SSブログ

宗教儀礼ではなく国民統合儀礼なら? ──両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論 2 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
宗教儀礼ではなく国民統合儀礼なら?
──両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論 2
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第5節 両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論


▽2 宗教儀礼ではなく国民統合儀礼なら?
koukyo01.gif
 石原内閣官房副長官(当時)が回想するように、政府は

「きわめて宗教色が強い」

 と考えていました。このため

「大嘗祭をそもそも行うか行わないかが大問題になりました」。

 これに対して、百地先生もまた大嘗祭=宗教的儀礼と思い込み、疑問を感じなかった。したがって独自の考察を加えることはなかったのでしょう。

 議論の出発点は同じなのです。ただ、先生自身が説明しているように、大嘗祭=「皇室の公事」として斎行できるとする憲法理論が構築されたのでした。

 大嘗祭=宗教的儀礼=「皇室の私事」ではなく、大嘗祭=宗教的儀礼だが、大嘗祭=皇位継承儀礼=「皇室の公事」に、憲法理論によって転換させたというわけです。これを先生は、「闘い」の成果として誇っているのです。

 しかし、大嘗祭は特定の信仰に基づく宗教的儀礼ではない、としたらどうでしょうか。百地先生流の力業は不要ですし、皇室伝統の宮中祭祀を「皇室の私事」と決めつけ、「1.5代」論者に塩を送るオウンゴールも防げます。

 大嘗祭の儀礼には、むしろもっと大きな意義がある、と私は考えています。
私のメルマガの読者ならすでにご存じのように、大嘗祭は宗教的儀礼というより、国民統合の国家的儀礼であると見ることができます。

 御代替わり当時、大嘗祭=国民統合の儀礼として理論化していれば、大嘗祭をドグマチックな政教分離問題から解放し、「国事」として斎行することもできたのではありませんか?

 けれども、問題意識も探究心もないとすれば、両論併記で思考を停止させてしまえば、それは不可能です。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
 このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
 おかげさまで賛同者が300人を超えました。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。