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八木秀次教授の「皇位継承論」は女系容認論にどこまで有効なのか? [皇位継承]

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八木秀次教授の「皇位継承論」は女系容認論にどこまで有効なのか?
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4月27日の産経新聞「正論」欄に、八木秀次・麗澤大学教授のエッセイ「安定的な皇位継承確保のために」が載りました〈https://special.sankei.com/f/seiron/article/20200427/0001.html〉。おおむね同意するし、教えられるところが多々ありましたが、逆に、八木さんの皇位継承論がいまどこまで有効なのか、私は半信半疑です。今日はそのことを書きます。
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平成8年ごろから20数年来、政府・宮内庁が非公式に、あるいは公式に進めてきた皇位継承制度の改革、すなわち女系継承容認、「女性宮家」創設に関して、八木さんは3つの問題点を指摘しています。


▽1 合憲性、正統性、起点

1点目は憲法上の問題です。女系継承容認、「女性宮家」創設は合憲性に疑いがあるという指摘です。

憲法は「皇位は世襲」と定めていますが、「少なくとも女系ということは、皇位の世襲の観念の中に含まれていない」というのが現行皇室典範起草時の政府の憲法解釈(昭和21年7月25日、宮内省)だから、女系継承を織り込んだ女性天皇、女性宮家の実現には憲法改正を必要とすると八木さんは説明しています。仰せのとおりです。

憲法が定める「世襲」は単に血が繋がっているという意味ではありません。小嶋和司・東北大教授(憲法学。故人)が指摘したように、dynastic の和訳であり、「王朝の支配」の意味でした。王朝の変更をもたらす女系継承は憲法に反します。八木さんの指摘はまったく正しいと思います。

 【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読むhttps://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31

八木さんが指摘する2点目は「正統性」です。

初代天皇以来、男系の血統に連なることが天皇・皇族の正統性の根拠であり、したがって、女系継承を認めれば、継承の資格者は拡大するが、従来は皇族となれない者が皇族となり、正統性が失われ、尊崇の念も薄れ、皇位の安定性は大きく揺らぐと訴えています。

八木さんは、「潜在的な有資格者が一気に増え、自分も天皇の女系の子孫であり、皇族の資格があると言い出す者も出てくる可能性もある」と危惧していますが、以前から指摘してきたように、「すべて国民はひとしく皇族になる権利を有する」のなら、もはや天皇・皇族とはいえません。

 【関連記事】「女性宮家」創設の提案者は渡邉允前侍従長──ねじ曲げられた前侍従長の「私見」 1https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-05-11

3番目の指摘は、皇位継承資格の「起点」です。

八木さんは、多くの女系容認論では、男系女系を問わず、上皇陛下の子孫を皇族とする考えのようだが、現在の皇族は大正天皇の男系子孫であり、三笠宮、高円宮の女王殿下方が仮に独身であれば、皇族であり続ける。その存在を否定できないと指摘しています。

そうなのです。女子に継承資格を認めるとして、具体的に誰に認められるべきなのか、大問題です。

このあと八木さんは、「皇族の範囲は初代天皇の男系子孫であることを前提としてその時々の事情に応じて調整してきた」として、平安以後の歴史を振り返り、臣籍降下の事例とは逆に、第59代宇多天皇や第60代醍醐天皇のように臣籍から天皇になった例もある、世襲親王家から天皇を輩出した例もある、と解説しています。

さらに、明治政府が財政事情の理由から増えすぎた皇族を減らすために皇室典範に臣籍降下を規定しようとしたが、明治天皇の反対にあったこと、明治末期になって皇位継承の心配が遠のき、王の臣籍降下を規定した「皇室典範増補」が制定されたこと、などを説明しています。

そして、皇位継承の「起点」はあくまで初代天皇に置かれるべきだと訴え、伏見宮系の今に続く男系子孫を現在の宮家の養子とするなど皇籍取得を実現することが伝統にも沿い、「安定的な皇位継承確保」に最も適うと指摘しています。


▽2 議論が噛み合わない理由

ご主張は理解できるし、おおむね仰せのとおりかと思いますが、八木さんの皇位継承論は、政府・宮内庁がとうの昔に、舵を切った女系継承容認=「女性宮家」創設に対して、どこまで有効なのでしょうか。私は少なからず疑問を感じています。必ずしも八木さんの責任ではないにしてもです。

問題点は2つあります。

1点は、皇位継承論を考える歴史のスパンが異なるということです。

八木さんの「正統性」「起点」はむろん初代天皇以来の126代の歴史を根拠としています。ところが、政府・宮内庁ほかの女帝容認論はそうではなく、日本国憲法を「起点」とする戦後の2.5代象徴天皇以外に関心を持とうとしないようです。

天皇は国事行為しかなさらない、その天皇が不在なら国会も開けない、国会を召集するのに男女の別はありえない、それなら「女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」(皇室典範有識者会議報告書「結び」。平成17年11月)という結論は当然であり、八木さんの継承論とは議論が噛み合うはずはないのです。

つまり、八木さんが熱く訴える皇位継承論ではなくて、より本質的な皇位論、天皇観が問われているのではありませんか。2点目はそれです。

126代続いてきた天皇は、けっして国事行為しかなさらない天皇ではありません。天皇とは何だったのか、当たり前過ぎて見失われがちな、天皇の存在理由を深く自覚することなくして、女性天皇容認はおろか、歴史にない女系継承容認=「女性宮家」創設論に理論的に対抗し、凌駕していくことは難しいのではありませんか。

女系継承容認とは畢竟、天皇を御公務をなさる特別公務員であり、名目上の国家機関に押し込めるネオ天皇制創設の革命思想なのだろうと私は考えています。政教分離原則を盾に天皇の祭祀大権を奪っただけでなく、今度は憲法を根拠に、憲法が定める天皇のあり方を抜本的に変更する、そのことを可能にする憲法の体制にむしろ誤りがあると私は考えますが、八木さんはいかがですか。

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