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朝日新聞が「立皇嗣の礼=憲政史上初」を強調する隠れた思惑 [御代替わり]


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朝日新聞が「立皇嗣の礼=憲政史上初」を強調する隠れた思惑
(令和2年11月9日)
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新型コロナの影響で延期されていた秋篠宮文仁親王の「立皇嗣の礼」は8日、中心的儀礼である宣明の儀が行われました。殿下は名実ともに皇太弟となられ、悠仁親王までの皇位継承の流れがこれで確定することとなりました。

さて、それはそれとして、このたびの立皇嗣の礼に関する報道で少し気になることがありましたので、書こうと思います。それは朝日新聞などのメディアが今回の「立皇嗣の礼」を「憲政史上初」「史上初」と大仰に強調していることです〈https://www.asahi.com/articles/ASNC83JV0NC6UTIL03L.html〉〈https://www.tokyo-np.co.jp/article/66810〉。

私にはその意味がいまひとつ分かりません。皇太弟の存在が近代以降なく、「立皇嗣の礼」という名称が初めてだという単純なことなのか、それとも「立皇嗣の礼」の中身が過去の立太子礼とは異なるという史的検証を踏まえてのことなのか。「上皇さまの退位に伴い、憲政史上初めて」「前例のない儀式」(朝日)という説明は少なくとも私には意味不明です。

むしろ私には、こうした報道が「皇嗣は皇太子ではない」「立太子礼ではない」と声を張り上げているようにも聞こえます。素直に皇太子冊立を喜ばずに、女性皇太子冊立の可能性はまだ十分あるというニュアンスで、女性天皇・女系継承容認論者を焚き付ける隠れた思惑があるのではありませんか。

その証拠に、朝日新聞は同じ日に、女系継承容認派の御厨貴・東大名誉教授を登場させ、「秋篠宮さまが次の天皇として即位するという確定的な見方はできない」と語らせ、晴れのお祝いに冷水を浴びせかけています〈https://digital.asahi.com/articles/ASNC853WTNB6UTIL032.html?iref=pc_ss_date〉。


▽1 皇太弟は皇太子である

歴史を振り返れば、譲位が制度上、否認されることになったのは明治以後だなどということはいまどき誰でも知っています。126代続いてきた皇統のなかで、皇太弟の存在は24例もあります。

『帝室制度史』(第4巻、帝国学士院編纂、昭和15年)は「皇太子」ではなく「皇嗣」と総称し、皇弟を皇太子に立てる場合、とくに「皇太弟」と称することがあると説明していますが、「皇太弟」は「皇太子」ではないなどと否定しているわけではありません。

とすれば、今回も「皇太弟」冊立の「立太子の礼」で良かったのではありませんか。そうすれば、「史上初」などと振りかぶる必要もなかったでしょう。平成までの前例を踏襲すれば、それで足りたのです。

実際、「史上初」どころか、私にはまったくの前例踏襲のように見えます。不思議なことに、朝日新聞は「史上初」といいつつ、一方では「平成の『立太子の礼』を参考にした」と説明しています。首尾一貫しません。

具体的に式の中身を見てみると、すでに書いてきたように、今回の「立皇嗣の礼」は古来のやり方とも近代の方法とも違っています。朝日新聞はなぜそこを伝えようとしないのでしょう。

まず貞観儀式(平安前期)です。

『帝室制度史 第4巻』によると、近世まで行われた皇太子冊立の儀礼は、屋外の紫宸殿前庭で、親王以下百官が参列し、天皇が宣命大夫に宣命を宣せしめるというもので、中世以後はさらに壺切御剣を授ける儀礼が加わりました。

朝日新聞は今回の「立皇嗣の礼」について、「平安時代の儀礼をほぼ踏襲」とも説明していますが、正確とは言えません。似ているのはせいぜい皇族や政府要人を前にして執り行われたことぐらいです。壺切御剣の伝進は今回は別の儀礼として行われています。

まったく違うのは、かつては天皇の御意思が法でした。近代以後は皇室典範が皇位継承の根拠ですが、現行の典範は皇室の家法ではなく、国会が制定する一法律にすぎません。


▽2 宗教儀礼化した近代の立太子礼

むろん近代の立太子礼とも異なります。

明治42年制定の立儲令では、まず宮中三殿への天皇・皇后の奉告が御代拝で行われます。紫宸殿前庭で親王以下百官の前にしての儀礼ではなく、宮中三殿での宗教的儀礼に大変革されたのです。

次いで伊勢神宮、山陵に勅使が発遣され、奉幣が行われます。中心となる儀礼は賢所大前の儀で、天皇の親祭が行われ、両陛下の拝礼、勅語ののち壺切御剣が伝進されました。そのあと皇太子が三殿に謁し、さらにそのあと朝見の儀、饗宴の儀が行われることとされました。

天皇は親王以下百官に対してではなく皇祖神に対して、宣命大夫ではなく天皇みずから御告文を奏されることと大きく趣旨が変わったのです。

その後、実際はどうだったのか、Wikipediaに詳細が載っています。さすがです。時代は大きく変わりました。大手メディアより、情報が豊富です。

昭和天皇の「立太子の式」は大正5年11月、立儲令のままに行われたようです。

先帝の場合は昭和27年11月、成年式と同時に行われました。あらかじめ天皇・皇后が挙式を賢所大前に親告し、立太子宣制の儀は仮宮殿・表北の間で、宮内庁長官が宣明を読み上げ、皇太子が両陛下に拝礼、総理が寿詞を述べたようです。

敗戦後、昭和22年5月に新憲法が施行され、同時に立儲令など皇室令は全廃されています。占領は終わり、神道指令は効力を失いましたが、立儲令に代わる法的ルールはありません。とすれば、依命通牒第3項に基づいて、「従前の例に準じて事務を処理すること」、すなわち立儲令の附式に準じて、立太子礼が執り行われていいはずですが、そうはなっていません。なぜそうしなかったのか。

むしろ古来の伝統である貞観儀式に準じて、宮殿で、政府要人を前に、宣明を側近に代読させるという形式に一変しています。今回の立皇嗣の例のあり方にもつながっている、この変革をもたらしたのは何か、「新憲法下での政教分離原則に従い」と説明する報道もありますが、明治を超えて平安期にまで歴史を逆転させた要因はそれだけでしょうか〈https://www.sankei.com/life/news/201108/lif2011080011-n1.html〉。


▽3 平成の立太子礼を踏襲

今上の場合は平成3年2月でした。あらかじめ勅使の発遣が行われ、当日は天皇が三殿に親告し、続いて立太子宣明の儀が宮殿・松の間で行われました。天皇が宣明を読み上げ、皇太子のお言葉があり、総理が寿詞を述べました。

先帝のときは宮内庁長官が宣明を代読しましたが、今上の場合は天皇みずから宣明を読み上げるかたちに変わりました。なぜ変更されたのでしょう。総理が寿詞を述べるのは前例踏襲です。

さらに続いて、儀場が変わり、鳳凰の間で、壺切御剣が天皇から皇太子に親授され、そのあと皇太子が三殿に拝礼し、朝見の儀、饗宴の儀と続きました。

宣明の儀と壺切御剣の親授式が分離するのは、昭和天皇のときからなのか、それとも先帝のときからなのでしょうか。

今回は、まずあらかじめ伊勢神宮に勅使が発遣され、当日は天皇・皇后が宮中三殿の内陣で拝礼され、皇族が幄舎で拝礼されました。神武天皇陵、昭和天皇陵に奉幣の儀が行われ、宮殿・松の間で立皇嗣宣明の儀が行われました。

そのあと鳳凰の間で、壺切御剣が親授され、さらに皇嗣が三殿に謁したのち、朝見の儀が行われました。当初予定された饗宴の儀は取りやめとなりました。

蛇足ながら、毎日新聞によると、壺切御剣は「昨年9月に陛下の側近から秋篠宮さまに手渡される行事が行われ、翌月の『即位礼正殿(せいでん)の儀』の際に帯剣した」ようです。何のことはない、即位礼の前に殿下に伝進され、「普段は宮内庁が管理している」のです〈https://mainichi.jp/articles/20201108/ddm/041/040/073000c〉。とすると、今回の壺切御剣の親授式とはいったい何のためのものなのでしょう。

結局のところ、今回の立皇嗣の礼は、「平安期の踏襲」というより、まさに「平成の踏襲」といえます。したがって戦後の立太子礼を踏襲する「立皇嗣の礼」を「史上初」と大袈裟に報道することには無理があります。朝日新聞ほかの誇大なニュースには何か特別の意図があるのでしょうか。


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