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特定の信仰に基づく宗教的儀礼 ──両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論 1 [女性宮家]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年9月2日)からの転載です


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特定の信仰に基づく宗教的儀礼
──両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論 1
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第5節 両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論

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 百地章日大教授(当時)の「大嘗祭」論について、続けます。

 なお、念のため申し上げますが、私は先生を個人攻撃しているのではありません。ケンカを売っているのでもありません。日本の歴史そのものと関わる皇室の伝統を守るために、感情的になるのではなく、冷静な学問研究の深まりを願っているのです。

 人生の大半を民族派の国民運動に捧げている、人生の大先輩がいつものよう穏やかに、しかし毅然として、こう語られたことがありました。

「百地先生といえども神仏にあらず。斎藤さんといえども神仏にあらず」

 仰せの通り、まったく同感です。人はみな長所もあれば、短所もある。完全無欠な人間など、この世にいるはずもありません。よほどうぬぼれの強い人間でない限り、そんなことは他人から言われるまでもありません。人はみな足りないところがある。それが人間の魅力でもある。足りないところがあれば、お互いに補えばいいのです。

 だからこそ、私は共同研究の必要性を呼びかけています。目の前のさまざまな混乱を解決し、そしてやがて来る次の御代替わりに向けて、総合的な天皇研究がいまこそ必要なときはありません。1人でできることは限られています。

 さて、大嘗祭とはいかなるものなのか、先生は大嘗祭をどうお考えなのでしょう。残念ながら、先生には大嘗祭について、「論」というほどの中味がありせん。

 大嘗祭とは何か、という学問的考察が不十分なまま、宮中祭祀一般=「皇室の私事」、大嘗祭=皇位継承の重儀=「皇室の公事」という憲法理論を憲法学者がうち立て、そのことを成果として誇っているというのです。そんなことって、あり得るのでしょうか?

 もし先生が、大嘗祭の何たるかを少しでも学問的に考察していたなら、宮中祭祀=「皇室の私事」などとする、「1.5代」象徴天皇論者に塩を送るような憲法論をうち立てる必要はなかったのではないか、と私は心から悔やんでいます。

 学問的な追究不足がオウンゴールを招いたのです。返す返すも残念です。”


▽1 特定の信仰に基づく宗教的儀礼


 具体的に見てみましょう。

 御代替わり当時、先生が政府に進言したと説明されている「憲法と大嘗祭」(『政教分離とは何か』の第10章)に、「大嘗祭の本質」についての説明があります。

 驚いたことに、本文で本格的に論じるのではなく、補注で簡単に言及しているだけです。しかも、学術書ではなく一般読者向けの歴史雑誌を参考資料として掲げ、

「大きく2つの見方があり、そのいずれかに力点が置かれているようである」

 として、2つの説を併記し、わずか10数行で説明するにとどまっています。

 つまり、ご自身ではこれ以上の学問的考察を加えていないのです。「ようである」という表現も、「そもそも行うか行わないかが大問題」(石原信雄元内閣官房副長官)になっている大嘗祭について、「憂慮」した第一線の研究者にしては、ずいぶんとのんびりしています。

「闘い」の人には、大嘗祭が斎行できるか否か、だけが関心事なのでしょうか。守るべき対象の何たるかを見極めずに、「闘い」を挑む姿勢は、私には無謀としか見えません。
先生によると、2つの説のうち、「第1説」は

「天皇が神聖な稲穂で炊かれた御膳を神にお供えすると共に自らも召し上がられる(大嘗を聞こし召す)こと、つまり神と天皇が神饌を共に食し合う(共食)するということに主眼を置く説」です。

「第2説」は

「大嘗祭において天皇は大嘗祭の中に設けられた寝所の『真床覆衾(マドコオブスマ)』にくるまれることによって天照大神と一体となり、新たに生まれかわられるということを重視するもの」

 であると説明されています。

「第1説」については、

「稲穂はニニギノミコトが天照大神から授けられたものであり、天照大神の霊威が籠もっている」

 などという、特定の宗教的な考えが背景にあると解説されています。

 いずれの説にしても、「大嘗祭の本質」は一定の宗教的な考えに基づく宗教的儀礼だということです。両論併記にとどまる百地先生もまた、そのようにお考えなのでしょうか?

 ここにそもそもの問題があると、私は思います。つまり、誤った大嘗祭理解に基づいて、誤った憲法論が組み立てられたのです。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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 このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
 おかげさまで賛同者が300人を超えました。
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