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「立皇嗣の礼」の延期は大前に奉告されるのか。蔑ろにされる皇祖神の御神意 [御代替わり]


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「立皇嗣の礼」の延期は大前に奉告されるのか。蔑ろにされる皇祖神の御神意
《斎藤吉久のブログ 令和2年4月12日》
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新型コロナウイルス感染症の感染拡大を封じ込めるため、政府は緊急事態宣言を発出しました。10日の持ち回り閣議では、19日に挙行予定だった「立皇嗣の礼」を「延期する方向で調整」されることが決まりました。今後の予定については、菅官房長官が「感染症の収束状況を踏まえ、式典委員会を開催をし、改めて検討する」と閣議後の会見で語っています。〈https://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/202004/10_a.html

他方、宮内庁は、報道によれば、「(宮中祭祀など)関連する皇室行事も調整が必要」との判断で、陛下や殿下にはすでに経緯を報告済みだと伝えられます。「(挙行は)早くても秋以降」とされます。

そこで「立皇嗣の礼」について、おもに2つの視点から考えてみたいと思います。1つは政府の決定と神前での祭祀との関連について、もう1つはすでに定まっている「皇嗣」という法的地位の今後について、の2点です。

「愛子さま天皇」待望論がこのところの新型コロナ感染拡大の影響からかカゲを潜めていますが、なかには公然と、皇位継承順位第1位の秋篠宮文仁親王や同2位の悠仁親王を押し除けて、愛子内親王の即位を望む声も聞かれます。

皇室典範特例法の施行に伴い、すでに法的に定まっている皇位継承順位を変更できるし、変更すべきだという主張ですが、そんな権利が国民にあるのでしょうか。


▽1 法的冊立から1年半後の「親告」

最大のポイントは、皇祖神と天皇(皇位)と国民(憲法)とのギクシャクした関係です。

開闢以来、天皇がこの国の統治者であるのは皇祖天照大神の委任(ことよさし)によるものであるというのが古典的な解釈ですが、無宗教的な現代人の感覚では理解しづらいものとなっています。

現行憲法は第1条で「天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」と明記しています。まるで人気投票まがいに、国民が無遠慮に、国の根幹に関わる皇位継承に介入するのは理由のないことではありません。言論の自由は法的に認められています。

太子を立てることは古来、天皇のご意思に基づく専管事項でした。『帝室制度史 第4巻』(昭和15年)には「皇嗣は天皇在位中にこれを選定冊立したまふことを恒例とす」「光仁天皇以後は、皇太子の冊立にあたり詔をもって天下に宣示したまふことが、定例となすに至れり」(第1編天皇 第2章皇位継承 第4節皇嗣)とあり、立儲令(明治42年)には「第1条 皇太子を立つるの礼は勅旨により、これを行ふ」と明記されていました。

かつては天皇のご意思が法であり、勅旨によって儀式を行い、詔を宣することで皇太子が立てられました。しかし現行憲法下では、先の改元がそうであったように、国民主権主義に基づくところの政府が権限を握っています。立太子は儀式ではなく、法に基づきます。今回の「延期」も決定権は陛下にはありません。

今回の「延期」がなければ、15日の勅使発遣の儀に始まり、19日の当日に伊勢の神宮には奉幣、宮中三殿には親告、神武天皇山陵および昭和天皇山陵には奉幣が行われ、そののち宮殿で「立皇嗣宣明の儀」が行われるという予定でした。

 【関連記事】「立皇嗣の礼」=国事行為を閣議決定。もっとも中心的な宮中三殿での儀礼は「国の行事」とはならずhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-03-24
 【関連記事】明治の「立儲令」と来月の「立皇嗣の礼」は何が違うのか?https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-03-29

殿下の「皇嗣」としての法的地位は昨年5月1日に定まっています。ほぼ1年後に「立皇嗣の礼」が設定されたのは、一連の御代替わり儀礼が終わり、落ち着いた時期で挙行されるのがふさわしいと考えられたからです。しかし「秋以降」の「延期」となれば、もっとも肝心な皇祖神や歴代天皇へのご挨拶は法的冊立から1年半も遅れることになります。

今回の御代替わりでは「国の行事」最優先でスケジュールが決められ、皇室にとってもっとも重要であるはずの「賢所の儀」についての決定は最後の最後まで先延ばしされ、結局、践祚から10時間半遅れの神事が行われました。しかも御代拝でした。

 【関連記事】賢所の儀は何時に行われるのか? ──いつまでも決まらない最重要儀礼https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-01-20
 【関連記事】「皇室の伝統」は国民主権主義と対立するのか ──朝日新聞の「新元号」関連企画を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-04-21

そうさせた主因は憲法の非宗教的な解釈・運用にあります。憲法は宗教的価値を否定しているわけではないのに、「神事を先にす」(禁秘抄)の大原則が歪められているのです。今回の「延期」は賢所にいつ奉告されるのでしょうか。それともしないのでしょうか。

 【関連記事】憲法は政府に宗教的無色性を要求していない──小嶋和司教授の政教分離論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-10-16-1


▽2 日常化する臣下の謀反

『帝室制度史第4巻』は、いみじくも「皇嗣の改替」(第4節第2款)について取り上げています。歴史上の事例がそれだけ多くあるからです。しかし、だからといって今回も「陛下の次は」という展開にはならないし、なるべきではないと思います。
『帝室制度史第四巻』表紙@NDL

『制度史』を読んでみると、「改替」には3つのパターンがあることが分かります。薨去、辞退、廃太子の3つです。

「ひとたび皇嗣冊立のことありてのちも、あるいは天皇在位中に皇太子薨去したまひしにより、あるいは皇太子にみづから皇嗣たることを辞したまひしにより、あるいは皇太子に重大の事故あり、勅旨をもって皇嗣たることを廃したまひしにより、つひに皇位に即きたまふにいたらざりしこと、その例すくなしとせず」

『制度史』は具体的な事例を挙げています。まず皇太子の薨去です。

「天皇在位中に皇太子の薨去ありしは、推古天皇の皇太子厩戸豊聡耳皇子、白河天皇の皇太弟実仁親王は、その例なり」

「天皇崩御ののち、皇太子皇位に即きたまふに至らずして薨去ありしは、応神天皇の皇太子菟道稚郎子、允恭天皇の皇太子木梨軽皇子は、その例なり」

薨去後の対応はどうなるのでしょう。

「皇太子薨去により、さらに皇嗣の冊立ありしは、持統天皇称制中に皇太子草壁皇子薨じ、天皇即位ののち、草壁皇子の御子珂瑠(文武天皇)を皇太子となしたまひ、聖武天皇の皇太子某皇子薨じて、皇女阿倍(孝謙天皇)を皇太子となしたまひ、醍醐天皇の皇太子保明親王薨じて、その御子慶頼王を皇太子となし、慶賴王薨じて、さらに皇子寛明親王(朱雀天皇)を皇太子となしたまひしがごときこれなり」

『制度史』が以下のように、立太子に介入した臣下の謀反について言及しているのは注目されます。

「また後醍醐天皇ははじめ後二条天皇の皇子邦良親王を皇太子となしたまひしが、その薨ずるに及び、後伏見天皇の皇子量仁親王(光厳院)を皇太子となしたまひ、次いで元弘の変後、皇子恒良親王を皇太子となしたまひしが、足利尊氏の叛により、親王は北国に赴き、天皇は吉野に遷幸したまひ、親王の足利氏のために幽せられて薨ずるに及び、さらに皇子義良親王(後村上天皇)を皇太子となしたまひしがごときは、特異の事例なり」

『制度史』は「特異の事例」と表現していますが、現代では、首相の私的諮問機関が皇族方の意見に耳を傾けないどころか、側近中の側近である宮内庁長官までが反対する皇族の口封じをし、「女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」との報告書が書かれるまでに、「謀反」が日常化しています。世も末というべきです。

 【関連記事】皇統を揺るがす羽毛田長官の危険な〝願望〟(「正論」平成21年12月号から)https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-12-01-2


▽3 皇祖神の御神意のままに

皇嗣改替の2番目の類型は皇太子の辞退です。

「皇太子みずから皇嗣たることを辞したまひ、よりて皇嗣の改替ありしは、天智天皇の皇太弟大海人皇子(天武天皇)の辞退により大友皇子(弘文天皇)を皇太子となしたまひ、淳和天皇の皇太子恒世親王の辞退により、正良親王(仁明天皇)を皇太子となしたまひ、後一条天皇の皇太子敦明親王の辞退により、敦良親王(後朱雀天皇)を皇太子となしたまひしがごときこれなり」

過去には複雑な事情から辞退というケースがあったのでしょうか。戦後、ある宮様が皇籍離脱の発言をされたことがあり、最近もイギリス王室の騒動に関連してメディアに取り上げられましたが、あまり知られていないのは、そのときある神社人から猛抗議され、それ以後、一切沈黙されたという事実です。

やれ皇族にも基本的人権があるとかないとか、法律論が世間では交わされていますが、その場合、126代続く皇位の前提であり、歴代天皇が重視してこられた皇祖神の神勅は蔑ろにされてもいいということでしょうか。

最後は廃太子です。

「ときとしては、皇太子に重大の事故ありたるため、廃太子のことありたる例もなきにあらず。
孝謙天皇は皇太子道祖王の陰従のゆゑをもって廃してこれを諸王となし、大炊王(淳仁天皇)を立てて皇太子となしたまひ、光仁天皇は皇太子他戸親王の母后井上内親王の大逆のゆゑをもって廃してこれを庶人となし、山部親王(桓武天皇)を立てて皇太子となしたまひ、桓武天皇は皇太子早良親王の藤原種継暗殺のことに座するのゆゑをもって廃してこれを淡路島に遷し、安殿親王(平城天皇)を立てて皇太子となしたまひ、嵯峨天皇は皇太子高岳親王の藤原薬子の乱に座するのゆゑをもってこれを廃し、道康親王(文徳天皇)を立てて皇太子となしたまひしがごときこれなり」

『制度史』が解説しているのはあくまで天皇による廃太子です。天皇の専管事項なら当然です。ところが今日では、国民による議論が沸騰しています。あまつさえ「陛下の御学友」を自称する元同級生が「廃太子論」を書き、大新聞の子会社が出版するという前代未聞の事件も起きています。

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「廃太子」は極端ですが、皇位継承に口出しする権利が本来、国民にあるのでしょうか。皇祖神の御神意にゆだね、皇室のルールに従うということではいけないのでしょうか。それとも陛下に皇太弟の廃太子を要求するつもりですか。


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