁頼要が勤められる。


ネ、采女、時を申す

 この采女は、このたびは高橋采女正宗直がこれを勤める。

 回立殿の南の戸の辺について、これを申し上げる。ただし、この采女は昔の書に見られるのは女の采女であるようで、男官の采女司がこれを申し上げることはいまだに甘心しない。


 次回はいよいよ新帝のお出ましです。


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