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折口信夫の真床覆衾論 ──両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論 3 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年9月4日)からの転載です


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折口信夫の真床覆衾論
──両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論 3
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第5節 両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論


▽3 折口信夫の真床覆衾論

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 2つの説の妥当性について、少し考えてみましょう。

 まず「第2説」です。

 百地先生は真床覆衾(まどこおぶすま)論の例として、民俗学者として名高い折口信夫の「大嘗祭の本義」(『折口信夫全集第3巻』)などを挙げています。確かに『折口全集』には何編か、大嘗祭の儀礼に言及した論考や講演録が載っています。

 たとえば、昭和9(1934)年12月の「神葬研究」に掲載された「上代葬儀の精神」(『折口全集第20巻』所収)には、概要、次のようなことが書かれています。

 ──大嘗宮にお衾(ふすま)が設けられ、鏡やお召し物、靴があるのは、先帝およびご祖先の亡骸(なきがら)がそこにあると考えられているからである。死という観念のない昔は、新帝はお衾に入られたに違いない。
 いまはどうか分からないが、昔はお衾に入られて、鎮魂の歌、諸国の国ぶりの歌をお聞きになっている間に、天皇の魂がつく。廻立殿(かいりゅうでん)のお湯をお召しになると昔のことが流されて、生まれ変わったと同じことになる。

 古代人は、他界から来てこの世の姿になるには何かあるものの中に入っていなければならない。「ものがなる」ためにはじっとしている時期が必要だと考えた、というのが折口説の前提です。

 物忌みといって籠もるのは、布団のようなものをかぶってじっとしていることであり、大嘗祭の真床覆衾がそれである、と折口は考えたのです。

 大嘗宮に設けられた神座が八重畳(やえだだみ)のうえに坂枕(さかまくら)をおき、覆衾をかけた寝座であることから、折口は、天孫降臨に際して瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が真床覆衾にくるまって降りてこられたとする神話と連関させ、新帝が覆衾にくるまって天皇としての新たな生命を得る儀式がかつてあったのではないか、とあくまで想像しているのです。

 折口は、いまは行われているか分からない。いまは行われていなくても、昔は……とイマジネーションを膨らませているのです。

 じつは御代替わり当時、大嘗宮の儀で新帝が先帝の遺骸に添い寝する、というオカルト的なことが今も行われているかのような折口流の主張がなされ、宮内庁内ではこの真床覆衾論の広がりを非常に心配していたといわれます(「文藝春秋」昨年2月号掲載の永田元掌典補インタビュー。聞き手は私です)。

 しかし実際は、といえば、内閣総理大臣官房が編集・発行した『平成即位の礼記録』(平成3年)も、宮内庁がまとめた『平成大礼記録』(平成6年)も、本来、「秘儀」とされる大嘗宮の儀について、公開が避けられてきた采女(うねめ)の所作にまで言及し、詳細に記録していますが、それでも真床覆衾論的な内容はまったく見当たりません。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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 このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
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