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皇太后陛下「発熱を押しての明治神宮御参拝」は美談か? 御代拝制度の復活を望む [天皇・皇室]



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皇太后陛下「発熱を押しての明治神宮御参拝」は美談か? 御代拝制度の復活を望む
(令和2年11月6日)
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明治神宮は今年、鎮座100年を迎えた。先月31日から大祭が5日間にわたって執り行われ、これに先立って28日午前には天皇・皇后両陛下ならびに太上天皇・皇太后両陛下がそれぞれ参拝された。同日午後には秋篠宮同妃両殿下が参拝された。

太上天皇・皇太后両陛下にはご高齢を押しての御参拝で、とくに皇太后陛下には白内障などの手術後の経過の思わしくないなか、さらに発熱の症状を押しての参拝とも伝えられる。

それだけ御参拝への強いご意思がおありだったのだろうと拝察される。


▽1 女官の御代拝で足りる

しかし本来的にはそうした御参拝があるべきことなのかどうか。昭和の40年代まで行われていたように、御代拝ではいけないものなのだろうか。

現代では天皇が皇后を伴って、各地を行幸なさることは当たり前のように考えられている。だからコロナ禍でにわかに自由にならなくなると、逆に大問題であるかのように騒ぎ出す人たちもいる。けれども長い皇室の歴史から考えれば、天皇が御所を離れて御幸なさるのはけっして普通のこととはいえない。

天皇のマツリゴトはシラスことがその本質とされた。シラスとは知ることであって、民の喜びのみならず、悲しみ、苦しみを知り、共有することであったという。そのため、天皇に代わって目となり、耳となる側近の存在は重要であつた。

いまは交通手段が古代とは比べものにならないほど発展しており、天皇がみずから国民と親しく接し、交流することは可能である。明治以後、行動主義を身につけられた天皇だが、コロナ禍の時代はむしろ側近の機能をあらためて思い出させてくれる。

今回、皇太后陛下のご体調が優れないというのであれば、側近の女官に御代拝を命じれば済むことではなかっただろうか。


▽2 御代拝制度を勝手に廃止した宮内庁

前例はいくらでもある。入江日記を読めば、「皇后さまお風邪。御代拝」という記述が何回も出てくる。香淳皇后が風邪を召されたため、代わって女官が三殿にお参りしたのである。それは異例のことではないし、ご不例とあればむしろ神事は避けられるべきなのである。そもそも祭祀の主体は天皇であって、皇后ではない。

ところが、昭和天皇の側近たちは、憲法の政教分離を持ち出して、御代拝の制度を勝手に廃止してしまった。その結果、平成の時代になると、経緯を何も知らない人たちが「皇太子妃のお詣りがない」と理不尽な攻撃を加えたのだった。

いまからでも遅くはない。御代拝制度の復活をつよく促したい。発熱を押してのご参拝は美談とは言いがたい。


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