SSブログ

〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 3 ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 3
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった


第1節 〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 3

koukyo01.gif
 44年12月、入江相政侍従長が祭祀の「簡素化」を昭和天皇に提案。

「お上に歳末年始のお行事のことにつき申し上げる。四方拝はテラス、御洋服。歳旦祭、元始祭は御代拝。他は室内につきすべて例年通りということでお許しを得、皇后様にも申し上げる」(入江日記12月26日)

侍従長へ一気に駆け上がった入江相政は、異常な執念で祭祀の「簡素化」(入江日記)を開始しました。これが昭和の祭祀簡略化であり、皇室行事の無法化の始まりです。

 45年11月23日、新嘗祭が「夕(よい)の儀」のみ親祭となる。

 49年11月、昭和天皇の伊勢神宮行幸に際して、昭和21年以来、中止されていた剣璽御動座が復活。

入江侍従長は「おれの眼の黒いうちは復活させない」と暴言を吐いていたようです。11月8日の日記に入江はこう書き込みました。

「剣璽も御無事でよかったがくだらないことだった」

 50年8月15日、宮内庁長官室会議で、毎朝御代拝の改変などが決まる。

毎朝御代拝は侍従が烏帽子、浄衣に身を正し、宮中三殿の殿内で拝礼する形式から、洋装のモーニング・コートで庭上から拝礼する形式に変わりました。皇室の伝統より、憲法の解釈・運用が優先された結果でした。

 64(平成元、1989)年1月7日、昭和天皇が崩御。今上天皇が践祚。

践祚(せんそ)から即位大嘗祭まで、御代替わりの一連の行事が行われるのに際して、政府は、憲法の趣旨に沿い、皇室の伝統を尊重し、内閣の責任において、といいつつ、実際は、「皇室の伝統」と「現行憲法の趣旨」とを対立的にとらえ、結局、千年以上にわたる皇室の伝統が断絶されました(拙文「宮中祭祀を『法匪』から救え」=「文藝春秋」2012年2月号)。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆先日、チャンネル桜の番組で、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンについて説明する機会をえました。取り上げていただき、たいへんうれしく思います。
 おかげさまで賛同者が400人を超えました。
 番組でも申しましたが、先の話ではなくて、いまの問題です。
 番組はニコニコ動画やYouTubeで御覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=Iqa0zsh-CSo&feature=youtu.be
 ひきつづきキャンペーンへのご協力をお願いいたします。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。