SSブログ

回立殿から悠紀殿への渡御 ──荷田在満『大嘗会便蒙』を読む 11 [大嘗祭]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2019年10月16日)からの転載です

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
回立殿から悠紀殿への渡御
──荷田在満『大嘗会便蒙』を読む 11
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


『大嘗会便蒙』下 大嘗会当日次第

▽11 回立殿から悠紀殿への渡御

ノ、出御。その道、大蔵省、あらかじめ2幅の布単を敷き、宮内輔、葉薦をもって御歩に随い、布単の上に敷き、掃部寮、御後に随い、これを巻き、人はあえて踏まず

 これは回立殿より大嘗宮まで渡御の道である。

 先立って大蔵の官人が2幅の単の布を敷き置く。

 その敷き様は、回立殿の竹簀子の間の、南の方へ下る踏み段の下から南へ敷く。板囲いの手前8尺ばかりのところから西の方へ折れて敷く。大嘗宮の北の鳥居の前から南へ折れて敷く。鳥居をくぐり、行き当たりの袖垣と鳥居との中央から西へ折れて敷く。袖垣の西の端と主基殿の縁の端との中央から南へ折れて敷く。正中の鳥居の前から東へ折れて敷く。鳥居と悠紀殿の西の縁の端との中央から南へ折れて敷く。南の柴垣と悠紀殿の南の縁との端との中央から東へ折れて敷く。南階の中央に当たって北へ折れて、階下まで敷く。

 これが悠紀殿への渡御の道である。昔は柴垣の内の地面には8尺の布を敷くと見える。いまはそうではない。

 宮内は掃部の管領の官であるがゆえに葉薦を敷くのである。このたびは生島大輔治孝朝臣がこれを勤める。

 これはひととおり布単を敷いた上にまた葉薦を敷いて、そのうえを渡御しなさるのである。ただし、前方に敷き置くのではなく、御歩の次第に、御先へせんぐりに膝行して敷きゆくのである。昔は宮内輔両人が左右に膝行して、萱の薦を敷くとある。いまはそうではない。

 掃部の官人は御跡に随い、これを巻く。ただし、一度に巻かないで、御歩の次第に御後からせんぐりに巻きゆくのである。

 天子のほかの人はこの薦を踏まない。ただ、関白は御裾を持ちなさるので、少しは踏まれなければできない。


ハ、まず大臣、中臣忌部を率いて、前行す。大臣、中央にあり。中臣、左にあり。忌部、右にあり

 この大臣は、すなわち回立殿の坤の角の座に著座している大臣である。中央にありというけれど、正中では葉薦を踏んでしまうので、少し傍らへ寄って前行なさる。


ヒ、次に御巫猿女

 御巫は神を斎き祭る女である。昔は大御巫、生島の御巫、座摩の御巫、御門の御巫などというのがあった。いまは絶えてしまったので、このたびは斎藤讃岐守利盛朝臣の女を御巫に定めた。

 猿女は氏の名前である。昔、天照大神が天石窟にこもられたとき、猿女の君の遠祖、天の鈿女命が石窟の前でわざをぎし、神がかりして、天照大神を出しなさり、また天孫が天降りなさったときに、先立ちした功によって、神事の前行などは猿女を用いるのである。いまは絶えてしまったので、このたびは山口中務少丞盛行の女を猿女に定めている。

 この御巫、猿女も、大臣に率いられて、左右に前行する。


フ、次に主殿の官人2人、燭を執る

 もっとも上にいえる主殿寮の両人である。重威は左に立ち、燭を左の方へなして持ち、職秀は右に立ち、燭を右の方へなして持つのである。


へ、近衛の将、剣璽を取り、左右に候す

 近衛は御側を警固する官で、剣璽は宝剣剣璽といって必ず御身に随えて、放たれない。したがって近衛の次将がこれを取って御左右に候す。

 このたびは橋本左中将実文朝臣が剣を取って御左にあり、小倉右中将宣季朝臣が璽を取って御右にある。


ホ、御歩

 宮内輔の敷きゆく葉薦のうえを歩行しなさるために、御徒跣で、御履はない。供奉の人も布単のうえを行くため徒跣である。


マ、車持の朝臣、菅蓋を取り、差し覆い奉り、子部の宿禰、笠取の直、各1人、蓋の綱を取る

 車持朝臣、子部宿禰、笠取直はみな姓氏の名で、上世これらの諸氏の人が多かったときに、この役に当てたのを古例として、いまはその姓の人がいないために、他氏の人を代として勤めさせる。

 そのなかにも近例必ず六位の蔵人をもって代とする。これはいたって御側なる役であるため、蔵人を用い、手にわざがあるために高位を用いずに、六位を用いられるとみられる。このたびも車持の朝臣代は北小路極﨟大江俊包、子部宿禰代は慈光寺差次蔵人源澄仲、笠取の直代は小森丹蔵人丹波頼亮がこれを勤められる。

 菅蓋は、菅にて作られる差しかけ笠である。別に長い柄がある。柄の末が曲がって、少し下にその曲がったところに鳳凰のように、尾の長くない鳥を作りすえ、その鳥の啄を貫いて紐を下げ、その紐の末を蓋の頭にある鐶に通したもので、その柄をもって、蓋を天子の御上に差し覆い奉るのである。

 よって車持の朝臣は天子の御後にあり、また蓋の綱は蓋の裏の正中に、円に少し出たところがあって、これを綱で貫き、その綱の末を左右に分けて、これをとるのである。これは御蓋をかならず天子の御頭上へ、巡に置かんがためである。

 よって子部宿禰は天子の御左にあり、笠取直は御右にある。


ミ、次に関白

 御裾に候せられる。これまでが渡御の行列である。


 次回はいよいよ大嘗宮での作法です。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。