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粟菓子ではなかった銘菓「粟津の里」から皇統論の混乱を憂う [天皇・皇室]

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粟菓子ではなかった銘菓「粟津の里」から皇統論の混乱を憂う
(令和4年1月13日、木曜日)
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粟津の里.jpeg
滋賀県大津市膳所(ぜぜ)の菓子司・亀屋廣房の銘菓「粟津の里」を美味しくいただいた。手に取るとじつに軽い。口に含むとサクッとした口当たりのあと、しっとりとした味わいが続く。半生の食感を楽しみながら、古代に思いを馳せ、そして皇統の行く末を思った。

なぜ粟のお菓子から皇統を思うのか?

そもそも「膳所」はなかなか読めない。文武両道の名門・県立膳所高校の名声で、私などはその地名と読みを知った。


▽1 日吉大社の粟飯

「膳所」の由来は古代の物語にある。「粟津の里」の菓子折りに入っている説明書きには、次のように書かれてある。

「粟津御供の由来は、天智天皇白鳳2年、日枝山王の神供に始まり、続いて6年、大津宮の大膳に進ぜられたに始まると伝えられ…」

以前、書いたことだが、大津に鎮座する古社・日吉大社で、中心をなすのは西本宮(大宮)と東本宮(二宮)である。西本宮は、天智天皇が667年に都を近江大津京に遷されたおり、大和国の三輪山から大己貴神を勧請されたと伝えられる。年に一度の山王祭には「粟津の御供」が琵琶湖の湖上で献納される。

社伝によれば、その昔、大己貴神に膳所の漁師が舟の上で粟飯を差し出すと、大神はことのほか喜ばれ、「年に一度、粟飯が食べたい」と仰せになったという。この故事が粟津御供の始まりといわれる。いまも膳所の5社の神社の氏子から、一年ごとの輪番で、粟飯が供せられる。

膳所は神への、そして天皇への台所なのであった。

地図を広げてみると、膳所の南東に粟津という地名もある。かつてはこの地域に粟が栽培され、食されていたのではなかろうか。膳所の和菓子もその長い歴史に裏付けられ、「千二百余年の古香を偲び、神供大膳の古式に則り、創製す」と説明される。

「粟津の里」というからには粟が原材料なのだろうと勝手に解釈して、Yahoo!で取り寄せてみたのだった。そして、みごとに一杯食わされた。食品表示によると、原材料は「国産みじん粉」、つまり米である。私は思わず天を仰いだ。「大膳の古式」に「原料粟」と記録されているということだろうか。素直には信じられない。


▽2 なぜ米と粟なのか

なぜ私が粟に関心を抱くかといえば、天皇の祭祀と深く関わるからである。大嘗祭、新嘗祭で、天皇が皇祖神ほか天神地祇に捧げ、神人共食されるのは米と粟である。なぜ米と粟なのか。それは天皇の役割と深く関わっているだろう。多様性の統一である。

多様性(diversity)は現代のキーワードであるが、日本ではすでに古代から強く意識されていたに違いない。古代律令に「およそ天皇、即位したまはむときは、すべて天神地祇祭れ」とあるのはその証明である。なぜか?

天皇が天照大神の子孫であり、天孫降臨で稲穂を授けられたという神話に基づくのなら、天皇は賢所で皇祖神を祀り、稲穂を捧げて祈れば十分である。実際、宮中三殿の新嘗祭は神饌は米のみである。ところが、大嘗宮の大嘗祭、神嘉殿の新嘗祭は皇祖神のほか天神地祇が祀られ、米と粟が捧げられる。皇室第一の重儀は米と粟なのである。

つまり、天皇はなぜ天神地祇を祀るのか、である。天神地祇を祀るから、粟もささげられるのである。

神社祭祀なら、血縁共同体や地縁共同体が前提だから、稲作地帯なら稲の神に米が捧げられ、畑作地帯なら畑の神に畑のものが捧げられるだろう。稲の神も畑の神も同時に祀り、稲も畑作物も同時に捧げることはないと思う。

天皇のみが天神地祇を祀り、米と粟を捧げて祈るのである。それはなぜなのか。私は民俗学者の野本寛一先生以外に、見極めようとする知識人に出会ったことがない。現代の日本人は米よりもパンを食べているから、粟などは関心の外なのであろう。知識人の問題意識も大差はない。だから、「新嘗祭は稲の祭り」と神道学者までが信じ込んでいる。

なぜ米と粟なのか。野本先生は私の疑問に対して、「天神地祇に米と粟をささげる新嘗祭、大嘗祭の儀礼は、米の民である稲作民と粟の民である畑作民をひとつに統合する象徴的儀礼として理解できるのではないか」と即座に答えられた。さすがだと思う。


▽3 天皇観の違い

つまり、天皇=スメラミコトだからだろう。稲作民や畑作民の共同体から超然とした立場にあって、すべての民をひとつにまとめ上げることを第一の務めとされてきたからであろう。だから稲作民、畑作民すべての神を祀り、稲作民の米と畑作民の粟を捧げて祈るのである。多神教的多様性の統一である。

すべての民のために祈る、つまり天皇に私なし、ということが私たちにはなかなか分かりづらいかも知れない。だから、米と粟の祭祀にも関心が及ばないのかも知れない。

大学のサークルの大先輩だった佐々淳行は『東大落城』に、安田講堂に籠城する学生たちが排除されたあとの逸話を記録している。報告のため参内した秦野章警視総監に、昭和天皇は「双方に死者はなかったか?」と下問され、秦野が「ありません」と答えると「それは何よりだった」と安堵されたが、秦野は怪訝そうな表情のままだったというのである。

天皇はすべての民を統合する超然たるお立場にある。だから過激派の学生と警察との攻防もまるで兄弟喧嘩のように見えるということになる。それが秦野には理解できないのだった。天皇観の違いである。

秦野だけではない。いつだったか、講演の聴衆者から「宮中祭祀にカトリックの信徒が携わっている」ことへの疑問と怒りが呈された。異教徒が天皇の祭祀に関わるのはけしからん。神道人でなければならぬ、ということだろう。ごく最近では、左翼学者が宮内庁参与に加わっているのは許せない、と保守派で、男系派の大学教授がTwitterで息巻いていた。

つまり、天皇のおそばにお仕えするのは保守派、民族派でなければならないという固い信念の表明である。それはそれで立派で、賞賛に値するのだが、天皇は保守派だけの天皇ではないことを忘れているようなことはないだろうか。

天皇は古来、皇祖神のみならず天神地祇を祀り、稲作民の米と畑作民の粟を捧げて、「国中平らかに安らけく」と祈られる。その意味や理由を考えないなら、天皇は保守と革新の抜き差しがたい政治闘争の只中に置かれることになる。

男系派はむしろ皇位の男系継承主義の理由と意味を説明すべきなのである。そうしないで、祭祀に関心も持たずに、安易にY染色体論を振り回す。原因と結果を取り違える因果の逆転は根拠の説明になっていないことに早く気づいてほしいものである。


▽4 「根拠がない」はずはない

それかあらぬか、女系継承容認派の論客・毎日新聞の伊藤智永編集委員兼論説委員などは、「男系男子論は『ほとんどずっとそうだった』以外に根拠がない」(「天皇のいない国になると」1月8日)と吐き捨てている。

しかしこれもおかしい。「どこにも根拠がない」のではなくて、正確には、「伊藤記者自身は根拠を見出せなかった」という、要するに勉強不足、取材不足ではないのか。千年以上もの間、皇統が男系継承で続いてきたことについて、歴史と伝統以外に、理由や根拠がないなどということが、あり得るだろうか。常識的に考えれば分かるだろう。

伊藤氏が一押しする16年前の皇室典範有識者会議では、「なぜ皇位継承は男系でなければならないのか、を説明した歴史的文書などは見あたらない」と事務局が説明したと伝えられる。当たり前に続いてきた男系継承を合理的に説明することなどありはしない。だからといって、男系継承に根拠がないとするのは論理の飛躍そのものである。

皇室典範有識者会議は皇室の天皇観については検討していないから、皇室の男系継承主義の根拠を見出すことは不可能である。有識者会議の限界を伊藤氏は直視すべきだ。皇室の天皇観では天皇=祭り主である。とすれば、男系主義の根拠は天皇の祭祀にこそ見出されるに違いない。伊藤氏は天皇の祭祀について謙虚に学び直し、読者に問いかけてほしい。

男系派も女系派も、アカデミズムもジャーナリズムも、不勉強というほかはないのではないか。そして、政府・宮内庁は126代皇統の安定化ではなく、2.5代象徴天皇制の安定化のため暴走し続けている。つくづく世も末だと思う。

最後に蛇足だが、「粟津の里」の亀屋廣房にお願いしたい。粟津御供の故事がモチーフなら、ぜひとも粟を原料に作ってほしい。そうでなければならないと思う。


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駄洒落好きな庭師

ブログ更新されないのですか。
by 駄洒落好きな庭師 (2022-03-09 09:09) 

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