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櫻井よしこさん、守られるべき天皇の伝統とは何ですか。祭祀の本質とは何ですか? [女系継承容認]

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櫻井よしこさん、守られるべき天皇の伝統とは何ですか。祭祀の本質とは何ですか?
《斎藤吉久のブログ 令和2年3月28日》
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▽1 河西准教授の「2.5代」象徴天皇論

前々回、河西秀哉准教授の「愛子さま天皇」容認論には皇室伝統の祭祀への眼差しが欠けていると指摘しました。126代続いてきた男系継承主義は天皇が公正かつ無私なる祭りをなさることと不可分一体のはずです。だとするなら、皇室の歴史と伝統を無視したネオ天皇制に変革しようという革命思想ならいざ知らず、祭祀を一顧だにしない皇位継承論はナンセンスといわざるを得ません。

 【関連記事】天皇の祭祀を完全無視する河西秀哉准教授の「愛子さま天皇」容認論https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-03-21

といっても、判断材料として取り上げたのは文春オンラインのインタビュー記事〈https://bunshun.jp/articles/-/15522〉だけですから、サンプリングの誤謬という危険性はあり得ます。というわけで、本来ならすべてのご著書や文献を精査すべきですがそうもいかないので、河西さんの処女作『「象徴天皇」の戦後史』を紐解いてみることにしました。

すると、案の定でした。河西さんは、のっけから「日本国憲法第一条は次のように規定されている」(「はじめに」)と書き出し、現行憲法をスタート地点に置いて、大真面目に天皇論を進めています。

第一章は「昭和天皇退位論」、第二章は「天皇、『人間』となる」という具合で、明治以後の近代天皇と戦後の現代天皇との対比が河西さんの問題関心のすべてであって、126代の歴史的天皇にはまるで関心がないかのようです。

「神聖にして侵すべからず」から「象徴」に変わり、「神の子孫」が「人間」となったことを歴史学的に、近代史研究として考察はしても、古代から天皇統治の意義に基づいてスメラギ、スメラミコトと呼ばれたことには言及しない、というより、歴史家でありながら、天皇が長い歴史のなかでどういう存在だったのか、には関心がないのでしょうか。

 【関連記事】「人間宣言」とは何だったのか by 佐藤雉鳴 ──阪本是丸教授の講演資料を読む 前編https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2018-07-28
 【関連記事】〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 1──4段階で進む「女性宮家」創設への道https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-09-18

ここでは詳しく内容を検討することはしませんが、2.5代、あるいはせいぜい4.5代の天皇研究しかなさらない研究者に、126代の天皇のあり方を問うこと自体、間違っているのではありませんか。河西さんを起用した編集者はどうお考えですか。


▽2 祈りと血統との関係について櫻井さんの説明がない

しかし河西さん本人や、河西さんを取り上げた編集者を問いただしたところで、大して意味はありません。保守派の知識人とてたいてい似たようなものだからです。たとえば櫻井よしこさんです。

河西さんのインタビューが文春オンラインに載ったその日、ジャーナリスト・櫻井よしこさんのインタビュー「悠仁さまを”差し置く”ことで起こる順位逆転の危険性」がほかならぬ同オンラインに掲載されました。

保守主義の立場から皇位継承問題に真正面から取り組んでおられるのは敬意を表さねばなりませんが、結局、天皇とは何だったのか、が河西さんと同様に、少なくとも私には見えてきません。皇位の本質論を抜きにして現象的な継承論を論じても仕方がありません。櫻井さんにとって、守られるべき皇位の本質とは何でしょうか。

櫻井さんの結論はむろん男系継承固守であり、旧宮家復帰です。

「私の立場は、女系天皇と女性宮家の創設には反対、何らかの形での旧宮家の皇籍復帰は賛成、というものです」と最初に明言しています。問題はその根拠です。

櫻井さんは河西さんとは異なり、126代祭り主天皇に言及しています。

「国民の幸せと、国家の安寧のために、さらに世界の平和のために祈り、言葉だけでなく行動でもお示しになってきたのが、歴代の天皇です。そのような価値観を、政治的権力とは無縁のお立場でずっと引き継いでこられた。そうした歴代天皇が同じお血筋で連綿とつながっています」

櫻井さんは、祈り、行動するのが天皇の原理であり、それがひとつの血統でつながってきたと指摘しています。

「国民と国家の安寧のために祈る純粋無垢な存在として、126代も男系男子で続いてきた万世一系の天皇の歴史を、無条件で私たちはありがたいと感じ、一度も断絶することなく受け継がれてきたお血筋だからこそ、皆が納得するのではないでしょうか」

ひとこと申し上げるなら、天皇は古来、祈る王であり続けていますが、行動は別でしょう。御所を離れ、行動する天皇となったのは近代です。それはともかくとして、天皇の祈りと男系主義とはいかなる関係にあるのか、ここでは説明されていません。


▽3 具体的で説得力がある旧皇族復籍論

櫻井さんのインタビューは、このあとテーマが「なぜ女系天皇ではいけないのか」に変わり、否認論を展開されます。

歴史に女性天皇の「前例」があることについて言及し、「たとえば推古天皇はなぜ天皇となられたのか」と発問して、「男系男子がいなかったからではなく、逆に多すぎてどなたを天皇にすべきか、争いが起きそうになって誰も反対できなかった皇后が即位した」と説明しているのは、興味深く読みました。

そのうえで「当時と現在は正反対です。男系男子が少ない現在、女性天皇を認めれば、あるいはそのままその方が天皇であり続け、お子さまも天皇になられるということになりかねません。すると、そこで女系天皇になり、天皇家が入れ替わることになります」と解説しています。「女性天皇は女系天皇につながる可能性がある」からで、仰せの通りです。

さらに櫻井さんは具体論として、いわゆる「愛子天皇」論へ話を進めます。「直系の悠仁さまを差し置いて」「順番が逆転してしまう危険性」や、女系容認が「秋篠宮殿下と悠仁親王殿下を廃嫡することになる」ことも指摘しています。いずれも正しい指摘で、「女系天皇論者は認識しているのか」と訴えることも忘れていません。まったくその通りです。

このあとインタビューは「女性宮家」創設論への反対意見が述べられ、「皇族の方々の数をふやし、悠仁さまをはじめ、現在の皇室を支えていく体勢作りが必要」だからと、「GHQによって無理やり臣籍降下させられた11宮家」の皇籍復帰を提示しています。

「元皇族の方々が皇籍に復帰するとしても、この世代の方々は決して天皇にはならない」
「皇族に復帰なさった旧宮家の方たちがお役に立つのは、悠仁さまに男のお子様が生まれない、ずっと先のことで、この方々はその間に皇族として国民に馴染んでいかれる」
「統計学的に見て、天皇家以外に4宮家があれば、男系男子でつないでいくことが可能」
「お子様がない宮家や断絶しそうな宮家の家族養子となって継ぐなど、いろいろな方法がある」
「絶対に男子を産まなければいけないというプレッシャーの中、悠仁さまに嫁ぐ女性が現れるのかという危惧もやわらぐ」

以上の指摘は具体的で、説得力があります。


▽4 男系派完敗の理由を謙虚に検証してほしい

最後に櫻井さんは安易な女系継承容認論に警鐘を乱打しています。

「深く考えたいものです。そして気づきたいものです。女系を主張すれば廃嫡を意味するということに。女性天皇を認めれば、女系も認めざるを得なくなるということに。それは、今の日本国の天皇の在り方とは本質的に異なる天皇が誕生することを意味し、これから何百年も皇室を存続させることは非常に難しくなると思います。
 間違った方向へいかないためには、中途半端はやめて、すなおに男系男子の天皇に限るほうがいいのです。日本の伝統を守るには、堂々と王道をいけばいいと思います」

まったくその通りで、目前の危機を煽り、古来、男系で継承されてきた大原則を一変させるような革命論は慎むべきなのです。皇室には皇室固有のルールがあるのであり、国民が勝手に変えるべきではありません。

であるならばなおのこと、なぜ皇位は男系なのか、126代祭り主天皇論の立場から、現代人が納得できるように説明されて然るべきです。平成10年ごろの世論調査では女帝容認は5割弱程度でしたが、いまや8割にまで激増しました。調査手法の問題はさておき、男系派の完敗です。敗北の理由を保守派は謙虚に検証しなければなりません。

 【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01

私は以前、平成24年の皇室制度有識者ヒアリングに出席された櫻井さんの発言を取り上げました。櫻井さんは宮中祭祀こそもっとも重要な天皇の御公務であり、国事行為と位置づけるべきだとの意見を述べておられました。

これに対して、天皇の祭祀をいかなるものとお考えか、と批判させていただきました。祭祀を御公務ではないと切り捨てた、女帝容認論者の園部逸夫内閣参与に猛然と反論された櫻井さんでしたが、櫻井さんの祭祀論は祭祀の内容、意義について言及しているわけではなく、本質論がまったく欠落していたからです。

残念なことに、8年前と同じことがいまも続いているのではありませんか。祭祀が重要なのはもちろんですが、観念論に陥り、天皇の祭祀とは何かを深く考察しないなら、祭祀を一顧だにしない女系継承容認派の河西さんと大して変わらない議論になってしまいます。それでは男系派の支持は得られても、河西さんら女系容認派を説得し、納得させ、男系派に変えていくことはできないでしょう。

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斎藤吉久から=当ブログ〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/〉はおかげさまで、so-netブログのニュース部門で、目下、ランキング10位。アメーバブログ「誤解だらけの天皇・皇室」〈https://ameblo.jp/otottsan/〉でもお読みいただけます。読了後は「いいね」を押していただき、フォロアー登録していただけるとありがたいです。また、まぐまぐ!のメルマガ「誤解だらけの天皇・皇室」〈https://www.mag2.com/m/0001690423.html〉にご登録いただくとメルマガを受信できるようになります。

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