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「天皇無私」原則の現代的意義を理解しようとしない朝日新聞「眞子さま御結婚」報道 [眞子内親王]


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「天皇無私」原則の現代的意義を理解しようとしない朝日新聞「眞子さま御結婚」報道
(令和3年10月31日、日曜日)
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紆余曲折の末、26日、眞子内親王殿下が結婚された。正確にいえば、宮内庁職員が自治体に婚姻届を提出、受理され、翌日、皇統譜に皇籍離脱が登録された。皇室親族令附式に基づいた諸儀式は一切行われていない。

国民のひとりとしては末長い御多幸をお祈り申し上げるばかりだが、違和感は拭い切れない。古来、皇室は儀式中心の世界だからである。これは内親王の御結婚と呼ぶべきものだろうか。

もっとも中心となるべき、儀服を召しての賢所外陣での拝礼は、洋装で庭上からの拝礼に変更された。しかも附式では予定されていない先帝先后の御陵への御挨拶が、皇祖への御拝礼に先行された。伝統主義の立場からはあり得ないことだ。

異例続きとなった一因はマスメディアの過剰かつ執拗な報道のあり方にある。そのことは御結婚会見の回答にも現れているが、報道の異様な加熱と暴走の背後にあるのは、天皇・皇室に対して戦後の日本人がいだく大きな意識変化である。

もっといえば、国民の尊崇の中心であり、国の威厳、価値の代名詞でもある、古来の天皇意識の忘却と喪失である。そして皇室もまたその激流から無縁ではあり得ないところに深刻さがある。伝統的価値を伝える藩屏も見当たらない。


▽1 皇室と朝日新聞の「公私」概念の違い

たとえば、朝日新聞である。

27日の社説「皇室の『公と私』 眞子さん結婚で考える」は、一見すれば常識論である。2人の幸せを願いつつ、一時金辞退の先例化を憂い、自由が制限された皇族の立場に同情し、「公と私」の議論の深まりを国民に要求している。キーワードは、憲法、個人、自由、権利、主権者である。

用語の使い方からして、眞子内親王殿下は「秋篠宮家の眞子さま」である。最初から敬語表現はない。人はみな「平等」だからであろう。御結婚で、「眞子さん」「2人」と変わった。皇族も「ひとりの人間」とされている。

社説は「皇族は公人であり、その言動に国民が関心を抱き、厳しいことも含めて意見を言うのは当然だ。一方で皇族もひとりの人間として意思や感情を持ち、培ってきた価値観がある。国民が思い描く理想の姿とどこかで差異が生じることがあってもおかしくないし、そもそもその『理想の姿』も人によって様々だ」と解説している。あくまで主権者は国民なのである。

「公」の存在である天皇・皇族にも「私」の領域があり、どこまで自由を認めるべきか、国民は議論すべきだと訴えている。朝日の社説では、「公と私」は互いに対立する概念になっている。だから、議論が必要だということになる。

けれども、皇室古来の「公と私」とは対立概念ではなかったのではないか。民の側のさまざまな「私」の存在を認め、「私」と「私」の対立を和らげ、治め、これらを統合することが、天皇の「公」というものではないのだろうか。

それゆえに天皇は「無私」なる存在とされ、公正かつ無私なる祭祀をなさる祭り主であることが第一義とされたのであろう。天皇に姓も名もないのはそのためではないか。「私」を去って、超然たるお立場にあるのが「公」である。

しかし、朝日の社説では皇室が大切にしてきた歴史と伝統は無視されている。論理の出発点は憲法であり、一神教世界由来の近代主義である。朝日の「公」とは国事行為のみを行う国家機関としての「公」であろう。


▽2 天皇による多神教的祈りの意味

斎藤智子・朝日新聞元皇室担当記者の「眞子さまがみせた覚悟へ、心から拍手を」も同様である。内親王殿下個人の性格に注目し、これまでの経緯を振り返り、「ひとりの女性」の生き方を綴ったうえで、「心からの拍手を送りたい」とエールを送っている。

ここには皇室の長い歴史への眼差しも関心もない。新しい生き方を追求する潔さと覚悟を礼賛するのは勝手だが、なぜ「無私」の伝統の現代的価値を探ろうとしないのか。

「私」を礼賛すれば、「私」同士の対立を促すことになり、「無私」を貫いてきた皇室の存在意義は失われるだろうに、現代のエリートたち、戦後民主主義の申し子たちには、ハナから通じないのだろうか。そして国民も、なのか。

「天皇」が生まれたころ、日本は氏姓社会だった。『新撰姓氏録』を見れば、京都周辺だけでも、さまざまな氏族が存在していたことが分かる。京都や奈良の古社はしばしば、古代氏族の氏神を源流としている。

古代において祖先が異なる、神が異なる、祭り方が異なるということは、深刻な対立抗争の原因ともなり得ただろう。そのことは現代の世界に目を転じ、一神教同士の抜き差しならない対立や、一神教内部の血で血を洗う抗争を見れば、容易に想像される。信じるものが違えば、衣食住が異なるし、言葉すら変わる。

古代律令は「天皇、即位したまはむときは、すべて天神地祇祭れ」と命じている。歴代天皇は皇祖のみならず、天神地祇を祀り、稲作民の米と畑作民の粟を捧げて、「国中平らかに安らけく」と祈り続けてこられた。それが新嘗祭・大嘗祭であり、皇室第一の祭りとされてきた。

あらゆる神々を祀るのは、世界広しといえども、日本の天皇のみである。日本が古来、例外的に血腥い宗教的戦争に巻き込まれずにきたのは、天皇の多神教的祈りゆえだろう。一神教世界ならあり得まい。

特定の祭日だけではない。天皇は食膳ごとに、「わがしろしめす国に飢えた民がひとりいても申し訳ない」と、食物をひと箸ずつより分け、名もなき民に捧げられた。サバの行事といわれる。食事もまた国と民のための祈りなのであった。

そのことは、現代においてこそ大きな意義があるのではないか。

天皇には「私」があってはならない。ことさらに私人を装って行われた今回の御結婚に違和感を禁じ得ない理由はそこにある。いつの日か、内親王殿下が気づかれる日が来ることを信じたい。「ICUの恋」を悲劇に終わらせてはならない。


▽3 最大の責任は宮内庁にある

最後に、宮内庁の対応について、蛇足ながら付け加えたい。皇室の伝統的価値を理解できないらしいのは側近たちも同じである。

御結婚会見で異様なのは、「誤った情報が事実であるかのような」というフレーズが何度も繰り返されていることである。とてもお祝いの場とは思えない。

事実ではない情報が事実を装って流布されたというのなら、宮内庁はどこまで真相を把握していたのだろうか。

もし情報の誤りを知っていたのなら、なぜ訂正を求めなかったのか。情報の誤りを知りつつ放置したというのなら、宮内庁の不作為によって、皇室の権威を貶める結果を招いた罪は大きい。

逆に、真相を知らなかったとすれば、これまた責任が問われる。そもそも真相とは如何なるものなのか。宮内庁は十分な身辺調査を行ったのか否か。傷ついた内親王殿下の御結婚を招いた最大の責任は、宮内庁にある。

西村泰彦宮内庁長官は定例会見で、御結婚後について、「これまでとは違ったご苦労がおありかと思いますが、2人で手を携えて力を合わせて乗り越えていっていただきたい」と述べたと伝えられるが、傍観者の白々しさを感じるのは私だけだろうか。

宮内庁は藩屏としての役割を果たしていない。現代の皇室はつくづくおいたわしいかぎりである。


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