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儀礼から見た内親王殿下の御結婚。皇室親族令の附式から考える [眞子内親王]


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儀礼から見た内親王殿下の御結婚。皇室親族令の附式から考える
(令和2年12月6日)
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内親王が婚姻なさるとき、どのような儀礼が行われるのか、皇室親族令の附式から考えてみます。

皇室親族令は皇室の婚姻、家族関係を規定する皇室令で、明治43年に制定されました。ほかの皇室令と同様、昭和22年5月3日の日本国憲法施行とともに廃止されましたが、関係する新たな規定は作られていません。

したがって、同日に宮内府長官官房文書課長名で発せられた依命通牒の第3項「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて事務を処理すること」により、その附式に準じて、このたびの眞子内親王の御結婚も進められるものと普通なら予想されます。

ただし、実際はどうなるのかどうかです。なお、皇室親族令の原文は国会図書館のデジタルコレクションで、いつでも誰でも閲覧可能です。〈https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/988396?contentNo=8


▽1 詳細を定める附式

皇室親族令は68条に及ぶ本則のほかに附式があり、附式は「第一編 婚家の式」と「第二編 誕生の式」に区分されています。第一編はさらに「第一 大婚式」「第二 皇太子結婚式(皇太孫結婚式これに準ず)」「第三 親王結婚式(王結婚式これに準ず)」「第四 内親王、臣籍に嫁する場合における式(女王、臣籍に嫁する場合における式これに準ず)」に分かれます。

婚家にあたつて、実際、どのような儀礼が行われるのか、この附式に詳細が決められています。

天皇の結婚を大婚といいますが、大婚の場合は、皇室の聖域たる宮中三殿、皇祖神を祀る伊勢の神宮、初代神武天皇を祀る御陵などが会場となり、祭祀にはむろん、皇族方のほか、宮内大臣、侍従長、式部官長、掌典長らが最高位の正装で参与します。

具体的にみると、大婚では、賢所に成約奉告の儀、皇霊殿神殿に成約報告の儀が行われたのち、神宮および山陵に勅使が発遣され、奉幣の儀が行われ、このあと納采の儀、后氏に勲章並びに御剣を賜うの儀、告期の儀、御書を賜うの儀があり、賢所皇霊殿神殿に立后奉告の儀、后氏入第の儀、賢所大前の儀のあと、皇霊殿神殿に謁するの儀、皇太后に謁するの儀、天皇皇后朝賀を受くるの儀、大床子供膳の儀、三箇夜餅の儀、宮中饗宴第一日、第二日の儀、宮中夜宴の儀、神宮に謁するの儀、神武天皇山陵並びに先帝先后の山陵に謁するの儀と続きます。

皇太子結婚式の場合は、賢所皇霊殿神殿に成約奉告の儀のあと、神宮、山陵に勅使が発遣され、奉幣が行われ、そのあと納采の儀、勲章を賜うの儀、贈剣の儀、告期の儀があり、賢所皇霊殿神殿に結婚奉告の儀、妃氏入宮の儀、賢所大前の儀、皇霊殿神殿に謁するの儀と続き、参内朝見の儀、皇太后に朝見の儀、供膳の儀、三箇夜餅の儀、宮中饗宴の儀、神宮神武天皇山陵並びに先帝先后の山陵に謁するの儀が行われます。

親王の場合は、納采の儀、告期の儀、后氏入第の儀、賢所大前の儀、皇霊殿神殿に謁するの儀、参内朝見の儀、皇太后に朝見の儀と続きます。天皇、皇太子の場合とは大きく異なり、かなり簡略化されていることが分かります。


▽2 清子内親王の結婚式は帝国ホテルで

眞子内親王のように、内親王が臣籍に嫁する場合における式は、納采の儀、告期の儀、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、参内朝見の儀、皇太后に朝見の儀、内親王入第の儀と続くと規定されています。

親王と同様に簡略化されているだけではありません。内親王の結婚の儀は賢所大前では行われません。それでも結婚の礼を行う前に、内親王は賢所皇霊殿神殿に謁し、かつ天皇、皇后、太皇太后、皇太后に朝見することとされています(皇室親族令27条)。

結納に当たる納采の儀は、配偶者側の親族のお使いが正装の上、幣贄を持参し、内親王の殿邸を訪れて行われます。告期の儀も、同様に、配偶者側のお使いが正装の上、内親王の殿邸で行われます。

明治の皇室典範は内親王の婚家は皇族もしくは華族しか想定していませんでしたから、お使いを務めるのは華族の親族でした。

戦後、臣籍に嫁した内親王は昭和天皇の第3皇女・和子内親王(昭和25年。配偶者は元公爵家の鷹司平通)、第4皇女・厚子内親王(同27年。配偶者は元公爵家の池田隆政)、第5皇女・貴子内親王(同35年。配偶者は旧伯爵家の島津久永)などの例があります。昭和天皇の皇女のお相手はいずれも旧華族です。

先帝の第1皇女・清子内親王の御結婚は平成17年で、配偶者となったのはまったくの民間人でした。このため従兄弟が使いとなり、場所も宮殿で納采の儀が執り行われました。今回はどうなるのでしょうか。

賢所皇霊殿神殿に謁するの儀は、内親王が三殿の外陣で拝礼するもので、配偶者は登場しません。内親王は五衣唐衣裳に正装し、他家へ嫁ぎ、姓が変わる前に皇祖神ほか神々へのお別れのご挨拶を申し上げるのです。

入第の儀はやはり配偶者の使いが内親王の殿邸を訪れて、お迎えに上がるという儀式です。

皇太子、皇太孫、親王、王の結婚の礼は、附式の定むるところにより賢所大前において行うと皇室親族令23条は定めていましたが、内親王の結婚の儀の場合、賢所大前では行われません。配偶者が三殿に上るということはありません。

15年前の清子内親王の場合、結婚式が帝国ホテルの一室に皇祖神を祀り、旧皇族が斎主を務めて、執り行われたことは記憶に新しいところです。眞子内親王のときはどうなるのでしょう。


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