SSブログ

皇室の伝統に反するご負担軽減 ──政府の「皇室制度」改革に幕を引いた天皇誕生日会見 2 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
皇室の伝統に反するご負担軽減
──政府の「皇室制度」改革に幕を引いた天皇誕生日会見 2
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


あとがきにかえて 政府の「皇室制度」改革に幕を引いた天皇誕生日会見


▽2 皇室の伝統に反するご負担軽減

koukyo01.gif
 あらためてこれまでの経緯を振り返ると、宮内庁がご負担軽減策を打ち出したのは、御在位20年がきっかけでした。

 平成20年2、3月、宮内庁は御健康問題を理由に、「昭和の先例」を踏襲する、御公務ご負担軽減について発表し、その後、同年11月に陛下が不整脈などの不調を訴えられると軽減策は前倒しされました〈http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/kohyo.html#h20〉。

 けれども軽減策にもかかわらず、御公務は少なくとも日数において、逆に増えました。一方、文字通り激減したのは、歴代天皇が第一のお務めと信じ、実践してこられた宮中祭祀でした。

 祭祀簡略化を進言したのは、渡邉允前侍従長(19年6月まで侍従長。24年4月まで侍従職御用掛。いまは元職)ら側近でした。

 前侍従長によれば、18年春から2年間、宮中三殿の耐震改修が実施され、祭祀が仮殿で行われるのに伴って、祭祀の簡略化が図られました。工事完了後も側近は、陛下のご負担を考え、簡略化を継続しようとしましたが、陛下は

「筋が違う」

 と認められませんでした。ただ、

「在位20年の来年になったら、何か考えてもよい」

 とおっしゃったので、見直しが行われたとされます(渡邉『天皇家の執事──侍従長の十年半』)。

 ところが、御公務は少なくとも日数において増え続け、22年には年間271日にまで達しました。その一方で、祭祀は文字通り激減しました(拙文「天皇陛下をご多忙にしているのは誰か」=「文藝春秋」2011年4月号)。

「争わずに受け入れる」

 というのが天皇の帝王学ですが、皇室の伝統に反するご負担軽減に、けっして満足なさっていたわけではありません。そのことが陛下のお言葉から読み取れます。

 21年のお誕生日のご感想では、

「今年は日程や行事の内容を少し軽くするようにして過ごしてきました。昨年(20年)12月の体調よりは良くなっていますので、来年も今年のように過ごし、皆に心配をかけないようにしたいと思っています」

 と述べられています〈http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokanso-h21e.html〉。

 しかし、翌22年になると、

「一昨年(おととし)の秋から不整脈などによる体の変調があり、幾つかの日程を取り消したり、延期したりしました。これを機に、公務などの負担軽減を図ることになりました。今のところ、これ以上大きな負担軽減をするつもりはありません」

 と御公務への強い意欲を示されたのでした〈http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h22e.html〉。

 11月にご入院された23年も同様で、

「退院から日もたち、皇太子に委任していた国事行為も再開することができるようになり、体調も今では発病前の状態と変わらないように感じています。今後とも健康に十分気を付けながら新年にかけての行事を務めていきたいと思っています」

 と決意を述べられました〈http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokanso-h23e.html〉。

 つまり、陛下はこれまで一貫して、御公務への意欲を示してこられたのです。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆先日、チャンネル桜の番組で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンについて説明する機会を得ました。取り上げていただき、たいへんうれしく思います。
 おかげさまで賛同者が400人を超えました。
 番組でも申しましたが、何年か先の話ではなくて、いまの問題です。ひきつづきご協力をお願いいたします。
 番組はニコニコ動画やYouTubeで御覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=Iqa0zsh-CSo&feature=youtu.be
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

「しばらくはこのままで」 ──政府の「皇室制度」改革に幕を引いた天皇誕生日会見 1 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「しばらくはこのままで」
──政府の「皇室制度」改革に幕を引いた天皇誕生日会見 1
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


あとがきにかえて 政府の「皇室制度」改革に幕を引いた天皇誕生日会見

koukyo01.gif
 天皇陛下は平成24年12月23日、79歳の誕生日をお迎えになり、霊元天皇(78歳)を超え、昭和天皇(87歳)、後水尾天皇(84歳)、陽成天皇(80歳)に次ぐ、単独歴代4位の御長寿となられました(現在は歴代3位。今年29年暮れのお誕生日で84歳になられ、来春には後水尾天皇を抜いて、歴代2位となられます)。


▽1 「しばらくはこのままで」


 陛下はお誕生日を前にして、12月19日、記者会見に臨まれ、御公務ご負担軽減問題について、

「今のところしばらくはこのままでいきたいと考えています。私が病気になったときには、昨年(23年)のように皇太子と秋篠宮が代わりを務めてくれますから、その点は何も心配はなく、心強く思っています」

 と語られました〈http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h24e.html〉。

 宮内記者会は、

(1)来年80歳となられるのを機に、一層のご負担軽減が必要であるという指摘があること

(2)一定の年齢に達すれば、国事行為に専念するか、あるいは国事行為と最小限の公的行為だけなさっていただき、それ以外は皇族方が分担するという考え方を取り入れるべきという意見が出ていること

 の2点を指摘し、

「現行制度のままでは陛下のご活動をお支えする皇族方が減ってしまう現状の下で、今後の御公務に関する皇族方との役割分担についてどのようにお考えでしょうか?」

 と質問したのでした。

 これに対して、陛下は、天皇の公務には国事行為のほかに、全国植樹祭や日本学士院授賞式に出席されというような象徴的行為があるとする一般的な考え方を示されたうえで、

(1)昭和天皇が80歳を超えても続けられたこと

(2)負担軽減は、公的行事については、公平の原則に十分に配慮する必要があること

 を指摘されたあと、上記のように毅然と語られたのでした。記者会の質問への回答であると同時に、「皇室の御活動」の安定的維持、御公務ご負担軽減策を名目にして皇室制度改革を進める政府にやんわりと抵抗される、陛下の強い意思表示のように思われました。

 メディアの報道は、私とは少し違いますが、やはり陛下のご意思を伝えていました。

 たとえば朝日新聞は、北野隆一、島康彦両記者連名の署名記事で、

「穏やかだが、確固とした『宣言』」

 とリポートしました。

 宮内庁はここ数年、ご負担軽減を図ってきたが、健康不安は残っている。羽毛田信吾・前宮内庁長官は退任会見で、

「陛下は『活動あっての象徴天皇』との信念で臨んでおられ、お務めを選別して減らすことは難しい」

 と語っていた──というのです。

 つまり、朝日の記事では、陛下は御健康に関する不安を振り切って、御公務に励もうとされている。その背景には、「御活動」こそ「象徴天皇」の本質とする「信念」がうかがえる、というのです。

 こうした御健康より御公務を優先される陛下の姿勢に対して、風岡典之・現宮内庁長官は、

「陛下の健康維持は国民の願いであり、宮内庁として何より優先すべき課題。皇室医務主管や侍医長ら医師との連携をとっていく」

 と話していると記事は伝えています。

「御活動」第一主義的な解説には同意できませんが、それはともかく、陛下のお言葉と報道から浮かび上がってくるのは、つぎの4点です。

(1)御公務と御健康問題をめぐって、陛下と宮内庁当局者との意見の相違、あるいは対立の構図があるように見えること

(2)宮内庁当局による、いびつなご負担軽減策にひとまず小休止が打たれそうなこと

(3)したがって、ご負担軽減を表向きの目的とした、女系継承容認=「女性宮家」創設論にもひとまず終止符が打たれたこと

(4)一方で、平成の祭祀簡略化は現状のまま維持されること

 いわゆる「女性宮家」創設が「陛下のご意思」などと伝えていた報道は、何だったのでしょうか?


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆先日、チャンネル桜の番組で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンについて説明する機会を得ました。取り上げていただき、たいへんうれしく思います。
 おかげさまで賛同者が400人を超えました。
 番組でも申しましたが、何年か先の話ではなくて、いまの問題です。ひきつづきご協力をお願いいたします。
 番組はニコニコ動画やYouTubeで御覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=Iqa0zsh-CSo&feature=youtu.be
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

〈第4期〉渡邉前侍従長の積極攻勢も実らず ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
〈第4期〉渡邉前侍従長の積極攻勢も実らず
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった


第5節 〈第4期〉渡邉前侍従長の積極攻勢も実らず

koukyo01.gif
 いよいよ「女性宮家」創設論が表舞台に躍り出ます。
 転機は陛下が75歳をお迎えになったこと、そして御在位20年でした。一方で、皇族女子が適齢期を迎えました。
 この時期の特徴は、羽毛田宮内庁長官に代わり、長官から侍従職御用掛に任命された、非常勤のOB職員という立場の渡邉允前侍従長が「女性宮家」創設について積極的姿勢を見せていることです。政権は自民党から民主党に交代していました。
 提唱の目的は「皇室の御活動」維持で、他方、皇位継承論議の「棚上げ」が主張されています。「女性宮家」担当内閣参与の園部逸夫元最高裁判事の論理も瓜二つです。

 21年9月、鳩山由紀夫を首班とする民社国連立政権が発足。

 同年11月11日、「日本経済新聞」連載「平成の天皇 即位20年の姿(5) 皇統の重み 「女系」巡り割れる議論」に渡邉前侍従長のコメントが載る。
 →メディアに露出した、前侍従長の「女性宮家」創設提案の最初かと思われます。

 同月12日、政府主催の天皇陛下御在位20年記念式典。

 同年12月15日、習近平中国副主席をご引見。いわゆる天皇特例会見。

 22年12月、「週刊朝日」12月31日号に渡邉前侍従長インタビュー(対談)が載る。聞き手は、当代随一の皇室ジャーナリストである岩井克己朝日新聞記者。
 →「女性宮家」という用語はありませんが、「結婚後も皇族として残る」という中味は表現されています。

 23年10月、渡邉允前侍従長が『天皇家の執事─侍従長の10年半』文庫版(発行は年末)の「後書き」に、「女性宮家」創設を明確に提案。

 同年11月1日、宮内庁が新嘗祭のお出ましの時間短縮化などを発表。その後、陛下の御不例で御公務お取りやめが続く〈http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/kohyo-h23-1101.html#K1101〉。

 同月6日、ご入院。

 同月18日、新嘗祭のお出ましを差し控えられることを宮内庁が発表。皇太子殿下の御拝礼までが簡略化されたhttp://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/kohyo-h23-1101.html#K1118

 同月24日、御退院。

 同月25日、読売新聞の「スクープ」。「『女性宮家』の創設検討 宮内庁が首相に要請」。
 →世間では「宮内庁長官が要請した」かのように受け取られましたが、記事はそのようには書いていません。長官も否定しているようです。誤報に近い記事でしたが、「女性宮家」提唱者には好都合で、事実、これを機に、「女性宮家」創設論は一気に熱を帯びます。

 同年12月、「週刊朝日」12月30日号の記事「『内親王家』創設を提案する」。
 →この記事によると、「女性宮家」創設の提唱者が、羽毛田長官ではなく、渡邉前侍従長(当時は侍従職御用掛)であることが分かります。主役は交代したのです。

 24年1月、「選択」1月号に園部逸夫元判事インタビュー「皇室の存続こそが第一」。
「皇室の存続こそが第一とするならば、今は女性天皇、女系天皇の是非論は横に置いて、まずは新たな宮家を創設し、皇族を増やすことが先決ではないか」

 同月、園部逸夫元最高裁判事が「『女性宮家』検討担当内閣官房参与」に就任。

 同年2月、「皇室制度に関する有識者ヒアリング」開始。
 →政府の説明では、女性皇族の婚姻後の身分問題を検討する目的は、「皇室の御活動」の安定的維持と、天皇皇后両陛下の「御負担の軽減」の2つでした。政府は「女性宮家」創設とは表現しませんでしたが、メディアは「『女性宮家』ヒアリング」と報道しました。

 同年5月、黒田清子(さやこ)元内親王が臨時神宮祭主に就任。
 →17年秋に一般国民との御結婚によって皇籍を離脱された元女性皇族が、天皇のお社である伊勢神宮の重い役職につかれました。それは皇室のご活動を維持するための「女性宮家」創設の是非が世間で議論されている最中のことでした。

 同年6月1日、羽毛田信吾宮内庁長官が退任し、風岡典之次長が昇格。

 同年10月5日、内閣官房が有識者ヒアリングの論点整理をまとめるhttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/koushitsu/pdf/121005koushitsu.pdf

 同年12月16日、総選挙の結果、自民党が大勝、政権を奪還。

 同月19日、天皇陛下お誕生日会見で御公務ご負担軽減について、「今のところしばらくはこのままでいきたいと考えています」とお答えになる〈http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h24e.html〉。

 同月26日、第2次安倍内閣が発足。

 26年3月、神宮御親拝に伴い、剣璽御動座が行われた。

 →陛下の会見と安倍政権の成立で、「女性宮家」創設論議は収束しました。いや、そう見えるのは表向きだけかも知れません。
 そして実際、陛下の「退位」を認める皇室典範特例法の成立にからんで、「女性宮家」創設論が復活しました。現在は「第5期」ということになります。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆先日、チャンネル桜の番組で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンについて説明する機会を得ました。取り上げていただき、たいへんうれしく思います。
 おかげさまで賛同者が400人を超えました。
 番組でも申しましたが、何年か先の話ではなくて、いまの問題です。ひきつづきご協力をお願いいたします。
 番組はニコニコ動画やYouTubeで御覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=Iqa0zsh-CSo&feature=youtu.be
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

〈第3期〉羽毛田長官の典範改正工作 ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年9月26日)からの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
〈第3期〉羽毛田長官の典範改正工作
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった


第4節 〈第3期〉羽毛田長官の典範改正工作

koukyo01.gif
 皇室典範有識者会議は平成17年11月に女性天皇・女系継承容認の報告書を提出しました。この報告書には「女性宮家」という用語は消えていますが、その中味は盛り込まれています。年明けには小泉首相が施政方針演説で典範改正案の提出を明言しますが、その後、悠仁(ひさひと)親王殿下の御誕生で議論は沈静化していきました。

 この時期の特徴は、皇位継承論にこだわる羽毛田信吾宮内庁長官による典範改正工作がヒートアップしたこと、典範改正の議論が政治の舞台へ移ったことです。


 平成18年1月、?仁親王殿下が「文藝春秋」2月号インタビュー「天皇さま その血の重み──なぜ私は女系天皇に反対なのか」で、男系継承の維持をご希望。
「この女系天皇容認という方向は、日本という国の終わりの始まりではないかと、私は深く心配するのです」
 これに対して、羽毛田長官が口止めした。「皇室の方々は発言を控えていただくのが妥当」。

 同年2月、秋篠宮文仁親王妃紀子殿下の御懐妊兆候発表、政府は皇室典範改正案提出を断念。しかし小泉純一郎首相は女系継承容認をあらためて表明した。
「将来は女系天皇を認めないと皇位継承が難しくなる」。
 他方、次期自民党総裁となる安倍晋三内閣官房長官は、慎重姿勢を強調した。
「冷静に慎重にしっかりと落ち着いた議論を進めなければ」

 同年9月6日、悠仁(ひさひと)親王御誕生。
 皇室の慶事であり、待ちに待った男子皇族御誕生だが、羽毛田長官はあろうことか、水を差した。「皇位継承の安定は図れない」

 同月26日、第1次安倍内閣が発足。

 20年11月、天皇陛下御不例。この年の2月、3月、宮内庁はご健康問題に関連して、御公務ご負担軽減について、祭祀の「調整」も含めて、公表していたが、御不例後、軽減策は前倒しされることになる。

 →本文で明らかにしたように、ご負担軽減の標的にされたのが宮中祭祀で、平成の祭祀簡略化を陛下に進言した一人が渡邉前侍従長でした。この時期、前侍従長の存在感が増しているかに見えます。

 同年12月11日、羽毛田長官は、医師の診断である「急性胃粘膜病変」と矛盾する「所見」を発表。
「天皇陛下には、かねて、国の内外にわたって、いろいろと厳しい状況が続いていることを深くご案じになっておられ、また、これに加えて、ここ何年かにわたり、ご自身のお立場から常にお心を離れることのない将来にわたる皇統の問題をはじめとし、皇室にかかわるもろもろの問題をご憂慮のご様子を拝しており、このようなさまざまなご心労に関し、本日は私なりの所見を述べる」

 →医師の見立ては「急性病変」なのに、長官の「所見」では「ここ何年かにわたるご心労」が原因だとねじ曲げられました。

 21年8月30日、総選挙で民主党が圧勝。

 同年9月10日、羽毛田長官が、政権交代で発足する鳩山新内閣に、典範改正を要請する意向を会見で表明。
「皇位継承の問題があることを(新内閣に)伝え、対処していただく必要がある、と申し上げたい」

 同月16日、鳩山内閣が発足。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆先日、チャンネル桜の番組で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンについて説明する機会を得ました。取り上げていただき、たいへんうれしく思います。
 おかげさまで賛同者が400人を超えました。
 番組でも申しましたが、何年か先の話ではなくて、いまの問題です。ひきつづきご協力をお願いいたします。
 番組はニコニコ動画やYouTubeで御覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=Iqa0zsh-CSo&feature=youtu.be
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

〈第2期〉非公式検討から公式検討へ ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年9月25日)からの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
〈第2期〉非公式検討から公式検討へ
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった


第3節 〈第2期〉非公式検討から公式検討へ

koukyo01.gif
 皇太子殿下の御結婚から10年が過ぎましたが、男子はお生まれにならず、ほかならぬ皇太子殿下から「人格否定」発言が飛び出す状況にさえなりました。政府の皇室典範改正は非公式検討から公式検討に移り、「女性宮家」は一般マスコミ、論壇のテーマとなりました。皇室典範有識者会議が発足し、女性天皇・女系継承を容認する報告書がまとめられましたが、「女性宮家」の表現は消えました。

 16年5月10日、皇太子殿下が欧州歴訪前の記者会見で「人格否定」発言。
 皇太子殿下のご発言は、奇しくも、政府が極秘文書をとりまとめた当日でした。

 同日、政府の非公式検討会が女性天皇・女系継承容認の極秘文書をまとめる。

 同年7月、「週刊朝日」7月9日号の「お世継ぎ問題 結婚しても皇籍離脱しない道 雅子さま救う『女性宮家』考」に、所功京都産業大学教授のコメントが掲載される。

 同月、内閣官房と宮内庁が皇室典範改正の公式検討に向けた準備を開始。

 同月、民主党が参議院選のマニフェストに女性天皇容認の方針を掲載。
「『日本国の象徴』にふさわしい開かれた皇室の実現へ、皇室典範を改正し、女性の皇位継承を可能とする」

 同月、「Voice」2004年8月号に所教授の論考「“皇室の危機”打開のために──女性宮家の創立と帝王学──女帝、是か非かを問う前にすべき工夫や方策がある」。

 同年12月、皇室典範に関する有識者会議が発足。座長は吉川弘之元東京大学総長、座長代理は園部逸夫元最高裁判所判事。メンバーに古川貞二郎前内閣官房副長官。

 17年6月8日、同有識者会議ヒアリングで、所功教授が「女性宮家」創設を提案。
「現在極端に少ない皇族の総数を増やすためには、女子皇族も結婚により女性宮家を創立できるように改め、その子女を皇族とする必要があろう」
 本論では触れませんでしたが、この日、高森明勅拓殖大学客員教授もまた「女性宮家」に言及しています。
「かりにそれらの旧宮家の方々が御同意をなさって、例えば、女性宮家に入られる、あるいは廃絶に瀕している宮家を継承されるというようなことが選択肢として実現した場合でも……」

 同月30日、同有識者会議の意見交換で「女性宮家」に関する発言があった。
「少なくとも皇族女子が婚姻後も皇籍にとどまる可能性について検討する必要があるのではないか」
「女性天皇・女系天皇を可能とした場合に、長子優先か兄弟姉妹間男子優先かということと、女性宮家を認めるかどうかということが、今後の検討のポイントになるのではないか」

 同年7月26日、有識者会議が中間報告としての論点整理。「女性宮家」の表現が消える。
 けれども、「読売新聞」7月28日付社説は、「天皇の直系子孫でも、長子を優先させるか、兄弟姉妹間では男子が優先か、という皇位継承順位や、女性宮家の創設の在り方など、難問が控えている」と書き、「女性宮家」の議論が続いていることをうかがわせます。

 同年11月15日、紀宮(のりのみや)清子(さやこ)内親王殿下が帝国ホテルで結婚式。皇籍を離脱。

 同月24日、皇室典範有識者会議が女性天皇・女系継承容認の報告書を提出。報告書に「女性宮家」は表現としては掲載されなかったが、婚姻後も皇室にとどまるという中味は文章化された。
 鳩山由紀夫民主党幹事長は「開かれた皇室への思いを大事にすべきで、典範の改正も視野に入れて、国民の側に立った、国民が期待する、国民の象徴としての天皇、天皇家のあり方を議論していただきたい」と評価しました。

 同月25日付「読売新聞」に所功教授の感想が掲載された。
「女性天皇、女系継承、女性宮家の創立なども可能とした報告書の大筋には賛成したい」

 18年1月20日、小泉首相が施政方針演説で皇室典範改正案の提出を明言。
「象徴天皇制度は、国民の間に定着しており、皇位が将来にわたり安定的に継承されるよう、有識者会議の報告に沿って、皇室典範の改正案を提出します」

 一般には「女性宮家」創設論は平成23年秋ごろ、急速に浮上してきたように見られていますが、そうではありません。
 逆に、女帝容認・女系継承を容認する皇室典範改正と一体のかたちで、「女性宮家」創設が10数年もの間、政府部内で公式、非公式に議論されてきたのだとすれば、「女性宮家」創設論の浮上は女性天皇・女系継承容認論の再浮上を意味することになります。
 つまり、渡邉允前侍従長ほか、政府関係者が主張していた「切り離し」論はまったくあり得ません。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆先日、チャンネル桜の番組で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンについて説明する機会を得ました。取り上げていただき、たいへんうれしく思います。
 おかげさまで賛同者が400人を超えました。
 番組でも申しましたが、何年か先の話ではなくて、いまの問題です。ひきつづきご協力をお願いいたします。
 番組はニコニコ動画やYouTubeで御覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=Iqa0zsh-CSo&feature=youtu.be
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

〈第1期〉「皇統の危機」を背景に非公式研究開始 ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
〈第1期〉「皇統の危機」を背景に非公式研究開始
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった


第2節 〈第1期〉「皇統の危機」を背景に非公式研究開始

koukyo01.gif
 今上天皇の第2皇子、文仁親王殿下(秋篠宮)が昭和40(1965)年にお生まれになって以来、男子皇族が久しく御誕生にならず、皇太子殿下の次の代の皇位継承者の候補がおられないという「皇統の危機」を背景に、政府内で皇室典範改正研究が潜行しました。当時のテーマはあくまで皇位継承論ですが、じつは「女帝」容認論と軌を一にして、「女性宮家」創設が検討されたのでした。

 平成2年6月29日、礼宮親王殿下御結婚の儀。秋篠宮家の創設。

 3年10月、秋篠宮殿下第1女子、眞子(まこ)内親王御誕生。

 5年6月9日、皇太子殿下御結婚の儀。

 6年12月、秋篠宮殿下第2女子、佳子(かこ)内親王御誕生。

 7年9月、自民党総裁選に立候補した小泉純一郎議員(のちの首相)は、公開討論で女性天皇容認を打ち出す。

 8年、鎌倉宮内庁長官の指示で、宮内庁内で皇位継承に関する基礎資料の整理・作成が開始された(阿比留産経新聞記者の記事)。

 9年4月、内閣官房の協力により、工藤敦夫元内閣法制局長官を中心に、古川貞二郎内閣官房副長官、大森政輔内閣法制局長官らが研究会、懇話会を設置した。第1期は皇室制度に関する非公式研究会(〜11年3月)。

 10年6月、総合情報誌「選択」6月号「『皇室典範』改定のすすめ──女帝や養子を可能にするために」が「女性宮家」にも言及。
「皇族女子は結婚すれば皇族の身分から離れるが、これを改め天皇家の長女紀宮(のりのみや)が結婚して宮家を立てるのはどうか。そこに男子が誕生すれば、男系男子は保たれることになる」
内親王の子孫はもはや男系ではないのに、男系と言い切る議論が当時は行われていました。そのように言いくるめようとする勢力があったということでしょうか。

 11年4月、政府内で、皇室法について、第2期研究会(〜12年3月)。園部逸夫元最高裁判事が新たに参加した。

 同年12月、高森明勅『この国の生い立ち──あなたは『天皇』の起源を知っていますか?』(PHP研究所)に女帝容認論をいち早く展開。新進気鋭の皇室研究者による問題提起だった。

 同月10日、朝日新聞が「雅子さま、懐妊の兆候。近く詳細な検査」をスクープ報道。けれども結局、流産の悲劇を招くことになった。
「皇太子妃・雅子さまに懐妊の兆候が見られることが9日、明らかになった」

 12〜15年、政府内で資料整理。宮内庁長官、次長に随時報告。

 13年4月、第1次小泉内閣が発足。

 同年12月、皇太子殿下第1女子、愛子内親王御誕生。

 14年2月、「文藝春秋」3月号、森暢平記事「女性天皇容認! 内閣法制局が極秘に進める。これが「皇室典範」改正草案──女帝を認め、女性宮家をつくるための検討作業」
この記事は、メディアが記事のタイトルに「女性宮家」という表現を用いた初例と見られます。

 15年5月、内閣官房、内閣法制局、宮内庁が共同で皇位継承制度改正を非公式検討(〜16年6月)。

 16年5月10日、政府の非公式検討会が女性・女系天皇容認を打ち出した極秘文書「皇位継承制度のこれからのあり方について」をまとめる(「産経新聞」18年2月17日)。
「皇位継承資格を男系の男性に限定する現行の制度では、象徴天皇制度が維持できず、皇位継承資格を女性にも認めるべきだ」

 結局のところ、検討会に関わった政府関係者たちには、千数百年を超える皇統がなぜ男系男子によって継承されてきたのか、天皇の祭祀のお務めがなぜ男系男子によって受け継がれてきたのか、天皇はなぜ「祭祀王」とされてきたのか、「祭祀王」とは何か、が理解できなかったのでしょう。理解しようともしなかったのではありませんか。現代的に解説できるアカデミズム、議論を喚起するジャーナリズムの不在も影響しています。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆先日、チャンネル桜の番組で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンについて説明する機会をえました。取り上げていただき、たいへんうれしく思います。
 おかげさまで賛同者が400人を超えました。
 番組でも申しましたが、先の話ではなくて、いまの問題です。ひきつづきご協力をお願いいたします。
 番組はニコニコ動画やYouTubeで御覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=Iqa0zsh-CSo&feature=youtu.be
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 3 ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 3
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった


第1節 〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 3

koukyo01.gif
 44年12月、入江相政侍従長が祭祀の「簡素化」を昭和天皇に提案。

「お上に歳末年始のお行事のことにつき申し上げる。四方拝はテラス、御洋服。歳旦祭、元始祭は御代拝。他は室内につきすべて例年通りということでお許しを得、皇后様にも申し上げる」(入江日記12月26日)

侍従長へ一気に駆け上がった入江相政は、異常な執念で祭祀の「簡素化」(入江日記)を開始しました。これが昭和の祭祀簡略化であり、皇室行事の無法化の始まりです。

 45年11月23日、新嘗祭が「夕(よい)の儀」のみ親祭となる。

 49年11月、昭和天皇の伊勢神宮行幸に際して、昭和21年以来、中止されていた剣璽御動座が復活。

入江侍従長は「おれの眼の黒いうちは復活させない」と暴言を吐いていたようです。11月8日の日記に入江はこう書き込みました。

「剣璽も御無事でよかったがくだらないことだった」

 50年8月15日、宮内庁長官室会議で、毎朝御代拝の改変などが決まる。

毎朝御代拝は侍従が烏帽子、浄衣に身を正し、宮中三殿の殿内で拝礼する形式から、洋装のモーニング・コートで庭上から拝礼する形式に変わりました。皇室の伝統より、憲法の解釈・運用が優先された結果でした。

 64(平成元、1989)年1月7日、昭和天皇が崩御。今上天皇が践祚。

践祚(せんそ)から即位大嘗祭まで、御代替わりの一連の行事が行われるのに際して、政府は、憲法の趣旨に沿い、皇室の伝統を尊重し、内閣の責任において、といいつつ、実際は、「皇室の伝統」と「現行憲法の趣旨」とを対立的にとらえ、結局、千年以上にわたる皇室の伝統が断絶されました(拙文「宮中祭祀を『法匪』から救え」=「文藝春秋」2012年2月号)。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆先日、チャンネル桜の番組で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンについて説明する機会をえました。取り上げていただき、たいへんうれしく思います。
 おかげさまで賛同者が400人を超えました。
 番組でも申しましたが、先の話ではなくて、いまの問題です。
 番組はニコニコ動画やYouTubeで御覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=Iqa0zsh-CSo&feature=youtu.be
 ひきつづきキャンペーンへのご協力をお願いいたします。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 2 ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 2
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった


第1節 〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 2

koukyo01.gif
 34年1月16日、皇太子(今上陛下)御成婚について、政府は「国の儀式」として結婚の儀、朝見の儀、宮中祝宴の儀を行うことを決定。
国立公文書館は平成21年秋に、天皇陛下御在位20年慶祝行事の一環として、特別展示会を開催しました。公文書館のHPには再構成された「デジタル展示」が掲載され、このなかに御結婚の儀を「国の儀式」として行うことを決めた文書が載っています〈http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/gozaii/〉。
以下、デジタル文書館の資料をできるだけ忠実に再現したいと思います。
資料は4点あり、1点目は岸総理から昭和天皇への上奏文書で、内閣の事務用箋に筆文字で、以下のように書かれ、昭和天皇が承認されたことを示す、赤い印が押されているのがうっすらと見えます。原文は縦書きです。

 皇太子結婚式における国の儀式について
右慎んで裁可を仰ぐ。
  昭和三十四年一月十六日
   内閣総理大臣 岸 信介(内閣総理大臣印)


 2点目は、閣議の資料です。やはり筆文字です。

 総甲第一号
起案昭和三十四年一月十四日
閣議決定昭和三十四年一月十六日
施行 年 月 日
上奏昭和三十四年一月十六日
公布 年 月 日
御下付(朱印)昭和〃年一月十六日

内閣総理大臣(花押) 内閣官房長官(花押) 内閣参事官(朱印) 法制局長官 内閣官房副長官(朱印)
愛知国務大臣(花押) 坂田国務大臣(花押) 寺尾国務大臣(花押) 伊能国務大臣(花押) 藤山国務大臣 三浦国務大臣(花押) 倉石国務大臣 世耕国務大臣(花押) 佐藤国務大臣(花押) 高碕国務大臣(花押) 遠藤国務大臣(花押) 山口国務大臣(花押) 橋本国務大臣(花押) 永野国務大臣(花押) 青木国務大臣(花押)
別紙内閣総理大臣請議
 皇太子結婚式における国の儀式について
右閣議に供する。
 なお、本件は日本国憲法第七条の儀式に関するものであるので、閣議決定の上は、上奏することといたしたい。
指 令 案
「皇太子結婚式における国の儀式について」は、請議のとおり。

 3点目は、宮内庁の資料のようで、宮内庁事務用箋に仮名タイプで記されています。

  皇太子結婚式における国の儀式について
一 皇太子明仁親王殿下の結婚式における結婚の儀、朝見の儀及び宮中祝宴の議は、国の儀式として行う。
二 右の諸儀を行う時期は、昭和三十四年四月中旬を目途とし、場所は、皇居とする。
三 儀式の日時及び細目は、宮内庁長官が定める。

 最後は参考資料です。資料は2つで、1つは儀式一覧表で、もうひとつは参照される条文です。事務用箋ではなく、「資料一」は赤茶けたわら半紙に謄写版印刷されたもののようで、「資料二」は仮名タイプと思われます。「資料一」は結婚の儀の期日が抜けていますので、期日が決定される前に作成されたものと考えられます。

資料一
  皇太子明仁親王殿下の結婚儀式一覧
 挙 行 案
諸儀名(説明。期日。旧皇室親族令附式事項)
一 成 約
1、神宮神武天皇大正天皇貞明皇后山陵に勅使発遣の儀(天皇が神宮山陵に成約報告のため、お使を命ぜられる。昭和三十四年一月十二日。神宮神武天皇先帝先后山陵に勅使発遣の儀)
2、納采の儀(皇太子のお使が后となる方の邸に至って、いわゆる結納を行う。一月十四日。納采の儀)
3、賢所皇霊殿神殿に成約奉告の儀(皇太子が宮中三殿に成約を奉告される。同日。賢所皇霊殿神殿に成約奉告の儀)
4、神宮神武天皇大正天皇貞明皇后山陵に奉幣の儀(天皇のお使が神宮山陵に御幣物を奉り、成約を奉告する。同日。神宮神武天皇先帝先后山陵に奉幣の儀)
  (勲章を賜うの儀。斎藤吉久注、このときは期日が変更されたらしい)
  (贈剣の儀。斎藤吉久注、このときは行われなかったらしい)
二 告 期 の 儀(天皇のお使が結婚の儀を行う期日を后となる方に伝える。結婚の儀の約 二週間前。告期の儀)
  (贈書の儀。斎藤吉久注、このときは行われなかったらしい)
三 結 婚 諸 儀
 1、賢所皇霊殿神殿に結婚奉告の儀(皇太子に代って東宮侍従が結婚の儀を行うことを宮中三殿に奉告する。 月 日。賢所皇霊殿神殿に結婚奉告の儀)
〇2、結婚の儀(皇太子、同妃が結婚の誓をされる。 同 日。后氏入宮の儀。賢所大前の儀)
 3、皇霊殿神殿に謁するの儀(皇太子同妃が皇霊殿神殿に結婚を奉告される。 同 日。皇霊殿神殿に謁するの儀)
  (皇太子妃に勲章を賜う。同 日)
〇4、朝 見 の 儀(皇太子同妃が天皇皇后にあいさつをされる。 同 日。参内朝見の儀)
 5、供 膳 の 儀(皇太子同妃が初めてお膳を共にされる。 同 日。供膳の儀)
 6、三箇夜餅の儀(皇太子同妃にお祝いの餅を供する。 同 日から三日間三箇夜餅の儀)
〇7、宮中祝宴の儀(皇太子同妃の結婚御披露の祝宴。約三日間。宮中饗宴の儀)
四 神宮神武天皇 大正天皇貞明皇后 山陵に謁するの儀(皇太子同妃が神宮山陵に結婚を奉告される。結婚の儀後適宜の月日。神宮神武天皇並びに先帝先后山陵に謁するの儀)
 備考 〇印は国の儀式として行うものを示す。

資料二
  参照条文
 日本国憲法
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
 十 儀式を行ふこと。

 閣議の資料には「憲法第7条の儀式に関する」とありますから、天皇の国事に関する行為の1つとしての「儀式」であり、「国の行事」としての儀式=「天皇の国事行為」としての儀式と考えられていることが想像されます。宮内庁のHPが「国事行為たる儀式」と記述しているのは、そのためでしょう。

 ともかく、占領期以来、祭祀は「皇室の私事」とされてきたことからすれば、賢所大前での結婚の儀が、「国の行事」とされたことは時代を画するものでした。また、皇室親族令に準じて行われているのは、依命通牒第3項に沿ったものと思われます。

 ただ、惜しむらくは、皇太子御成婚の全体が「国の行事」とされず、諸行事が因数分解され、「国の行事」とそうでないものとに二分されたことです。

 のちに昭和から平成への御代替わり当時、政府が、「皇室の伝統」と「憲法の趣旨」とを対立的にとらえ、皇室の伝統行事を伝統のままに行うことが憲法の「政教分離」原則に反するとして、国の行事と皇室行事とを二分し、挙行したことの先駆けのように見えます。

 皇太子御成婚は、占領期にゆがめられた宮中祭祀を、正常化に向けて大きく前進させたはずなのに、逆にその後の揺り戻しの出発点ともなっているように見えます。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
 このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
 おかげさまで賛同者が300人を超えました。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 1 ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 1
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった

koukyo01.gif
 いわゆる「女性宮家」創設論議の歴史的経緯を、年表風にまとめて、振り返ってみたいと思います。なお、これは「産経新聞」平成18年2月17日付3面に掲載された一覧表「皇室をめぐる最近の主な出来事」を参考にしています。

 阿比留瑠比記者による、この日のスクープは、平成8年に宮内庁内で皇位継承制度に関する基礎資料の作成が始まり、政府の非公式検討会がすでに16年5月に女性天皇・女系継承容認を打ち出していたことなどを明らかにしました。

 阿比留記者の場合は皇位継承論がテーマですが、以下の年表は、戦後の皇室関係史全体を俯瞰し、とくに宮中祭祀と「女性宮家」創設論に焦点を当て、組み立て直したものです。


第1節 〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで


▢昭和20(1945)年7月26日、ポツダム宣言

「吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ」

▢同年8月15日、玉音放送。
「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」

▢同年10月6日、アメリカ国務省のヴィンセント極東部長がラジオ放送で対日占領政策をアメリカ国民に説明。
「日本政府に指導され、強制された神道ならば廃止されるだろう」

▢同年12月15日、いわゆる神道指令(「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の禁止に関する件」)が発令される。
「本指令ノ目的ハ宗教ヲ国家ヨリ分離スルニアル」。
 指令は過酷で、神道に対する差別的圧迫が加えられました。
「(神道指令発令で)わが国における祭祀は(伊勢)神宮・皇室・各神社とを問わず、すべて宗教行為としてこれを官辺にて管理することを一切禁じたのである。まさに有史以来の一大変革と申さねばならぬ」(八束清貫「皇室祭祀百年史」)
 宮中祭祀は「皇室の私事」とされ、存続しました。

▢昭和21年1月1日、いわゆる「人間宣言」。
「朕(ちん)ト爾等(なんじら)國民トノ間ノ紐帶ハ、終始相互ノ信?ト敬愛トニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳?トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ、且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ」〈http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/056/056_001r.html〉。

▢同年7月12日、GHQのバンス宗教課長が教育課長宛文書で、学校での教育勅語の奉読を禁止。
「もっともリベラルな解釈をしたとしても、新憲法の精神に反している。教育勅語は、たぶん歴史的史料として取り扱う大学レベルを除き、公立学校で奉読されるべきでないし、教科書にも掲載すべきでない」

▢同年10月8日、文部省が教育勅語の奉読を禁止。
「式日等において従来、教育勅語を奉読することを慣例としたが、今後は之を読まないこととする」(発秘第三号、文部次官通牒)

▢昭和22年5月3日、日本国憲法、皇室典範が施行。旧皇室典範、皇室令が廃止。宮内庁は宮内府(宮内庁の前身)となり、内閣総理大臣所轄の機関に代わった。祭祀を担当する掌典職は官制を離れ、職員は内廷費で雇われる内廷の職員となった。
 以前は、大日本帝国憲法を頂点とする国務法の体系とは別に、皇室典範を根拠とする、皇室に関係する宮務法の体系があり、たとえば明治以降、近代的に整備された宮中祭祀は皇室祭祀令(明治41年)によって明文化されていました。
 日本国憲法施行に伴い、皇室典範、皇室令は廃止され、天皇の祭祀は明文法的根拠を失いました。新しい皇室典範は新憲法に基づき、一般の法律として制定されました。宮務法の体系が国務法に一元的に吸収され、失われたのです。
 けれども、新憲法施行と同じ日に、宮内府長官官房文書課長名による依命通牒(皇室令及び付属法令廃止に伴い、事務取扱に関する通牒)によって、祭祀令に定められた祭祀の伝統は守られました。

▢23年6月19日、衆議院本会議が「教育勅語等排除に関する決議」を全会一致で可決。
「民主平和國家として世界史的建設途上にあるわが國の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となつている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜りたる勅諭その他の教育に関する諾詔勅が、今日もなお國民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、從來の行政上の措置が不十分であつたがためである。
 思うに、これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八條の本旨に從い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの詔勅の謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである」

▢同日、参議院本会議が「教育勅語等の失効確認に関する決議」を決議。
「われらは、さきに日本國憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが國家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に拂拭し、眞理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失つている。
 しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかりわれらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。
 われらはここに、教育の眞の権威の確立と國民道徳の振興のために、全國民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力を致すべきことを期する」

▢26年6月、貞明皇后大喪儀。皇室喪儀令に準じて行われ、国費が支出され、国家機関が参与した。
 占領後期になると、神道指令の解釈・運用は厳格主義から限定主義に変更されましたが、宮中祭祀は「皇室の私事」という位置づけを克服できませんでした。
 斂葬当日の22日、全国の学校で「黙祷」が捧げられました。政府は、当日に官庁等が弔意を表することを閣議決定し、文部省は「哀悼の意を表するため黙祷をするのが望ましい」旨、次官通牒を発したのですが、その数日後、「日本の学校で戦前の国家宗教への忌まわしい回帰が起きた。生徒たちは皇后陛下の御霊に黙祷を捧げることを命令された。キリストに背くことを拒否した子供たちはさらし者にされた」と訴えるアメリカ人宣教師の投書がニッポン・タイムズ(現ジャパン・タイムズ)の読者欄に載ったのをきっかけに、新聞紙上で宗教論争が始まりました。

▢27年4月28日、サンフランシスコ条約発効。日本が独立回復、神道指令は失効。
 しかし「宮中祭祀は天皇の私事」とする憲法解釈はその後も超えられませんでした。
 調印日にふたたび学校で「黙祷」「宮城遥拝」が実施されると、アメリカ人宣教師が「また命令された。新憲法は宗教儀式の強制を許すのか」と再抗議し、紙上論争は10月半ばまで続きましたが、GHQは宣教師たちの立場を擁護しませんでした。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
 このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
 おかげさまで賛同者が300人を超えました。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

縄文人以来の和の精神 ──憲法理論は法廷闘争の方便か 4 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
縄文人以来の和の精神
──憲法理論は法廷闘争の方便か 4
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第7節 憲法理論は法廷闘争の方便か


▽4 縄文人以来の和の精神

koukyo01.gif
 靖国問題はいつの時代にも、キリスト教信仰者に限らず、靖国神社参拝に限らず、熱心な信仰者ほど、起こりえます。それなら諸宗教の共存を図るにはどうすればいいのか、解決のための知恵が、天皇の祭祀に秘められています。

 米と粟を捧げる天皇の祭祀は、その起源をさかのぼれば、おそらく縄文人の自然崇拝と弥生人の稲作信仰とを引き継ぐものでしょう。両者が対立せず、抗争もせずに共存できるのは、自然の猛威と争わずに共存する縄文人の自然観が、和の心として日本人の精神を形成し、現代に引き継がれてきたからではないしょうか?

 稲作民の米と畑作民の粟を捧げる天皇の祭祀こそ、崇高な日本の精神的な伝統そのものです。古来、信教の自由を保障する要であり、天皇の祈りの存在があればこそ、日本では深刻な宗教対立を経験することなく、宗教的共存が図られてきたのだと思います。

 これに対して、一神教世界ではまったく異なります。

 上智大学の設立母体イエズス会の総本山とされ、「東洋の使徒」フランシスコ・ザビエルの切断された右腕とロヨラの遺骸が安置されるローマのジェズ教会の聖堂には、天使が悪魔を踏みつけている大理石の彫像があり、悪魔には「カミ、仏、阿弥陀、釈迦」とラテン語で刻まれているそうです。

 異端を弾圧し、魔女裁判を行い、異教徒を殺害し、異教世界を侵略し、異教文化を破壊してきたのが、一神教世界です。

 キリスト教世界の国王が、あるいは大統領が、国民のなかにイスラム教徒がいたとしても、そのためにイスラムの神に祈ることはあり得ません。一神教なら当然です。

 けれども日本の天皇は違います。日本の多神教的、多宗教的文明は一神教世界とは異なるのです。

 たとえば、「キリシタン迫害」が過酷さを増した将軍徳川家光の時代、天皇がおられる京の都では八坂神社の祭礼・祇園祭に、驚くなかれ、旧約聖書の物語をデザインした、ヨーロッパ舶来のタピストリーが山鉾の前掛けにされ、都大路を巡行していました。

 一神教世界の政教分離論と同列に、天皇の祭祀を論ずるべきではありません。

 宮中祭祀=「皇室の私事」、大嘗祭=宗教的儀礼とするような百地先生流の政教分離論を学問的に克服していく必要がありそうです。そのためには縦割りの学問に安住せず、関連する学問研究の総合的な深化が求められます。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
 このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
 おかげさまで賛同者が300人を超えました。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。