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台湾総督府が記録する台湾先住民パイワン族の粟の祭祀 [宮中祭祀]

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台湾総督府が記録する台湾先住民パイワン族の粟の祭祀
(令和4年11月18日、金曜日)
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台湾の先住民が粟を食べ、粟の祭祀を行っているというリポートがある。大正期に台湾総督府蕃族調査会が取りまとめた『蕃族(番族)調査報告書』シリーズで、第5巻にパイワン族のことが書かれている。宗教的分野でもっとも進んでいる先住民と説明されている。

国会図書館のデジタルコレクションで、誰でも、好きなときに読むことができるので、一読をお勧めしたい。
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リポートによると、パイワン族の食生活は、主食物は芋やサツマイモで、粟、稗、米がこれに次ぐという。

ただし、一部の部族は米を食用とするのに、ほかでは古来、これを禁忌してきたとある。米を耕作することを禁忌し、禁を犯せば、粟神の怒りに触れ、粟の不作を招くと信じられた。米作の禁が破られたのは近代になってかららしい。じつに興味深い。

つまり、米と粟は、信仰の世界も含めて、もともと文化圏が異なる食物だったのではないかと考えられる。作物学的に考えれば、同じイネ科とはいえ、粟は水はけの良い土地を好み、湿地を嫌う。逆に、乾燥には強い。水田稲作とはまったく異なるのである。当然、米の神と粟の神は敵対関係になるだろう。

リポートに戻ると、パイワン族は、粟を酒または餅とし、飯とすることは少ない。そして粟の祭りが行われる。農作物に関する祭りのなかで、粟の祭りはもっとも重要で、粟の穂や餅、粟酒が粟の神霊に捧げられる。

たとえば、粟の収穫のあとに行われる祭りは、大祭と位置付けられ、数日間にわたって行われる。その際、新粟の団子が作られ、石焼にし、あるいは雑炊が作られ、新粟が粟神や祖霊に捧げられるのである。

ならば、どのように粟を調理するのかであるが、うるち粟ともち粟では異なるという。

リポートによると、うるち粟は酒や飯にするのだが、その場合、殻や糠を除いたあと、鍋に湯を沸かし、粟を入れ、大杓文字で撹拌して焦げないように煮る。粟飯は粥のように柔らかいと説明されている。

日本では平安期に行われるようになったとされる米の煮飯の調理法と同じである。台湾の粟の場合も、歴史的に新しいのかもしれない。

リポートによると、粟餅の製法は、ふたつある。ひとつは精粟を半日水につけたあと、ザルに移して水を切り、臼にかけて粉にし、水を加えてこね、これを蒸すか焼いて、餅にする。部族によっては、もうひとつの方法がある。日本の餅と同じように、給水させた精粟を蒸しあげ、臼でつくというものである。

前者は、日本の神社の神饌にしばしば登場する米の「ぶと」と製法が似ている。後者はいわゆる餅である。ぶとの方が古い形態ということだろう。春日大社などでは油で揚げて、神饌とするらしい。

さて、宮中新嘗祭である。米の御飯も同様らしいが、粟の御飯はうるち粟ともち粟があわせ用いられている。甑で蒸すという、いまも続く調理法は、延喜式のころに確立されたのだろうけれど、それ以前はもしかすると別だったかも知れない。

うるち粟ともち粟は別物と認識され、調理法も別であり、神饌の形態もかつては違っていたのではないか。天皇が粟の御飯を竹折箸で供饌される際、苦労されるのは、人間が食べる食物ではなく、米の御飯と一対のかたちで、神饌として調理されるからでろう。そして粟の御飯がうるち粟ともち粟を混ぜて蒸すという方法を採用しなければならない、食文化とは次元の異なる理由がほかにあるに違いない。

そしておそらくそれらのことが、米と粟を捧げる神嘉殿の新嘗祭をして、皇室第一の重儀と位置付ける意味と深く関係しているのではなかろうか。

それにしても、今日の神道学者までが新嘗祭・大嘗祭を「稲の祭り」と言い張るばかりで、現実を直視しようとしないのに対して、戦前の台湾総督府が先住民研究に挑戦し、克明なリポートを残していたとは、ただただ驚くばかりだ。(つづく)

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